経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

もう頑張りたくない

昔から親や先生に叱られると、頭が真っ白になってただ泣くことしかできなかった。そんな自分が嫌いだった。あまり興味はなかったが、父がやってほしそうだったので小学4年生の頃に地元の野球チームに入った。初日は泣いて帰ってきた。別に野球が好きなわけではなかったが、いつの間にか父との自主練が始まった。休みたいというと「何でだ」と圧をかけて詰められた。ミスをする度に怒鳴られた。野球が好きなわけでもなかったし、何回も怒鳴られるうちに、父の顔を見て上手く話せなくなっていた。今でも目を見て話せない。大きな声で詰められると自分の声が震えて頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。詰められたらたぶん今でも泣く。当時は小学校でも何回か軽いいじめに遭っていて、誰かに自分の意思を伝えることが苦手だった。転勤族だったので数年後引っ越した場所でも野球チームに入った。そこは前の場所よりも厳しくて、父との自主練の回数も増えた。辞めたいと言ったり誰かに相談する発想は何故か思い浮かなかった。嫌だけどそれが当たり前だと思っていた。他にも楽しいことはあったから耐えられた。褒められると少し嬉しかった。中学校に入る頃になるとまた引っ越した。自分は何も言っていないのに野球部に入ることが当然のようなことになっていて、それに従った。中学二年生のときに、ふと自分はなぜ野球をしているのかと思い、そこで初めて野球を辞める意思を伝えることを思いついた。父に面と向かって話すと怖くて何も言えなくなると思って母に伝えてもらった。「お前は辛いことから逃げた」と激怒された。母はあまり庇ってくれなかった。一時間弱ほど一方的に詰められ、自主的に運動するなどの条件を出されて野球を辞めることができた。最後に、「お前にホームランを打たせてやりたかった」と泣いていた。結局父から「辛かったら辞めていい」とは一言も言われなかった。中学の頃は比較的勉強ができて、自分の取り柄はそれくらいだと思っていた。自信が欲しかったから勉強を頑張った。そのおかげか地元でも有名な高校に進んだ。大学受験のために頑張るのを親からは期待されていた。野球を辞めたことを負い目に思っていたのもあって、それに応えようと思った。高校一年生の夏休み、予定を立ててその日にやるべきことを早く終わらせて自分の時間を作ろうと思った。それを見た母親から、追加の課題を出されて、自分の中の何かが切れるのを感じた。勉強が難しくなったのもあり、やる気が出ず、あまり身が入らなくなり、結局大学受験では浪人した。やらなくてはいけないと分かっているのに問題集を前にすると何もしたくなくなり、シャーペンを持ったまま一文字も書けずに一日が終わったこともあった。学歴系の動画をリビングで大きな音で流して見せてくる父親が嫌だった。結局一浪して、志望より一段階下の大学に進んだ。大学の内容は難しく、浪人の疲れもあってかほとんど勉強しなくなり、単位も落とした。テスト前になると頭が痛くなる。趣味もいくつかあったが楽しめなくなった。浪人中殆ど人と話さなかったせいか、人の名前がなかなか覚えられず、あまり友達もいない。今の状態から立ち直って早く勉強しないといけないのに回復したときに向き合うことになる問題を考えると何もしたくない。そうして問題を先送りにする自分がどんどん嫌いになる。

