経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死ねないのは分かっているが…
思い返すと、小学校2、3年生のころからときどき死にたい、いなくなりたい、と思うことがあった。母親から怒られたあと、1人で部屋で泣いていたときにふと思ったのが始まりだったと思う。当時、母親に怒られたあと1人になると、母にフライパンで殴られた頭を自分で殴ったり、壁にぶつけたりしていた。どうせ痛いからどうでもいいや、という自暴自棄な気持ちでもあった。ただ、その頃はまだ、死にたいという感情があらわれるのは怒られたあとだけだった。
具体的に死を意識したのは、小3か小4の、秋だったと思う。不思議と今でも雰囲気を覚えているのだが、休日の朝だった。なぜかは分からないが怒られ、家の外に出された。朝で眠かったからか、殴られたからか、分からないがなんとなく頭がぼんやりとしていて、このまま死んだらどうなるかなあと思った。一方で、公園に行って遊んでおいてやろうかとも思った。実際水を飲みに公園に行ったのだが、休日だから家族で来ている人たちも多く、なんとなく自分が浮いている気がした(ような気がする)。
小6の1年間は、私が中学受験をしたこともあってか比較的家庭は落ち着いていた記憶がある。その頃は死にたいと思うことはあまりなかった(たまにはあった)。その後もしばらく安定していた気がする。
中3の夏休み、8月の上旬、登校日だったのだが朝寝坊して、私がイライラしてしまった。その結果母が怒り、私の立っている右側に包丁が飛んできた。刺さりもかすりもしなかった。今でも、当ててくれたらよかったのになあと思う。死にたいといっても色々あるが、私の中の「死にたい」の1つは、「お母さんに殺されたい」なんだなあと最近気づいた。他の「死にたい」は、「なんでもいいから不慮の事故とかで死にたい」「周りの人全員に忘れられて気づかれないうちに消えていたい(無理だけど)」といったところ。「死にたい」とは言いつつも、自殺は親に嗤われると思うのでしない。しないが、ときどき自分を刺したいという思いに駆られることはある。まあ自分ではやらない。
家のことは、母親の不倫とか、両親に言われたこととか、語ればまだまだキリがないのだが、まとまらないのでやめておく。嫌なこと思い出しても仕方ないし。ちなみに、母、父、私、妹、弟、妹の6人家族。普通、だと思う。
ここからは、なぜ私が死ねないのか、書きたい。
中1のときの担任の先生が今も担任で、その人に初めて家のことを話した。その先生と、保健室の先生に、今はすごく支えてもらっている。なのに死にたい気持ちは消えない。別に、理由はない。今そんなに辛くないだろ、と自分でも思う。支えてくれる人がいるから死ねない。死ねないならそれなりに生きたい。でも、頑張れない。頑張れないときに、次から頑張ろう、ではなくて死にたい、という思考に至ってしまう自分が嫌で、また死にたくなるという悪循環。
死にたくても死ねないからそれなりに生きたい。まとめたらこうかな。まだ生きたいんだなあ、死ねるなら死にたいし生きられるなら生きたい。訳が分からない。
感想2
書かれている暴力は激しいもので、その他にも家庭内でさまざまなことがあったのだと思います。その中であなたは無意識のうちに、ずっとさまざまな危険信号を感じ取りながら生きてきたのだろうと感じました。私は読んでいてあなたのこれまでの経験はハードなものだと感じましたが、でもリアルタイムで起こるさまざまなことを「普通」と思わないとやっていられないところもあるよな……とも思っています。文章全体から、出来事とすこし距離を置いた眼差しを感じていて、それもあなた自身があなたを守るための見方なのだろうか、と思ったりもしました。
私も子どもの時から「死にたい」と思っていて、もうだいぶ大人ですが今も「死にたい」とともに生きています。それは子ども時代に獲得した(してしまった?)思考方法ですが、ある意味では「苦しい現状から逃れたい」ということで、自分を助けようとする無意識の意思なのだとも私は思っています。だから「死にたい」も「生きたい」も両立するし、それはどちらも苦しさやつらさから自分をどこかへ引っ張っていきたい気持ちとも言えそうだと思うのです。
