経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

お先真っ暗

先週母が急に倒れてそのまま亡くなりました 。私はもっと感謝の言葉を伝えとけばよかったもっと 愛情表現をしとけばよかったと とても後悔しています。父も余命が1年と宣告されています。大好きで大切な人が亡くなって 私はこれから生きていく意味があるのかと不安を抱えています。人間誰しも望んで生まれたわけではないし、自分の最後くらい自分で決めてもいいじゃないと思います…死にたいなって周りの人に言うと止められるけど、自殺をとめる権利は誰にもないと思います。自分の命は自分のものだし、誰しも死ぬのを望んで生まれたのではなく、死にたいと思う環境とこの社会がその願望を強くさせてます。私は死ぬのが怖いので死ねませんが、できるなら この辛い現実から逃れて全てを忘れて何もない 無の世界に行きたいです。
なんで、この世はこんなに不平等で、命ってこんなに儚いんだろう…もう、辛い思いをしたくない
生きていてもこれから絶望しかない、お先真っ暗な人生だなって思っています。

感想1

大切な方の急逝、それだけで、お先真っ暗と思うには十分な出来事だと、感じます。どれだけ感謝や愛を伝えられていたとしても、足りなかったと思うものなのかなと…しかし、いくら伝えても無限に湧いてくる感謝や愛が、何よりその気持ちを物語っているのではとも思ってしまいます。私も、大切な存在との別れの辛さを想像してしまい、命の儚さ、時の流れの残酷さを前に、無力感でいっぱいになることがあります。なので、もう辛い思いをしたくないという気持ちも、一人取り残されるような絶望も、痛いほど伝わってきました。
死にたい気持ちを否定する権利や、自殺を止める権利は、誰にもないはずなのに、死にたいと言うと「そんなこと言ったらだめ」「そんなこと言わないで」と、発信者が否定されることは少なくないような気がします。「死にたい」は概ね、何かの影響を受けて受動的に湧き起こる感情という体感があります。あなたの仰るとおり、環境や社会がその気持ちを強くさせているものだとも思いました。
だからこそ、社会の構成員の一人として、死ななくても大丈夫かもしれないと少しでも思えるように、皆で支え合いながら、どうにか生きていくことができたらな…少なくとも死にトリはそんな場所であってほしいな…と個人的に思っています。投稿ありがとうございました。

感想2

経験談へ投稿いただき、ありがとうございます。
父親さんの余命宣告ですら、まだ心の整理がつかず、戸惑っていた状況だったのではないかと考えるところですが、それに加えて、母親さんの突然の死…。あなた自身、父親さんも母親さんも大好きで大切な人と表現されていたので、そんな存在が10代という若さにして、急にいなくなるとしたら…。どんなに悲しくて、不安だろうかと考えずにはいられませんでした。そして、あなたの「お先真っ暗」というタイトルにされていましたが、きっと、あなたの中では、お父さんもいて、お母さんもいて、そして自分もいて、、、というようにあなたの未来には2人と自分が当たりまえのように描かれていたのではないしょうか。
私自身はそれを前提に〇〇をする、〇〇になると自分のこれからを組み立てていただろうと思ったし、そうでありたかっただろうと思うので、お先真っ暗と思うことを受け止めたい気持ちになりました。そして、今は「死にたいと思う環境と社会が自殺願望を強くさせる」とありましたが、それほどまでに、今の状況があなたを押しやっているように思います。
今はもっとこうしたかった、もっとこうしたい、そんな気持ちもいっぱいあるんじゃないかなと思います。あなたにご両親以外に頼れる人がいるのかは気になりつつ、またよければ、ここを使いながら、気持ちの整理や、自分の気持ちをただ吐き出す場所として活用していただけたらと思いました。

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