小学生の時、私の家庭は周りの友達とは少し違っていたように幼いながらに感じていました。父親に暴言を吐かれたり叩かれたりするのは当たり前、時には家の外に追い出されベランダでしばらく放置されることもありました。母親は見て見ぬふりをし、特に助けてくれることはありませんでした。姉とも仲は良くなく、喧嘩をしては力の強い姉に叩かれ、泣かされることが数え切れないほど多々ありました。そんな幼少期を過ごしたせいか、父親や母親、姉にはそれなりに和解した今でも相談できることはありません。幼稚園・保育園の頃から通っていた塾の先生から「妹は泣けばすぐ許されると思ってる」と言われてからは、泣くことはダメなことなんだと思うようになり、あまり自由に泣くこともできなくなりました。そんな私にも中学時代、はじめて頼れる人ができました。その人は先生だったのですが、すごく親身に私の話を聞いてくれました。ですが、この先生との出会いが今の私にとってはあまりよくなかったように感じます。言っていることが矛盾しているかもしれませんが、その先生に感謝をしてないわけではありません。当時、相談相手が1人もいなかった私にわざわざ声をかけて下さり、相談にのってくださるようになったことはとても感謝しています。ただ、そこで私は「頼る」ということを覚えてしまいました。人に頼ることがどれだけ自分の心が救われるのかを知ってしまいました。あの時「頼る」ということを覚えなければ、相談相手がいない今、こんなにも苦しい思いをせずにすんだのでしょうか。こんなにもつらく苦しい思いをするのであれば、あのとき「頼る」なんてこと覚えなければよかったと後悔でしかありません。
支離滅裂な文章、失礼いたしました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
後悔
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。あなたの中でずっと“泣けなかった時間”と“やっと誰かに寄りかかれた経験”が複雑に絡み合っているように感じました。幼い頃から、叩かれることや外に出されることが当たり前のように存在していて、それを止めてくれる人もいなかった中で「泣くことすら許されない」と思うようになった流れは、今もなお大きな影響を残しているように私は思いました。本来なら安心を求めていいはずの場所で、感情を出すことが危険や否定につながる経験が続けば、「感じること」そのものを抑えるしかなくなっていくものだよなと私も似たような経験をして思うことです。
だからこそ、中学で出会った先生の存在は、あなたにとって特別なものだったのだろうと想像します。初めてきちんと話を聞いてもらえた(受け止めてもらえた)経験は、それまで閉ざしていた部分を少し開くきっかけになっただろうなと。ただ、その「頼ることの感覚」が、今は逆に苦しさとして感じてしまうのは、せっかく手に入れた安心感が脅かされてしまっているというのか、知らなければ感じずに済んだかもしれないものを、一度知ってしまったことで、今頼れる人がいないのだということをはっきり突きつけられてしまっているような感覚もあるのかもしれないなと考えていました。
あなたの抱く後悔の気持ちの裏には、本当はまた誰かに頼りたいという気持ちも混ざっているように私は感じました。ただ、それを向けられる相手がいない現状が、より一層その気持ちを扱いづらくしているのではないかなとも感じています。
人は誰かや何かに頼らずに生きていくというのはできないこともないかもしれませんが、難しいことだと私は思っていて、“頼る”ということを覚えてしまったことが悪いとかではなく、相談するにしても寄りかかるにしてもその手段が分からなかったり、受け皿が不足していたり、そもそも“頼る”ことに対してハードルが高いと感じてしまう社会全体の構造に問題があると改めて考えたりもしています。
あなたにとって“頼る”ということがどういう感覚かまでは分からないですが、近くにいる人だけが全てではないですし、こうして心の内を死にトリに届けてくれたのも“頼る”ことの一つだと私は思います。
そう簡単なことではないですが、この先少しでもあなたが安心していられる人や場所に出会えることを願っています。また必要に感じられた時はいつでも訪れてください。
感想1
個人的にあなたが感じたような「後悔」の気持ちを抱いたことがあり、勝手ながら親近感を持ちながら経験談を読みました。人に頼ることで救われるということを知ってしまったがゆえに、頼る人がいない現状が苦しいという気持ちを自分も抱いたことがありました。「あのとき救われたことを思い出して苦しくなるぐらいなら、最初から救われた気持ちにならなきゃよかった」と今のあなたは感じているのかな…と思います。
家庭では対等ではない関係性のもと、暴言を言われたり叩かれたりしたとのことで、その心の傷はあなたにとって大きいものなのかなと思いました。家庭で孤独を感じながら生きてきたのかなと思います。
塾の先生に「泣けばすぐ許されると思ってる」と言われたことで、泣くことを我慢し、その代わり心の中でたくさん泣いてきたのだろうかと、あなたの人生を想像しました。あなたは家庭での苦しさ、孤独感に1人で向き合ってきたように思えました。
人間だから泣きたいときもあるし、あなたの感情や心はあなたのものではないかと私は思います。「泣けば許されると思ってる」と言われたときに「そういうわけじゃないし泣くのは私の勝手でしょ」と感じる人もいるかと思うので、その結果自由に泣くこともできなくなったというエピソードは、あなたなりの考え方、感じ方といったあなたらしさを反映しているように見えました。
今あなたは頼る人がいないみたいですが、どうしてなんだろうと私は疑問に思いました。物理的に周囲に人がいないのか、あるいは周囲に信頼できそうな人がいないのか、何かあなたなりのこだわりがあるのか…と様々な可能性を考えました。
私は人に悩みを打ち明けたいとき、オープンチャットに頼ることがあります。私は対面でなくても構わないと考えていますし、会話の履歴を見るとどんな返事をそのチャットの人がしているか分かるので温度感の心づもりができます。もし嫌な思いをしたら抜ければいいかとも思っています。
あなたにとって「頼る」って一体どんなことなんだろう、あなたなりの条件はなんだろうと深掘りしたい気持ちになりました。昔の自分が持っていた「頼ることの怖さ」って一体何なんだろうと考えさせられました。また、心理的な安全を感じられる場所がもっと社会に増えてほしいとも思うところです。