経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ずっと過去に取り残されてる気がする

小学生の時は、毎日登校・習い事も何も苦ではない人間でした。
中学生の頃、ある朝突然「学校行きたくない」という思考で頭がいっぱいになり、布団から出られず、家から出られず、学校に行けない。
不登校と呼ばれる学生になりました。
その後、公立の高校を受験・合格。高校生でも不登校になり、その後通信制の高校に転校、そして卒業しました。
専門学校に進学。その後卒業しました。

恵まれた環境下だと思っています。

そう刷り込まれたのかもしれませんが、少なくとも自分自身もそう感じています。
通信制高校も専門学校も学費は安くなかったはずですし、両親は元々不登校反対→少しづつ理解してくれましたし。
家族はそんな不登校な私を受け入れてくれました。

そんな私は今、フリーターとしてこの世に生きています。
専門学校を出たのに、就活に失敗しました。やりたいことはありましたし、就きたい会社もありました。行動力が伴いませんでした。

不登校時代から精神科に通院、専門学校を出るタイミングで症状緩和としてカルテを閉じてもらいました。
夜は寝れるようになりまたし、薬もいらないくらい自分で機嫌を取れるようになりましたから。
周りの人を見る度に、自分の体力のなさ、精神力のなさ、メンタルの弱さ、体の弱さ。全てに直面します。
周りの人のような体ならどれほど良かったか。小学生の時の私なら。と、どれほど思ったか。

小学生の時のような、純粋無垢で、未来を夢見ていたあの頃に戻りたい。と、よく思います。成績も決して悪くはなく、愛想も良く、友達に囲まれていた明るい子でしたから。
あの時ああしていたら。と、何度も考えます。

しかし、思ってしまうのです。あの頃の自分に顔向けできない。未来に夢を見ていた私には到底想像もつかなかったような絶望の中に私はいるのだと。
現実はそんな優しくなかった。
症状緩和で行かなくなった精神科。
ですが今も尚、霧のように体にまとわりつく希死念慮や自傷願望。少しの衝撃で希死念慮が膨れ上がり、目の前に現れるのです。

調子が悪いと自分で色んな理由を付けて言い訳をするのです。
ホルモンバランスが悪い。自律神経が乱れた。疲労・ストレスが溜まっていた。生理前だから。季節が悪い。寒暖差が…
自分でも愚かだなぁ。と笑ってしまいます。いつからこんなに心身が弱くなったのか。そんなことをいつまでも考えています。
答えなんてないと分かりきっているのに。
もう元には戻れないと理解しているのに。

鬱になった人は、『緩和』はするが、『修復』、『完治』は無い。
よく聞きますし、その通りだと思います。私が実感してます。
1度壊れてしまった物は、元には戻せません。
紙を1度折ったら、消えない線が着くみたいに。
絵を描いた紙をまっさらな元の状態には戻すことが出来ないように。

あの時は大丈夫だったものが、いまは苦手。なんてことがざらにあります。
光が苦手、大きな音が苦手、匂いが苦手、振動が苦手。
五感が鋭くなったのか、感受性が豊かになったのか。
『完治』は私が1番望んでいます。ですがどうやったってそうはならないんです。ないものねだり。わかっていても、それでも憧れを抱いてしまいます。

過去を思い出します。
過去の健康体に思いを馳せています。
過去の栄光に縋ってしまいます。

大人になると、子供の時の環境とは変わってしまいます。
21になったのに、私の心は未だに子供のまま。
変わらなくては、といくら頭で思っても体や精神は着いてきてはくれません。昔通用したことは今は通用しません。昔知らなかった事を今は覚えなきゃ行けません。
私は過去に取り残されています。

出来レースの様なものがあるとしたら、私は最下位だと思います。
人生のマラソンがあるとしたら、私は置いていかれていると思います。
みんなが前を走り、続々とチェックポイントを通過していく中、私は永遠とチェックポイントに辿り着けず、走っても走っても見えない場所を追い求めて走るのです。
転んでも、雨に打たれても、骨折をしても、足が動かなくても。
差が、縮まらないのです。
周りが、大学に進学した。就職した。友達と遊んだ。結婚をした。海外に行った。友人のなんでもない毎日の思い出を見る度に苦しくなります。
私は出来ていないのに。
でもそんな自分も嫌になります。
その人にはその人の辛さ・苦しみがあって、私が見ているものだけでは無いだけなのに。
わかっていても苦しくなります。そんな自分も嫌になります。
永遠とループします。

フリーターとして働いていますが、今では週4のフルタイムもしんどいです。
体力もメンタル面もボロボロです。
しかし働かなくてはならないし、引きこもってるだけでは生きていけません。
職場も身体に合いません。
転職を考えました。でも、いざ考えると全てが嫌になってしまいます。情報を体が受け付けません。脳がフリーズしてしまいます。
そんな自分も嫌です。
でも職場も嫌いです。
狭間で反復横跳びをして、疲れて、現状維持のまま眠ります。
そしてまた起きて、絶望します。
あぁ、朝が来てしまった。今日も辛くなるんだろうな。
それしかないです。
希望の朝なんてないです。
毎日が輝いていた頃に戻りたいです。

感想1

経験談へ投稿いただき、ありがとうございます。
日々、休む間もないほど、自分の心身について悩まされたり、向き合わさせられたりすることが多いことが経験談から伝わってきました。

