経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私が私でなければよかったのに

 思い返せば小学生の頃から、少しばかり精神がおかしかったのかもしれない。明確に、担任に嘲笑われ理不尽に長く怒られるなどの日々を送っていたのが小学4年頃の話。それまで、先生の話をきちんと聞き提出物も完璧にこなす優等生ちゃん、であろうとしていた状態がみるみると崩れていき、最終的には提出物もほぼ出さなければ授業、勉強、すべてが疎かになっていった。
 学年が上がる頃、私は完全なまでに人間不信に陥っていた。とにかく気分が重く沈むことがとても多かった。中学では、1年間は上手くやれていた。提出物は、多少出すようになった。けれどなんだか勉強という行為に向き合う事自体が少し怖くなったような感覚で、テストは全てノー勉で受けていた。記憶力だけは多少あったのか、初めこそ全てを平均点以上の成績で収めることができていた。けれど中2になる頃には成績が段々と落ちていった。それと同じくらいの時期から、いじめられるようになった。直接的な暴力というわけではないものの、出会うたびに大声で暴言を吐かれる、その程度のいじめが続いていた。それが1ヶ月ばかり続いた後、席替えがあった。くじによるランダムの席替えで、私の席はいじめの主犯と隣だった。もう嫌になってしまって、学校にいけなくなった。中学3年になってからは、また暫くは通えた。けれどまた半年経った頃に学校にいけなくなった。高校は全日制に行った。親にそれしか認めてもらえなかったから。1年ほどはまた続いた。けれどやはり、何かと人から嫌われてしまっているのか、はたまた嘲笑の対象と化してるだけなのかは分からないが、悪口を言われる機会は多かった。高2、ぱったりと学校にいけなくなった。しかし酷く正直な話をするなら、自殺しようと思ったから行かなくなった。
 前述のとおり、人に嫌われることが多かったのが、そこに至った一番の理由。思い当たる理由なんていくらでもある、コミュニケーション以外でも、運動も勉強もてんで駄目。だからこそ自分が自分であることこそが最大の罪だという確信があった。一度死ななきゃやり直せないのだという、確信があった。
 しかし結局ここから1年もの間自殺をしていない。それは完全に臆病だったから。死ねていたほうが正直幸せだったのではとは思う。なんで生きてるのかなんて、わからない。結局高校は中退という形になった。人嫌いが更に加速してしまって、自力で通信制に行く決意もできなかった。ここ数ヶ月は高卒認定取ろう、なんて思いながら、ダラダラと毎日を過ごしてしまっている。ほんとは高校も大学もちゃんと行きたかったな、私が普通に普通のコミュニケーションができて、嫌われる人間じゃなくて、精神がおかしくなくて…。ああ、こういうことを考え始めると、強く強く、「私が私でなければよかった」と思ってしまう。宇宙人に人格を入れ替えられた方がまだ人間として幾分か有意義だ、そんなSFチックな妄想しか救いがない。
 人と関わるとか、嫌われないようになるとか、もう最近はそんな望んじゃいない。ただ、生き続けるには、ずっと苦しい。私はずっと紛い物なんだ、という意識が渦巻いて離れない。小学校の頃から今まで共通して言えるのは、私はいつまでも孤立していた。1クラスに何十人もいる中、明確に孤立する存在で有り続ける確率、単純に計算してしまえば余計に辛くなるその確率。その中に在り続けて自尊心も何もあるはずがない。培われていったのは、私は紛い物である、このクラスの「みんな」の例外で有り続けているという実証だけだった。余りが先生とペアを組むだとか例外的な対応をされたり、特別視されればされるほど強固になっていく。学校という場に馴染めなかっただけなのだろうか。残ったのは、高校中退の4文字だけ。惨めったらありゃしない。

感想1

タイトルに惹かれて読ませていただきました。淡々と語られる学校での出来事の中に、あなたのこれまで受けてきた傷と、どこか感じないようにしている痛みを感じています。自殺しようと追い詰められるほど苦しい状態の中、それすら一人で抱えることしかできないような、そんな周囲とあなたがいるのでしょうか。

「優等生であろうとしていた状態」という言葉から、あなたにとって学校社会の中でうまくやることが自分の居場所であり支えだったのかもしれないな、と想像しています。担任の理不尽な態度は子供の頃のあなたにとって、何かが崩れ全てが疎かになるのが容易い出来事だったのかもしれません。学校を休みたいと思っても不思議ではない状況だなとも思うのですが、あなたはその当時どんな気持ちで学校に行かれていたのだろうかとも気になりました。

「勉強という行為に向き合うこと自体が怖くなった」と書かれているのは、自分の意思ではなく、何か外的な要因のために向き合おうとしていた理由があったのかなとも想像しています。人間不信や抑うつ気味になるまで学校に通い続け、その中で成績が落ちていくことの描写がされていたことから、あなたの中で成績というものが一つの他人や自分をはかる物差しであり続ける部分もあったりしたのでしょうか。

