経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
家庭内いじめと空気人間になるまで
私は、両親のネグレクトを受けて生きてきました。現在、正社員で働きながら細々と生存しています。アラサー独身男性です。
私の家庭内ではいじめ(虐待とも)がありました。
無関心、癇癪持ちの父と外面の良い、一見子供思いの母。姉と私の4人家族です。
幼少の頃、両親の仲は悪く母、姉は父を「あいつ」などといい事あるごとに陰口を言っていました。私は、まだ分別の付かない子供なので「そういう物」として陰口に参加していたと思います。なんで結婚を?とはその頃からは考えていたような笑
中学に上がる頃には離婚していました。いつのまにか。
私自身、この様な家庭内に居づらさを感じていました。クラスメイトとの関わりで、自身の境遇は普通ではないと薄々気付きます。
周りが当たり前に持っているもの、体験が尽く持てませんでした。一番、辛かったのは当時は当たり前になりつつあった携帯電話を持てなかった事です。贅沢品ではありますが、周りに置いて行かれているような、劣等感に常に苛まれました。
母に頼み込みました…が「子供だから」と。姉とは8歳離れていますが、携帯で楽しそうにやり取りしていました。
この頃、気付きます。姉との格差に。
そもそもおかしいのですが、私は小遣いを貰っていませんでした。散髪は自分で、洋服は小学生時代の物を着ることもありました。
姉は「頂戴」でお金を受け取り、私はお年玉を切り崩して何とか娯楽品を買ったりしていました。母は私に対して、心配や愛情とは違う「支配」が目的だったと思います。
母本人は働く事もせず、お金の貴重さを語ったりもしました。
友人達が、只々うらやましかった。
進学が近づく頃には、心身が疲弊しきっており、鬱症状がでていました。寝れない、死ぬ事しか考えられない様に。
勉強の出来る方ではなかった子供なので、まぁなんとか底辺高に進学しました。
その頃には、母に対する信用はなくなっており、結局、母は私の幸福とか考えてないんだ、と。周りが眩しく感じ、何をするにも億劫になっていました。学校では浮き、母は説教、姉は贅沢で何処にも居場所がありません。
「将来仕事にしたいな」と思うものがあり、ソレだけは必死で取り組んでいました。
支配されたくない。母があんななので、進学は辞めて家出、働きながら活動しました。というより、してるフリ?笑
右も左もわからず、と言った感じで、やはり環境のある同世代に勝ち目はありません。
希死念慮がひどく、その時初めて精神科を受診しました。
その後は、低空飛行を続け、なりたい物にはなれず、他人の幸せを只、眺めて生存しています。
出来ることなら、生まれたくなかった人生です。
自分語りは初めてですが、やっぱ自業自得かな?とは思ったり笑 駄文ですね〜。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
読んでいて、本当は泣いてしまいたいのに、うまく泣けないでいるような印象を受けました。なんで、悲しい、訳がわからない、不安だ・・・そういった言葉や気持ちを飲み込んで、一人頑張ってきた姿が私には浮かんでいます。
書いてあることから家庭内の様子を想像するほどに、たまたま生まれてしまった場所で、狭いコミュニティを大人一人が牛耳ることの危うさを私は感じました。パワーバランスとしてあなたがとても弱い立場で、きょうだいとの差を感じる生活は、自尊心のようなものをゴリゴリ削ってくるだろうと思いますし、生きるベースが不安感や孤独感になるように思います。居場所のない家庭からは気軽に出る自由があれば、せめて他の大人の目が入りあなたを適切にかばい可愛がる人がいれば…と、やりきれなさを感じます。
また、「アラサー独身男性」「底辺高に」「同世代に勝ち目はない」などの表現から、社会的な成功のようなものに憧れる気持ちを私は感じたのですが、そこにはベースに不安があることがかなり影響を与えているのかな…と思ったりもしました。私は男性ではないので、理解の精度は低いかもしれませんが、日本の社会では男性は勝ち負けを強く意識させられるように感じています。しんどい育ちの人、人を信頼できない人にとって相談や自分語りは怖いものだとは思いますが、あなたが「自分語りは初めて」とためらうような様子は、相談や弱音を吐くことはあまり望ましくないと感じている部分がありそうだと私には映りました。そういった「こうあるべき」というのは、ネットやテレビなどの情報で、大人の振る舞いの中で、そしてそれを吸収した子ども同士のコミュニティで、少しずつ私たちの意識に浸透していくものだと私は感じます。それがみんなの回復や幸せをさらに遠ざけているように私は思っていて、社会の課題だと思っています。
環境に恵まれている人に対して、同じ土台に立てないといった劣等感や複雑な感覚を抱くことは想像できます。環境はなるべく平等であるべきだとも強く思います。その前提は絶対とした上で、それとはまた別の話として、人間はなりたい物になれない場合の方が多いのかも?とも私は思っています(私はなれなかったです)。もちろん、なりたい物になれるのは一つの幸せの形だとは思うのですが、誰か話して「なぜなりたいのか?」「何を求めているのか?」を考えていったときに、なりたい物になる以外の幸せの形もたくさんあるように思っています。
これからはなるべく自分を語る機会があなたにあってほしいと、私は勝手ながら願っています。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
読んでいて、本当は泣いてしまいたいのに、うまく泣けないでいるような印象を受けました。なんで、悲しい、訳がわからない、不安だ・・・そういった言葉や気持ちを飲み込んで、一人頑張ってきた姿が私には浮かんでいます。
書いてあることから家庭内の様子を想像するほどに、たまたま生まれてしまった場所で、狭いコミュニティを大人一人が牛耳ることの危うさを私は感じました。パワーバランスとしてあなたがとても弱い立場で、きょうだいとの差を感じる生活は、自尊心のようなものをゴリゴリ削ってくるだろうと思いますし、生きるベースが不安感や孤独感になるように思います。居場所のない家庭からは気軽に出る自由があれば、せめて他の大人の目が入りあなたを適切にかばい可愛がる人がいれば…と、やりきれなさを感じます。
また、「アラサー独身男性」「底辺高に」「同世代に勝ち目はない」などの表現から、社会的な成功のようなものに憧れる気持ちを私は感じたのですが、そこにはベースに不安があることがかなり影響を与えているのかな…と思ったりもしました。私は男性ではないので、理解の精度は低いかもしれませんが、日本の社会では男性は勝ち負けを強く意識させられるように感じています。しんどい育ちの人、人を信頼できない人にとって相談や自分語りは怖いものだとは思いますが、あなたが「自分語りは初めて」とためらうような様子は、相談や弱音を吐くことはあまり望ましくないと感じている部分がありそうだと私には映りました。そういった「こうあるべき」というのは、ネットやテレビなどの情報で、大人の振る舞いの中で、そしてそれを吸収した子ども同士のコミュニティで、少しずつ私たちの意識に浸透していくものだと私は感じます。それがみんなの回復や幸せをさらに遠ざけているように私は思っていて、社会の課題だと思っています。
環境に恵まれている人に対して、同じ土台に立てないといった劣等感や複雑な感覚を抱くことは想像できます。環境はなるべく平等であるべきだとも強く思います。その前提は絶対とした上で、それとはまた別の話として、人間はなりたい物になれない場合の方が多いのかも?とも私は思っています(私はなれなかったです)。もちろん、なりたい物になれるのは一つの幸せの形だとは思うのですが、誰か話して「なぜなりたいのか?」「何を求めているのか?」を考えていったときに、なりたい物になる以外の幸せの形もたくさんあるように思っています。
これからはなるべく自分を語る機会があなたにあってほしいと、私は勝手ながら願っています。