「頑張れない」と書いてあるのが印象に残ったのですが、むしろあなたはこれまでものすごく頑張ってきたんだろうと私は思いました。勉強もだし、たとえば辛いことを考えないようにするとか、死にたい気持ちを抑えるとか。なんとかやるしかなかったからこそ、ほどほどに「頑張らない」をするのがむずかしくて「頑張れない」まで「頑張る」をしてしまうのではないかとも思いました。……いろいろ想像で書いてすみません。
先生たちの支えだけでなく、もっとたくさんの、何十本もの支柱があなたの支えになるといいと思いました。支柱は趣味や好きな音楽かもしれないし、支援制度かもしれないし、人間かもしれないし、本で読んだ考え方かもしれないし、私も思いついていないなにかかもしれないですが、それらの支柱にあなた自身をすこし預けて、たまにはふっと気を抜いて、ときには逃げ出して過ごせるといいと思います。
そんなの理想論かもしれないし、勝手な言い草かもしれませんが……本来、これはすべての子どもと大人に保証されるべき当たり前の権利だと私は思っています。10代ではまだ自分で選んで安全に過ごせる場所がとても限られていて、それは今すぐにでも国全体で変わってほしいと思います。あなたのこれからの日々に穏やかに過ごせる空間と時間がたくさんあることを心から願っていますし、そういう世の中に、すこしずつでも変えなければいけないと、改めて思いました。あなたの経験をこうやって書いてくれてありがとうございます。また死にトリにあなたが感じたことや考えたことを書きにきてもらえたらうれしいです。
感想1
比較的、淡々と書いてはいますが、理不尽で過酷な経験があったことを確かに受け止めました。途中で「嫌なこと思い出しても仕方ない」と書いていましたので、これ以外にもたくさんの嫌なことがあったのだろうと思います。小学校の3,4年生で死を意識したのは、幼いながらに自分の心を守るための手段だったようにも思いました。いくつかの具体的な情景が妙にリアルで映画のシーンのように浮かんでくるのですが、一人称で語られるナレーションは静かで、そのシーンを上から見下ろしているようにも思えました。そうした視点もまた、あなたが無意識にダメージをコントロールしているのかもしれないと思います。
おそらく、絶妙に意識や感覚を調整しながら過ごしていたのだろうと思います。それはとてもエネルギーが必要になりますし、暴力がない時間であっても緊張や不安がいつもあり、穏やかに過ごす時間が少なかったのだろうと推測しています。ただ、そんな状況であっても、中3の時にイライラが出てきたことは、結果としてとても危なく怖い思いをしたショックがあったと思いますが、あなたが自分の力を発揮した象徴的な出来事であるように私には思えました。過酷な環境にあっても、あなたがあなたらしさを奪われなかったと証明するエピソードだと私は感じました。その底力が、信頼できる大人に相談する行動にもつながったと思います。
今でも、死にたい気持ちは消えず、頑張ろうと思っても頑張れないと書いていますが、これまで一人で頑張ってきたことを考えると当然のことだと思います。これまで抱えてきた苦しみをようやく少しずつ出せるようになったばかりですから、まだまだ時間がかかるのだろうと思います。また、長い間、不安や緊張が続いていて一人の力で乗り越えてきた人が、少し安心できる環境を手に入れると、それまでの緊張感から解放された反動でつらさが増すこともあります。今つらい、苦しい、死にたいと思う気持ちはこれまでのものとは少し質が違うのかもしれないと私は感じました(的外れだったらすみません)。
今回、自分の「死にたい」をいろいろと分析してくれましたが、自分の気持ちを言葉にしていくプロセスは苦しみと和解するために必要だと思いますし、こうして共有してくれたことによって、読んだ私も考えたり、理解を深めるヒントになりました。また、必要な時には言葉にして、声を届けてもらえたらと思います。