経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の夢と彼の現在

中学校一年生で鬱病、パニック障がいと診断され、不登校でした。
気晴らしに小学校の時に仲の良かったメンバーで集まろうよ、と当時の友人が誘ってくれたので、数時間ほど公園で話したりしていたと思います。
最初はそれなりに楽しかったような気がします。
そろそろ日が暮れてきたね、という頃に、メンバーのうちの3人の男子が、私のことを「ブス」「デブだよな本当に」「鬱で不登校とかウケる」と私を目の前に嘲笑し始めました。
当時ストレスによる過食で小学生の時より太った自覚があったので、私がブスだから、デブだからこうやって言われるんだとそのまま笑って流しました。

その後のことはよく覚えていませんが、友人も誰も庇ってくれなかったこと、ストレスによる過食が増強されたこと、男性に対しての恐怖心が生まれ、近所もろくに歩けなくなったこと。
確実にあの出来事で私の心は傷ついてしまったのだと思います。

鬱病の人間に、健常な人間にでも言ってはいけないような罵詈雑言。
それでも中学生の頃の私は、私が醜いのがいけないと自傷を繰り返しました。

今でこそ普通に男性と話すことができますが、お付き合いはできません。
トラウマになっているのだと思います。

でも幸いにもこの出来事を最近までは思い出しませんでした。
なぜ思い出したのかというと、私を嘲笑したうちの1人が医学部に入ったと風の噂で聞いたからです。

小学生のころから、私はずっと医師を目指して勉強していました。塾にも通って、好成績を目指し続けました。高校生の時に成績や体調を鑑みた結果、別の道に進みましたが、まさか、幼い頃の話とはいえ、私の心に暗い影を落とさせたその相手が、私が憧れた職業に就くとは…

きっと努力したんだな、という思いと、あなたはのうのうと勉強ができたのね。私はあれからずっと鬱病の薬を飲み続けているのに、苦しんでいるのに。と恨めしい気持ちになってしまいました。

家族や友人に恵まれた今、病気を寛解させようと戦っています。

ですが、時々、どうしても生きているのが辛くなります。希望を見失いそうになります。

彼らがいなければと恨む気持ちも一緒に、消えてしまえればいいのにな。とたまに考えてしまいます。

感想1

自他を省みながら、今現在やそこに至るまでをとても整理して書かれているように感じる文章に聡明な印象を受けながらも、どこか滔々と書かれているようにも見えることが、あなたの辛さを際立てているように感じて、身に詰まされる思いで読みました。

鬱病とパニック障がいを患い、不登校になったことにも何かしらの理由があったのだろうと想像しています。それだけでも当時のあなたにとっては辛いものだったかなと思っていますが、そのなかで距離ができてしまった学校やそこでの人間関係を考えたら、当時の友人が誘ってくれたことには純粋に嬉しさやありがたさなどもあったのかなと考えています。それだけに突如として向けられた心無い言葉の数々は、とてもあなたを傷つけるものになり得たのでしょうし、(不登校だったことへの負い目などもあったのでしょうか…)あなたがどこか自分に落としどころをつけようとして笑って流していたとも思えることには、私自身、相手への憤りとともにやるせなさを感じずにはいられませんでした。

その後はよく覚えていないこと、友人が庇ってくれなかったことはトラウマという心の傷になるには十分な気がしますし、自分に原因を求め自傷を繰り返すようになったことや時間が経っても今なお男性に対する恐怖心が拭えないことにはその傷の深さを感じています。「今でこそ普通に男性と話すことができますが」ということに少なからずほっとしている私がいますが、それは「傷が癒えた」ということでは決してないのでしょうし、時間の経過とともにあなたが乗り越えようとしていた矢先に耳に入ってきた話は、今のあなたの土台を根幹から揺さぶるものであったのかなという気がしています。

別の道を進むことになったとはいえ、中学での出来事以前の小学生の頃から医師を志していたこと、その時はもちろん、その後の人生にも翳りを落とすことになった体験以降も「最近になるまで忘れていた」ということには、あなたの強固な意志や、自分に起こった辛い体験に基づいた自分自身、ひいては自分の人生を切り分けられる強さがあるように私には率直に感じられました。それはあなたに対して加害の言葉を向けた相手の研鑽を、それはそれとして客観的に慮れるまなざしにも顕れているように思えます。

しかしながら、そういった俯瞰的に自らを見ようとするまなざしや寛解に向けて戦っている今があるからこそ、自分の中で湧き上がる感情があるのもまた自然なことと言えるような気がします。それは傷を負ったあなたに対して誰が責められるものでもない気がしますし、恨めしいと思ってもいいのでは?と思う私がいます。

相手が介在しない過去のトラウマやそれが起因する現状と向き合ったり、解消することは容易ではないのかもしれません。ですが、辛い傷つき体験の中で今あなたが「家族や友人に恵まれた」と感じる今があるのは、あなたの人間性や他者と向き合う姿勢があればこそと私には思えたので、そういった関係性や環境の中で少しずつでもあたなの傷が癒されるこれからであってほしいなと思いました。

感想2

いつかのあの日を思い出す、たまたま目にした耳にしたその情報で当時の自分に戻されてしまう。あれから嫌と言うほどに傷つき続けていたのに、また自分を苦しめるのかとあなたの悔しさや腹立たしい気持ちを想像します。同時に、憎い彼とあなた自身の人生を比べてしまったショックもあるのではないかと経験談を読んで感じました。

世の中には、誰かを蔑みそれを言葉で発しても、相手や誰かの傷つきになるという想像力を育んでこなかった人たちがいるような気がします。選挙時期になると政治家同士で強い言葉を向け合い、同調する世論がまた暴力的な言葉を無差別的に発信する。そんな場面に遭遇するとうんざりする気持ちと同時に、傷ついている自分を感じます。性格や根性が悪くても順風さに近いところにいる人たちがいるこの事実に、不条理さのようななんとも言えない気持ちになり、まさに「恨めしい」というあなたの気持ちに共感する思いです。

あんにゃろうと彼を恨むあなたも、これまで懸命に踏ん張ってきたあなたも、うつ病と診断されたあなたも、家族や知人に恵まれたと感じられるあなたも、全部正直に生きていてあなたが悪かったことなんて何一つないと思います。辛い思いをしてきた人が生き難い、そんな世の中嫌いだと叫び、私はあなたの味方ですと言いたくなる私がいました。投稿いただき、ありがとうございました。

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