経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
中学3年生の時の苦しい思い出
こんにちは。もしくはこんばんはでしょうか。読み手の方が何時に読んでいるかは分かりませんが、吐き出したい思いと慰められたい思いで目に入ったサイトに投稿します。
もう中学校を卒業して10年以上ですがどうしても忘れられない思い出があり、ふと思い出しては苦しい思いをして泣いてを繰り返しています。
中学3年生に進級して、委員会や係員を取り決める場面がありました。
前期後期とかはなく、その時に決めたら一年を通してやることになっていたため慎重にならなければいけませんでした。
そんななかで私は美術係になりたかったので美術係になりたいと立候補しました。初めは定員割れせずに決まったのですが、再度担任の方から実はやりたかったって人が生まれないようにクラスに確認した際、美術係に立候補する人が増えました。
定員割れしたため、話し合い又はジャンケンで決めるようにと指示があったので美術係に希望した私を含めたメンバーでジャンケンをし無事に勝ち抜けて一安心、なんて思っていたのも束の間でした。
ジャンケンをして負けた1人が譲って欲しいって言い出したんです。
やりたくて立候補している私はもちろん断りました。私と一緒で勝ち抜けた人も断り、譲って欲しいというその人はというと諦めが悪くもう一度譲って欲しいと言いました。
何度も断っているうちにチャイムが鳴り、休み時間になりました。
休み時間の間も譲って欲しいとトイレに行く暇も与えないような雰囲気で詰められました。
その後も授業終わりの休み時間になるたびに私が何度断っても譲って欲しいと相手は諦めませんでした。
生徒同士で話し合っては埒が開かないと思ったのか担任に譲ってくれないことを告げ口し、そして担任から「美術系の高校に行きたいから美術係やりたいみたいだから譲ってやったら?」と私がやりたい気持ちを踏み躙るように相手の子に味方をした担任にびっくりと同時に失望しました。
その後も何度か断っていましたが、譲らない私が悪いという空気になっていたので最終的には譲ったのですが、その際に相手からはお礼は言われませんでしたし譲ったことが悔しくて泣きそうになるのを我慢することで必死でした。
そうして委員会や係員で余ってるのが英語係しか残っておらず、教科の中で英語が嫌いだったので本気でやりたくなかったですがそこに私の名前を書くしかありませんでした。
その後日談ですが、私は英語係になりましたが、英語の宿題を当日にやっていたりしてわざと仕事をサボっていたわけではなかったですが、そのことをチクチク陰口や文句を英語の教師に言われて、好きでこの係になったんじゃわけじゃないのになんでここまで言われないといけないんだよって当時は怒り心頭でした。
今では嫌でもやらないといけないことだと納得がつく話なんですけどね。
譲って欲しいと何度も交渉してきた生徒とその生徒の味方をした担任にどうしようもない怒りを抱えてはやり場のない感情に苦しんで泣くを繰り返すのをやめたいです。
どうすればこの思い出と感情に整理がつくでしょうか。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
当時の様子を読んで、まるで自分もその場に立ち会っているかのように感じられました。
「どうしても忘れられない思い出」と書かれていますが、鮮明な描写を通じて、あなたにとって忘れたくても忘れられない記憶になっていることを感じています。
やりたかった係を諦めなければならなかった経緯を読んで、悔しさや怒りが込み上げるのは無理もないことだと感じました。
ジャンケンをして決まった結果が簡単に覆されたことや、あなたの気持ちと相手の気持ちの取り扱われ方に違いがあったことなど、理不尽だと感じるのは当然のことだと私は思いました。そして、そういった理不尽さや不公平感を、身近な大人である担任が容認してしまったことも、大きなショックと不信感があったのではないかと感じています。
あなたに何度も譲ってほしいとお願いしたクラスメートはどういった思いがあったのか・・今となっては尋ねる術もなく想像することしかできませんが、せめて感謝の一言があれば、思い出の苦しさは少しでも違っていたのでしょうか。
あなたの我慢や悲しみが誰にも汲み取られなかったことも、苦しさを深める要因になっているように感じています。
第二候補や第三候補の係につけたならまだしも、自分が苦手としていた係に就かなければならなかったことや、わざとやっていたわけではないことを注意されるなど、さらに損な役回りを負わされたような思いがあったことを感じました。
また、文章の中には書かれていませんでしたが、譲ってしまった自分自身への悔しさもあったりするのだろうかと頭に浮かびました。
