経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

漂流する瓶の中の紙(言えない私の恥部)

誰がどう見ても発達障害の両親の間に生まれた9歳上の姉は健常児だった。しかも知能指数だけ高い父と手先が器用な母の遺伝子を受け継ぐ秀才だった。
父は 何もやらせなかった姉より二人目はもっと高みを目指せるはずだ、俺が教育するからお前は口出しするな入ってくるなと母に意気込み、ありったけの財力を私に費やし幼少期から大学の説明を刷り込んでいた。
‘この世の人間ほとんどがろくな生き方をしていない、生きてる価値がないんだよ。本当に惨めな家に住んでいる。お父さんやお姉ちゃんと同じくらいのランクの高校大学に進まないとお前は女のホームレスになり路上で酷い目に逢い死ぬ。学校で友達なんか不要だからな、友達ごっこしに行ってるんじゃないんだから。’
・・半ば信じていないものの反論する余地はなかった。
子供を論破するのが大好きでこちらが悔しくて涙が出ると問答無用で体を引きずり寒空の下何時間も外で立たされたので自分の考えなどなかった。

週6の習い事・個別指導塾・家では椅子に紐で縛られ酷い事をされながら教育を受けたが成績は上がらなかった。
学級の中で様々な面で明らかに遅れをとっていじめられていた私を見れば、姉とは何かが違うと気付くはずだが、自分達の’トロフィー’を獲得するのに必死な両親は教師や校長、塾長まで支配し教育プランを何十枚の紙にして送っていた。

専業主婦の母に常に見張られていた。頭の中は私の事でいっぱいだ。
‘他の家庭は自分の子供を愛していないから放置しているんだ、私達は心からあなたの将来を思い愛している、全てあなたの為なんだよ。’
と愛の告白をしつつも 15歳になったら家を出てってね、いられても困るから。父も母も姉もその歳で寮に入ったから。
と一緒に暮らしたくない旨を伝えてくる。不思議だった。
私の言動が従順でないタイミングでいつも〇〇ヨットスクールにお迎え来てもらおうね、冗談じゃなく本気だからね。精神病院に入れてもらってまともになろう、場所は決まってるよなどと脅されてたが本当は脅しでなく 進学校に行けないと分かり始めた時に施設に入れ遠ざけたかったのかもしれない。
実際14歳でついに精神病院の閉鎖病棟に強制入院させられてしまう。

クラスの除け者扱いに耐えられず、不登校になった。不登校数日目の朝を今でも覚えている。
普段涙を見せない母が悲しみの表情ではなく般若のような怒り狂った泣き顔で、寝ていた私の顔や口を枕で押さえ付けた。もしあの時私の力の方が弱かったら今こうして生きていたかどうか分からない。
携帯もゲームも無く優雅に家で読書をして引きこもっていた数ヵ月後、会ったこともない医師に強制入院させられたが診断名はめちゃくちゃだった。そうか、私を施設に入れる為には症状もでっち上げるのか彼らは。

ひたすら従順に過ごした。
普通は親が居なくてほっとするのかもしれないが、私はまだ家に帰りたかった。どんな仕打ちを受けても無条件に愛されるのをまだ期待していた。
もう引きこもりませんと反省したふりを見せ中3で退院した。
すぐ学校に復帰させられ遅れを挽回させなきゃと再び塾も始まった。
当たり前だがそれでも出席日数のせいで行ける高校はなくなった。低偏差値の高校は許さない、とまだごねる親の為に同じ境遇の子達が集まる試験なしの定時制に入学。
幼少期から聞かされていた’マトモナダイガク’から初めて解放された。

大学からは解放されたが、父の学校支配(教師へ私に対する報告レポートを求める,友人達と縁を切らせる)学校ストーカーからは解放されなかった。
せっかく入れた高校では初めて親友も出来たが1年足らずで父の干渉に耐えられず中退した。

バイトの日々は楽しかった。
自分の無知や手先の不器用さや度重なるミスは、若さと愛嬌で乗り切れた。
自分の両親代わりの沢山の大人と仲良くなった。

給料は貯めてさっさと家を出るのが正解なはずだが、ほぼ趣味のコンサートや高額なサイン会や航空券に全額注ぎ込んだ。ギャンブラーのような生活をしていた。無条件にファンサービスをくれるアイドルとドーパミンだけが生きる糧だった。30歳近くなっても一文無しだった。

現在 親は診断が下りない程度の半ボケが入り、ネットや新聞に対して罵り二人楽しそうにゲラゲラしてるだけの毎日だ。
私とは会話も成立しないのでまともな話は何年もしていない。
過去の事を何ひとつ覚えてないし思い出してもくれないが過去をほじくると今でも
‘お前に散々苦労させられて金をドブに・・’という感情が湧くようだ。
わざわざ思い出させはしない。

私はとっくに気が狂ってるので今でもこの両親と住んでいる。半ボケになった今、少し丸くなり優しい。
娘がろくでもない惨めな生き方をした大人になっても受け入れてくれてる気がしてあの頃欲しかった安堵感を貰える。(面と向かって何も言われてはいない)

問題は、私が家で安堵感を感じながら4年前から家を出れなくなったことだ。
30歳を境に若さと愛嬌で自分の特性はカバー出来ない事を実感し仕事が出来なくなった。
突然、生きてることが恥ずかしくなった。
誰の目にも映りたくないと思え始めた。

