友達がほしいです。
子供のころから人付き合いが苦手で空気が読めない人間でした。そのうえ何もかもが遅い人間なので話しかけられてもすぐに返せず、楽しい会話ができませんでした。
SNSも怖くてできません。
なので家族としか話すことがないです。
なのに一人が大嫌いです。寂しくて死にたいです。誰でもいいから一緒にいてくれる友達がいたらと思いますが、私でも逆の立場だったらこんな子と仲良くしたいなんて思いません。
小学生の時は唯一親友と呼べる存在がいて、その時は楽しかったです。でも今は人生が灰色で淡々としています。
寂しくて自傷もしましたが、こんなことが解決にならないことは知っています。
こんなに友達ができない人生なら生きてる意味はないです。
一人が好きな人はどうして一人で楽しめるのですか?
私には理解できないです。
どうしたら友達ができますか?
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
友達がほしい
感想2
相手や周囲の様子を見ながら意に沿った返答をしたり、楽しげな会話やテンポの良い相槌ができること。あなたが思う、良い友達というのはこんなイメージだろうか。と考えながら、小学校に入学する際に、「友達100人できるかな」と歌ったことを思い出しました。
友達って、なんだろう。唸るように考えつつ、あなたの年齢はわかりませんが、確かに大人になると「友達」をつくる場面はぐっと減ることを再認識しました。子ども時代は「近所」「同じ学校」「同じ塾」など、共通の時間や場所で過ごすことで、お互いに知り合う機会も多く、「友達」と確認したり「友達」と感じる場面を社会でわざわざつくっていたような気もします。同じ年齢の集団である学校のクラスは最たるもののように思います。一方大人になると、共通の時間や場所で集まるのは、職場である場合が少なくないです。職場は仕事をしに行く場所であり、友達ができるかなと思っていく人は多くはないはずです。
大人になると子ども時代のように、そこにいるだけで「友達ができる機会がある」という場面に遭遇する確率は急下降。友達ができるように他人との「共通の何か」を自分で探したり設定するなど、子ども時代には無かった労力が加わるのかもしれません。「私でも逆の立場だったらこんな子と仲良くしたいなんて思いません。」と書かれていましたが、あなたに非があるようには思いません。非対面による効率化が進む社会には、誰かと誰かが知り合う時間が削られているように思います。年齢や時代と共に、「友達」の捉え方も変わっていくので、誰でもいい友達を求めることで、あなたの心が削られすぎないことを願うばかりです。投稿いただき、ありがとうございました。
感想1
胸の中にある切望とは裏腹に、中々上手くいかない交友関係の苦しみや疑問に投稿者さんが苦労している姿を想像しながら読ませていただきました。
「“友達”ってどういう状態にある人(関係性)のことを言うんだろう?」と今書きながら考えている私ですが、よくよく考えてみたら私にも「自分の中でこれは友達と言える人な気がする」と思える人は遠方に一人しかいませんでした。
そして、それにはきっと私の中にある「どんなとき、どんな自分でも気兼ねなく誘い合える、そしてもっと大事なこととして“断りあえる”」というものが成立しうるから友達と思えているのかなと感じていたのですが、それで言うと小学生の時に投稿者さんが唯一親友だと思えていた人には一体どんな気持ちや一緒にいる心地よさがあったのかなと思わず聞いてみたくなりました。
人間関係の中で生きていると(幼い頃は特に)誰とでも無難に卒なく、広く浅くの交友関係を求められる気がしますが、合う・合わないの相性もありますし、(私もそうですが)投稿者さんのように人付き合いそのものに対する苦手かそうでないかも関係してくるように思います。
「友達」という言葉や存在で考えると、なんとなく楽しく・仲良くなんてことを想像してしまう気がしますが、大勢やいろんな人と仲良くというのもそれはそれで疲れる気がするので、「自分が落ち着くと感じられる」「何となく安心できる」、そんな気持ちや人との在り方を探っていく先に友達という存在を見つけるのもいいのかなと思いました。