感想1

本当に今までお疲れ様でした。私は大人が子どもに対してもっともな理由をつけて大人本意の願いや期待を一方的にかけることに心底うんざりしています。期待もしくは「あなたのため」という名目で子どもの気持ちを無視したり、意思表示を阻むことは大人としてもっともやってはいけないことの一つだと思っていますが、あなたが証言してくれた通り、その実態はかなり深刻に蔓延しています。あたかも優しさや正しいことのように思える期待の押し付けは子どもにとって跳ね返すことがとても大変なことだろうと思います。しかし、あなたは中学二年生の時にその理不尽さに気づき、意思を伝えようとして、母親経由という伝え方の工夫まで考えて実行しました。私はスタンディングオベーションをしたいぐらいの気持ちでその意思と行動を称えたいと思いました。ただ、それなのに返ってきた父と母の反応があまりにも残念でした。しかし、その現実を前にあなたはきっぱりと「母はあまり庇ってくれなかった。」「結局父から「辛かったら辞めていい」とは一言も言われなかった。」とまっとうな表現で大人を考察しています。その姿に頼もしさを感じています。
長い間、期待に応えようとして自分の気持ちや意思を置き去りにして必死に生きてきたことで、あなたの心身は想像以上に消耗し、傷ついてきたのではないかと思いました。何もできない状況になることも無理もないと思いますし、受験や大学の授業など計画通りに頑張れないのも当然だと思いました。タイトルにあなたが書いているように「もう頑張りたくない」という素直な気持ちが全てを表していると思います。あなたはもう十分すぎるぐらい頑張ってきたのですから、頑張らなくてもいいと私は伝えたいです。最後に「問題を先送り」という表現がありましたが、私には「問題を先取りさせられた」ように思えます。もっとも、そんな問題は本来先取りしなくてもいい問題だと思います。そして、もし、今あなたが先送りにしていることがあるのなら、それは新たなスタートのチャンスなのかもしれないと私は思えます。ここにたどり着いて、紛れもない意思表明をしたことは、あなたがずっと心の深いところで大切にし続けてきた自分の気持ちが力を発揮していることを意味すると私は感じています。この意思表示はあなたにとって何らかの第一歩になると私は感じました。
今はとても疲れ切って何もできない気持ちになっているかもしれませんが、あなたがここまで生き抜いてきたことを私はしっかりと受け止めました。少しずつでもいいので、自分のやりたいことを、自分の気持ちと相談しながら確かめていけたら…そんな姿を静かに想像しています。

感想2

感想を読んで色々感じたことがあります。
小学生から今まで父親が望むあなた、違う表現をすると父親が主語の人生をあなたが送らざるを得なかったことがよくわかりました。あなたの意思や感情は無いものとされ、野球を通して頑張っている子ども、それをサポートしている自分…という父親の物語の中であなたが演じさせられてきたようなイメージも湧いてきました。その中で「辞めたいと言ったり誰かに相談する発想は何故か思い浮かなかった。嫌だけどそれが当たり前だと思っていた。」というあなたの言葉が表す通り、一方的な「日常」や「当たり前」って思考を停止させ、選択肢を無いものとするんだなと私は感じました。しかしその環境が変わらなくても「そこで初めて野球を辞める意思を伝えることを思いついた。」と気づけたのは、あなたが成長して物事をわかるようになってきた(親のいうことがすべてじゃないと思えるようになってきた)ということなのかな…。そして自分の自由がないと感じた時「自分の中の何かが切れるのを感じた」というのは限界の表れだったのかもしれません。SOSを誰にも気づいてもらえずに従い続ける(意思を奪われ続ける)のにも心身の限界があったのでしょう。
自分の選択肢がない状態から自ら選択肢に気付いたこと、さらに体のSOSを感じて動けなくなっていること…この経過を見るとあなたなりに何とか自分の意思や心を守ろうとしてきた結果の今、なのだと私には思えました。
今はとても頑張れないでしょう…体は正直なものです。何も不思議はありません。それだけ今まで頑張って、頑張って、放電しすぎてもう充電を使い果たしてしまったのでしょうから。休むときなのかも…と私はあなたに伝えたいですがあなたはどう思うでしょう。
人が頑張るとき、それにはある程度充電された土台が必要です。そういう土台って自分の意思を尊重されることで育まれます。これまで尊重されることが少なかったあなたの土台はまだ不安定だと思います。この投稿はあなたの意思によって書かれました。今は動けなくても気がむいたら自分の意思を自分の言葉で表してみてほしいです。

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