30年ほど私の中には”死にたいさん”が居ましたが、この1.2年で”死にたいさん”の意味付けや距離感が変わってきたので投稿してみます。この投稿が希死念慮の多面的な側面に気づくきっかけ、今、生きることがどうしようもなく辛い人の生きる(小さな)エネルギーになれば幸いです。
『私の”死にたいさん”遍歴』
5歳
私は死ぬことが怖くて布団の中で1人で泣いた。
父親から殴られて自分なんていらない子に思えて一人でとぼとぼ歩きながら泣いた。
7歳
どこか浮いてる変な女の子。それが私の自己像で黒板に貼ってある自分の名前が書いてるマグネットだけが濁点、この世界の汚点に見えた。
9歳
クラスの中の権力関係の構図に気づく。
教室に居場所はなくて昼休みは誰もいない渡り廊下で本の中で冒険をする。
本の中では正しさも勇気も愛情も肯定された。自分の正義を貫くことが、時に孤独で滑稽だと気づく。それでも貫こうとする主人公に自分を重ね合わせる。
10歳
自分の生きてる意味が分からない。
家にも居場所がない。
生きてる理由が見つからなくて、人の為になら生きれるかもと思う。
13歳
精神疾患の母親から拒絶される。
薄々勘づいていた事だけど”愛情の欠損”それを大きく自覚する。
15歳
異性から性的な目で見られてるような感じがする。
見た目はそれなりに良かったのかもしれない。
いい気持ちもしたけど、変な女の子、濁点のような自分という感覚は抜けきれず、やっぱり”死にたい”と感じる。
精神疾患の母親が入院した。行政から世帯分離の話が出て、祖父母の家に行こうと思った。
高校生の姉から「あなただけ逃げ出すなんてずるい」と強く言われる。
「私には幸せになる権利がないのかな」「残された姉はどうなるんだろう」「私は家族という呪縛から一生逃れることができないのかもしれない」
やっぱり人生に希望が見いだせなくて”死にたい死にたい死にたい”と思い続けた。
17歳
女子校にいる。中学より幾分生きやすくなったけど、馴染めない。本の中での冒険は続く。
本だけが優しくて正しくて暖かった。私と同じような人物がいた。
たまに世界に馴染めない自分に気づいて嗚咽しながら泣いた。「私はこの世界にいていいのかな」「ずっと独りぼっち」「悲しい悔しい辛い。それでも人を信じたい。」
18歳
彼に出会う。
捉えどころがない真っ直ぐな少年。
彼は私に「不器用だけど真っ直ぐで嘘がない人だと思った。初めて話した時からまた会いたいと思っていた」と言ってくれた。
彼を信じてみたいと思って恋人になった。
19歳
彼との付き合いは続く。
人について、社会について、正義や悪について、生き方について、深夜遅くまで話した。
初めて、自分という存在がいていいことに気づけた。
22歳
彼とお別れすることになる。
就職した彼は「俺はさ、もう正義とか悪とかそんなのどうでも良くなったんだよ。俺もう公僕として言われたことに”はぁい”って言いながら働くよ笑」と言う。
そんなこと言いながら正しくないと思うことを見つけると躍起になって法律を掻き回して理屈と意見を述べる彼。
あなた、やっぱりそういうとこあるじゃん……と思う。
23歳
大学院生時代は、末期ガンの祖父の介護をしながら過ごした。論文も祖父との生活も、相続関係のゴタゴタも全てがストレス。父親からは上手くいかない家族関係、遺産相続のせいか毎晩のように罵詈雑言を浴びせられた。
狂っていった。
詳細は辛すぎて書くことすら躊躇われる(そもそも私は不幸自慢をしたい訳じゃないしね)。
朝起きて、ベッドに張り付いて動かない身体を強ばらせながら今日という日が来たことに絶望する。「明日が来るのが怖い」と涙をした。
全ての世界がグレースケールにかかっていて、私世界には薄い膜があって、そこから私は出たくない。
24歳
何とか就職。
過食をした後の倦怠の中で起床。
職場のおじさんたちの笑顔に救われる。
生きる理由が見つからなくて、何も理由に出来なくて漠然と「早く死ねないかなあ」