「ずっと過去に取り残されている」というタイトルでしたが、あなたの中で、先に進みたい…今を思うように生きたい…!そんな感覚があるのかなと感じましたし、あなたの中での理想像がなんとなくでもあるのかなと感じました。しかしながら、自分の心身の影響で、「わかっていても、できない…」と感じることが多いことから、そんな自分に嫌気がさしてしまったり、自分を責めるしかなくなってしまったりし、逃げ場がなくなる感覚がありそうだと感じました。そして、あなたの中で、「こうあるべき」というような理想像があるとしたら、ただ生きている(日々を過ごしている)だけなのに、勝手に成功体験ではなく、失敗体験が積みあがってしまっている、そんな感覚から自己肯定感が下がり、自己嫌悪に陥ってしまうところもあるのだろうかと考えました。

しかしながら、小学生の頃に戻りたい…!と思わずにはいられない程、あなたの中で、どんなものも障壁に感じることなく思うように過ごせたのだろうなと私は想像しました。だからこそ、今のように感覚が敏感になり、いきなり、自分の世界に障壁がありふれちゃったとしたら、それは生きにくいと感じる、そして、小学生の時のように…と感じるのも自然なように思えました。

他にも、今の状態のあなたは色々なことが複雑に絡みあって成り立っているのだと私は感じているのですが、あなたの中で「自分は恵まれているのに」というように環境的要素にはあまり問題を感じていないからこそ、自分にこうなった要因がある、と自分を責めてしまうことしかできずに、一層追いやってしまうのかなと思いました。(もうすこし、明確に他に要因があるということがわかれば、もっと矢印を分散できそうですが、それがわかりづらいからこそ、「自分がダメなだけなんじゃないか」と思わずにはいられなくなってしまった、というような印象を受けました。)

個人的には、確かに、まだまだ、今の世の中では「これは当たり前」と言われることはすごくあるなと感じます。「できていたことができるのは当たり前」そんな感覚も持っている方もまだまだ多そうです。しかしながら、立ち止まって考えると、そもそも人それぞれ、心も体も違うし、その時のコンデイションや環境も異なるのだから、できることもできないことも人それぞれだし、できないという人もこの条件下ならできるとか色々幅がありそうだなと感じてます。だけども、どうしてもその意見よりも前者の考えで育った方が多いような気がしていて、それが勝手に浸食して自分を苦しめてくるし、他者もその考えの元に振舞い、傷つけられるってこともまだまだ多いような気がしました。

だからこそ、あなた自身も普段から、自分の心身で悩まされたり、他者の振舞いで嫌な想いをすることもあるのかなと思いました。

きっと、自分のことを考えたくて考えているというよりも、考えさせられるという感じに近いのかもしれませんが、答えがなくてもそれをずっと考えるということはそう簡単なことじゃないような気がしてます。そして、改めて考えてみると、自分の人生をまだあきらめたくないからこそ、のものようにも勝手ながら感じました。

あなたが真剣に悩み、本当にそれで苦しむことも多いことを考えると安易に発言はしたくないという気持ちでしたが、私なりに考えてみたことを書いてみました。

また、よかったら、書きに来てください。

感想2

心身が万全の状態でない中、働いてくたびれているあなた、過去が足元に絡みついているあなたを想像します。「過去に取り残されている」感覚については、私にも覚えがあるなあと思いながら読んでいました。

過去のことはどうしても不可逆で、どれだけ考えたってどうしようもできないのに思い出してしまうこと、ふと心だけが昔に戻ってしまうような感覚になることが私にはあります。「どうしようもない」と分かっているのに、それに反して考えてしまうのが一番辛いところではないかなという気がしています。自分が持っていなくて他人が持っているもの、今の自分が持っていない過去の自分が持っていたものに意識が向いてしまうと、その分今・目の前に集中することが難しくなって、これまた困ってしまうと思うのです。もしこんな感じであるのならば、きっと動こうとしても動けないし、心が疲れてしまうのは当然だと感じました。

人生のマラソンの例えから考えたのですが、社会の中で生きていると、みんながたった一つのルートを走らされているようだと感じます。遅れてもダメ、ルートを逸れたらダメの理不尽な強制マラソンです。しかし、人はみなそれぞれの方法で、それぞれのスピードで、それぞれの好きなルートを通って好きな場所へ向かう(もちろん移動しなくてもいい)ことができるはずなのではないかと思います。
けれども、現状、指定された一本道以外のルートが舗装されていないと感じます。だからこそ、人はコースアウトを非常に恐れたり、実際外れてしまった人がそのことを悔いて自分を責め続けたりする、ということが起こるのではないかと考えました。また、なぜか勝手に順位付けされているように思わせているから、先頭(しかし、これも何を以って先頭なのか?)の集団に付いていこうと必死になるあまり、マイペース以上のスピードを出して疲れてしまうのではないかとも思います。
私は今、コースの途中でぐったりしている人、指定のコースから外れて途方に暮れている人がどれだけいるのだろうかと思いを巡らせています。私自身もコースから逸れて、体育座りをして周囲を眺めながら考え事をしています。多様な事情を抱えた個人がひしめく社会においては、一つのルートから外れれば即路頭に迷うような不親切設計ではなく、たくさんの道があるべきなのではないかと強く思っています。でも、悔しいですが現状はそうではないし、過去がしつこく付き纏ってくることもあると思います。そういうとき、またここを使ってくれればと思いました。

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