出会う人、職場の人、友人、その場限りの人々、全員が父の目に見える。
口には出さないけどみんなが学習障害や発達障害を疎ましく感じていて、私に優しく接してくれてるのは学歴も職歴も結婚歴も恋愛歴もない容姿にも恵まれない哀れな女だからだという考えが頭を巡る。

父は喋る相手がいなくても起きてる時間は四六時中、空中に向かって人を罵り冷笑して生きてきた。その多種多様な語彙が未だに私の頭を埋め尽くしている。
外の人は父じゃないと頭で理解はしていても、誰かと目を合わせるとあの言葉が瞬く間に聞こえ始め 途端に目の前の人を怖く、自分の存在を恥ずかしく思い、逃げ出したくなる。
実際社会生活から逃げてしまった。

4年家から出ていない。
真面目な会話はできないが平和になった親と、ふざけた言葉遊びで何事もなく過ごすこの生活に愛を感じ社会から逃げまくっている。
赤ちゃん返りだなと自分でも思う。
分かっていてもやめられない。
夜な夜な平和の中でよからぬことを考える。
検索してしまう。
もっと遠くへ逃げる方法、いっその事全部終わらせる方法を。

私は自分の人生を生きたくない。
何もしていない廃人の私を親に愛してほしい。それしか考えられないのだ。
いい歳して親の愛獲得のためだけに生きてるなんてと疎遠の姉に呆れられるが、本当に生き方が分からない。
精神科医も臨床心理士も言うことは一緒。
薬物治療の域ではない、
あなたの考えや価値観はあなたが変えろと。

平和に見えてもうこの人生は行き止まりに到達している。
せめて
この世の誰も知らない私の過去を家族を、紙に書いて瓶に詰め海に流したい、誰か知らない人が手に取って読んでくれて、リアクションもせず流してくれればいい。
そんな思いで送りました。

感想1

学校も手を焼いていている有名な親、いわゆるモンスターペアレントと言われる人と関わる機会や知る機会が私は何度かあったので、あなたの両親を何となくリアルに想像できる気がしながら読みました。独自の思考やルールがあり、それを真実として譲らず、相手の反応などお構いなしに自分の思い通りに現実を進めようと、エネルギーを注ぎ込んでくる…というイメージです。それは客観的な視点で言うなら、あまりに幼い自己中心性とも言えるし、発達の偏りから社会性を学習する機会が奪われたとも言えるかもしれません。でも、保護者が子どもにする振る舞いとしては、何のフォローの余地もなく理不尽で、あなたが相当に過酷な日々を送ったことがとても伝わってきました。

それでも親に愛されたいという願いは、あなたの時間がある意味で止まってしまったまま今もいるのだろうかと私は感じたりしました。子どもの頃は傷つき消耗し、外での親の振る舞いに恥ずかしさを感じたり、とにかく抱えきれない、でも我慢するしかない痛みがたくさんあったのではないでしょうか。「愛される」でそれが救われるかといえば、たぶん違うのかもしれませんが、「その痛みを癒されたい」といった気持ちは強くて当たり前だと私は感じます。
無条件にファンサービスをくれるアイドルとドーパミンが、あなたからつらい過去や思いを忘れらせてくれる、麻薬的な喜びだったのかなと想像しています。痛みが強いほど、自分を誤魔化すには強い刺激が必要になると私は感じるので、ギャンブラーのような生活はあなたの目一杯のセルフケアだったのだと私は感じました。

穏やかな保護者のもとで生まれ育ったらあなたは今どんな人生だったのだろうか…とふと私は考えたくなりました(余計に悲しくさせる話だったら申し訳ありません)。行動力と社交性があると感じたので、それを生かして自由に生きていたのでしょうか。そういったことを考えると、子どもを守り育てる力のない人が保護者になることの罪深さを感じますし、その罪を社会で償わないといけないと感じます。そこでいう償いは、もしあなたの回復に赤ちゃん返りがもし必要なら、それを安心してできる環境を保障することです。私はあなたが今自分のできる範囲で、自分を手当てしたいと思っている、その気持ちを大切にしていると感じました。

考えや価値観は、感情から作られるものだと私は思います。人間は記憶と感情の生き物だと私は思っているので、考え方を変えてどうにかなる、みたいなのにはとても懐疑的です。変われなかったり逃げるのは、まだ解けずにいて癒しを必要としている感情があるからじゃないのかなと思います。それを癒すための最適な環境や対処法はわからないですし、最適な方法をとるだけの資源をもつ人もほとんどいないとは思うのですが、周りが「あなたが自分を変えろ」と言うのはちょっと話が違うように私は感じました。

この漂流する瓶の中の紙(経験談)を、「誰か知らない人が手に取って読む」までは私はしたのですが、リアクションもせずのどころか、長い感想を書いてしまいました。死にトリに経験談を送ると感想があるのはわかった上で投稿しているだろうとは思うのですが、ちょっと恐縮の思いです。
ただ、あなたが読む読まない、受け取る受け取らないは自由です。好きに流したり流さなかったりしてください。

感想2

 令和8年1月1日晴天
 あなたと家族の物語は、見ず知らずの私の元に漂着し、確かに読ませていただきました。
 ※以上。心をこめて返信させていただきます(補足:誰も知らない過去、家族のお話と伺いました。投稿には勇気が必要だったかもしれない。だれかのリアクションに傷つくことを恐れているのかもしれないと勝手に想像をしました。あなたが生き抜いてきたことと、投稿をしてくださった行動に敬意を表したいです。)

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