あなたは最後まで自分の意思を伝えていましたが、集団の中でいつの間にか作り上げられた「譲らない私が悪いという空気」があったことは、とてもやるせない思いで読みました。
文末に、思い出と感情の整理について問われていました。自分が不当に扱われた経験は、そう簡単に消化できるものではないかもしれないと考えながら、こうして言葉にしながら自分の外側へ出すことは、一つ有効なのではないかと思っています。そして、あなたは何も間違ったことはしていないと伝えたい気持ちでいます。
またよかったら、気持ちを書き置きに来てもらえたらと思っています。
感想2
夜に書いてましたので、こんばんは。お話を聞かせてくれてありがとうございます。
こんなことがあったら、私もモヤモヤしてしまうなと思いました。「やりたい」と立候補したのはみんな同じで、定員を超えた場合ジャンケンで決めることになっていて、それに従って決まったことを後から「譲ってほしい」と言われることにもモヤっとするし、しつこくされると困ってしまうと思います。それに、どうしてその子があなたにだけしつこく譲ってくれと食い下がるのかもわかりませんし、何故先生まであなたに譲るよう要求するのかが不思議でなりません。
たとえば、その子が何らかのハンディや特性を持っていて「その係の仕事がいちばん負担が無くできるから譲ってくれないかな」という理由だったら、あなたも他の人も納得して譲ることができたのではないかという気がします。しかし「美術系の高校に行きたいから」という理由では、私はちょっと納得しかねます。係活動だから、美術の授業の準備や片付けをする程度のことではないかなと想像しています(違ったらごめんなさい)が、その役割と美術系高校への進学が、私の中ではどうにも結びつきません。本当に意味があるのかな?と思ってしまいました。
考えれば考えるほど、不可解で理不尽だなと思いました。ただでさえ理不尽なのに、長い間トイレに行く暇も無いほどにしつこくされると恐怖さえ感じると思いますし、挙句の果てに公正に判断してくれそうな先生が味方をしてくれなかったことは、追い打ちみたいだと思いました。
もうどうしようもない出来事がふと思い出されてしまうのは辛いと思います。私も時折そういうことがあって、どうしたらいいのかなあと考えています。最近は、思い出してしまったら自分で「大丈夫」と唱えたり、思い出した出来事を紙に書き殴ったりして、気分を落ち着かせています。このように、誰かに向けて文章を綴るのもいいかもしれません。もし少しでも心が楽になるのなら、また書きにきてください。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
当時の様子を読んで、まるで自分もその場に立ち会っているかのように感じられました。
「どうしても忘れられない思い出」と書かれていますが、鮮明な描写を通じて、あなたにとって忘れたくても忘れられない記憶になっていることを感じています。
やりたかった係を諦めなければならなかった経緯を読んで、悔しさや怒りが込み上げるのは無理もないことだと感じました。
ジャンケンをして決まった結果が簡単に覆されたことや、あなたの気持ちと相手の気持ちの取り扱われ方に違いがあったことなど、理不尽だと感じるのは当然のことだと私は思いました。そして、そういった理不尽さや不公平感を、身近な大人である担任が容認してしまったことも、大きなショックと不信感があったのではないかと感じています。
あなたに何度も譲ってほしいとお願いしたクラスメートはどういった思いがあったのか・・今となっては尋ねる術もなく想像することしかできませんが、せめて感謝の一言があれば、思い出の苦しさは少しでも違っていたのでしょうか。
あなたの我慢や悲しみが誰にも汲み取られなかったことも、苦しさを深める要因になっているように感じています。
第二候補や第三候補の係につけたならまだしも、自分が苦手としていた係に就かなければならなかったことや、わざとやっていたわけではないことを注意されるなど、さらに損な役回りを負わされたような思いがあったことを感じました。
また、文章の中には書かれていませんでしたが、譲ってしまった自分自身への悔しさもあったりするのだろうかと頭に浮かびました。
あなたは最後まで自分の意思を伝えていましたが、集団の中でいつの間にか作り上げられた「譲らない私が悪いという空気」があったことは、とてもやるせない思いで読みました。
文末に、思い出と感情の整理について問われていました。自分が不当に扱われた経験は、そう簡単に消化できるものではないかもしれないと考えながら、こうして言葉にしながら自分の外側へ出すことは、一つ有効なのではないかと思っています。そして、あなたは何も間違ったことはしていないと伝えたい気持ちでいます。
またよかったら、気持ちを書き置きに来てもらえたらと思っています。