心の傷が癒えないまま、それでも中学校や高校のはじまりや学年の節目には、頑張れるかもしれない、そんな風に自分に鞭を叩きながら学校に通ったのではないだろうかと思います。楽しいからや安心だからといった理由ではなく、きっとまた別の理由、或いは、自分の望んでいるもの、そこに至るために頑張ろうとするあなたがいるような気がしています。

人から嫌われるという言葉の裏側に、優等生であった頃のあなたの幸せがどこかちらつく印象も受けたりします。もしかしたら「優等生(勉強ができる、運動ができる、面白い、コミュケーションが上手い)であること=人から好かれること」というイコールがあなたのどこかに植え付けられているようにも思います。

「私が私でなければよかった」という言葉がとても印象的ですが、もしかしたらずっと自分以外の何かになろうとしてきているのではないかな、とも思いました。「あなた自身でいること」それだけで愛される安心感が、もしかしたら家族の中にも学校にもなかったのかもしれません。そのうちあなた自身が「私が私であることを許せない」、自分をずっと否定し続けている、自分を紛い物に感じるのもそこからくるのかもしれません。そんな状態でポジティブに生きられるかといったら、それはとても難しいことのように思います。

文中にあなたの感情や気持ちの描写があまりないことや、家や家族の描写が少ないことも気になりました。学校生活が苦しい中で、学校を変えることや学校を休むことの選択肢を許されないのはとても辛いことですし、自力で通信校に通うというのは一人で決断するのは簡単にはできないと私も思います。

生き続けるには苦しい、死にたいという気持ちと、今のあなた自身を丸ごと受け止めながら、もう少しあなたの生きづらさと、今後について一緒に紐解いてみたい思いでいます。こちらのサイトや他の相談窓口などもぜひ活用してみてほしいです。

感想2

タイトルは「私が私でなければよかったのに」ですが、私は読み終えて「あなたの環境が、別のものであったらよかったのに」と率直に感じました。経験談に表現されたあなたから見えていた風景を想像すると、あなたは、起こっている物事や生きている世界について、それは何なのか、どうしたら平穏に過ごすことができるのか非常に曖昧な中にいたように感じました。ひょっとして、あなたが知りたいことをわかるように教えてもらう機会が少なかったのかもしれないと思いました。よくわからない世界の中で、あなたは何とか限られた情報や手掛かりをもとに自分なりに生き抜く方法を必死に見出していった姿が思い浮かびました。それはとても孤独な作業だったのではないかと思いました(的外れだったらすみません)。あなたは自分自身に何か課題や不具合が生じていたように捉えているようでしたが、私はあなたに何か課題があるというより、周囲があなたに対しして不親切、不誠実であり、そして学校のいじめの経験に至ってはとても理不尽だあり、周囲の問題が大きいと思いました。
あなたは自分自身に何か問題があるのではと感じ、私は周囲の問題が大きいのではないかと感じる…この違いは見方によって生じるズレであって、どちらも間違ってはいないのかもしれません。ただ、子どもには自分らしくのびのびと生きる権利があり、大人や社会はそれを応援する責任があります。その立場や役割にのっとると、改善をすべきなのはあなたではなく、社会や大人の方だと私は明確に思います。そのうえで、冒頭にも書いているようにあなたが小学生の頃から何かしら周囲とうまくいかない悩みや精神的な違和感があったのなら、その悩みや違和感と一緒に向き合って、考える大人が必要だと思います。私はこうして経験談を通じてあなたと出会ったので、本当にささやかですがあなたの苦しみをそのまま受け取り、一緒に考えたいと思い、真っ先に思いついたのが「学校」のことです。あなたはこれまでずいぶんと学校で苦労してきたように感じました。世の中的に学校は誰もが行くべきところで、行くことが前提に考えられていますが私はそうは思いません。学校は子どもがいろいろなことを学ぶための重要な場所であるはずが、子どもの意思や主体性があまり反映されず、どちらかというと大人の都合で組織されたり、ルールが決められた特殊な集団です。しかも、その特殊な集団に一方的に適応を迫られる厄介なところです。特殊な集団に合っている子どももいるかもしれませんが、合わない子どももたくさんいると思います。でも実際には適性に関係なく、行くものと見なされて、行けないことが不利益につながることも少なくありません。だからこそ、あなたは高校中退の4文字がとても不安なのだろうと感じました。私は学校がしんどいのなら、無理をしていく必要はないと本気で思っています。そして、学校が苦手な子どもたちのために学校以外の選択肢が豊富に用意されるべきだと思っています。私の周りには学校に馴染めず行けなかった人や自ら行かない選択をした人もたくさんいます。その人たちはそうした現実の厳しさに苦労もしていますが、どちらかというと学校から離れて息を吹き返した人の方が多いように思っています。あなたはこれまでの経験から人への恐怖や不信感は大きく、自分がいてもいいと感じる場所や自分に合った学びの場がある実感が持てないかもしれません。でも、こうして感じることを言葉にして届けることができるのなら、それだけですでに自分の道の第一歩は踏み出しているように私は思いました。あなたが少しでも、自分らしく過ごせる時間や空間を得られることを影ながら願っています。こちらにも、またいつでも気持ちを届けにきてください。

一覧へ戻る