27歳
所内の自殺対策の部署の相談員になる。死にたい、この世界と自分の乖離、過食と倦怠、様々なアディクションによって、この世界を生きようとする相談者さんの気持ちが私はよく分かった。生きることも死ぬことも肯定できず、ただ私たちはそこにいて、弱さを寄せあって、抱きしめる経験をした。
29歳
他者のことを専門的に理解したい、心理学の道に近づきたいと思って発達障害者支援の相談員に転職する。
結論、大正解。
私の構造化、思索好き、洞察力を活かせてる気がする。
“死にたいさん”が少しずつ減少する。
30歳
父親が死んだ。あれだけ「許せない」と思っていた父親はセルフネグレクト状態になって死亡から随分経って見つかった。
固く握りしめていた「許せない」という感情は指の間から零れ出した。
私は跪いて泣いてしまった。
上手く生きれなかった家族の物語。
暖かく、冷たく、思い出したくもない、悲しい物語。
許す許さないではなく、確かにそこに在ったこと。
私が生きてきた歴史は間違いなく彼らがいたからだ。
私は”死にたいさん”が居たから、自分を、人を、人生を、社会について、深く考えれたと思う。
感想1
年表というには私的な印象で、だけどすこし距離はあり、「私」をすこし遠くから見守るようなカメラアングルを感じながら遍歴をたどらせてもらいました。全体的にさびしさと同時に、優しさなのか、なにかやわらかい色合いも感じるような情景だと思いました。「死にたいさん」との関わりの中で、あなた自身が言葉にしてなぞりながら生きてきた記憶なのかなと想像しました。
家庭環境と学校はどちらもあなたにとって苦痛を強いる側面が強かったことを感じました。家庭については多く語られたわけではありませんが、幼少期から時が流れ父の死を経て「許す許さないではなく、確かにそこに在ったこと」という言葉になるまでには、多くの労力と時間があったのだろうと思いました。私は「苦しみにも意味があった」と他者が決めつけることにはかなり反対の気持ちがありますが、私自身の経験としても、希死念慮とともに長く生きてきたからわかること、みえるものもあるという実感があり、自分もその実感に救われているところもあると感じています。また私も苦しい気持ちや疎外感の中で、物語に救われて、その中に自分に似た誰かを見出して励まされてきたタイプなので、勝手にわかる……となっていました。
あなたが仕事をするようになってから、あなたの力や経験を活かして働くことができるようになっていったことを思うと、むしろ学校という環境が特殊で人の個性を活かすことがなかなかできない場所なのではないかとも考えていました。また、あなたがあなた自身の資質や思いをよく見つめた上で、うまくマッチする環境を選べたという側面もあるのかなと思います。
私は20代後半からこのサイトに関わり6年くらいなのですが、自分と同じではないけれどどこか近いところのある、仲間のような存在とサイトを通して出会い続けているように感じています。もちろんそれは私の勝手な感覚でしかないのですが。もしかすると、あなたが相談員として苦しさを感じている人たちと関わることにも近い要素があったりするのだろうか、と想像しました。
「死にたいさん」はあなたの中からいなくなったわけでもないのかなと思うのですが、昔よりはあなたも「死にたいさん」も寒くないところにいて、のんびりできていることもあるのかなぁ、と思いました。
私たちは有限の時間を生きていて、その中で望ましくないことも含め、受け取らざるを得ないことはたくさんあるように思います。たくさんの理不尽なことと、それだけでもないことの折り重なったあなたの歴史があり、この先また続いていくことは、このように言葉にしてもらうと改めて途方もないというか、すごいことだなと感じました。この先のあなたと「死にたいさん」のこと、あるいはそのほかのことも、未来のいつか気が向くことがあれば教えてください。