経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何をしていても

相手の話聞くばかりで
話せそうな友人が2人いるけど全く、いつも自分の話に持っていかれちゃって……笑

思えばいつもそうだったな
私ばっかり勝手に1人で抱え込んでたくさんの人を支えた《つもりになって》
最終的にこの手からこぼれおちてった仲間も沢山いて
私がぶっ壊れた時には
みんな支えようとしてくれたけど
みんなもちろん自分が可愛いから
重度の鬱、そして(恐らく)BPDになった私を何人もして支えようとしたけど支えきれなくて、全員から心無い言葉、態度をかけられて、一人で大学をやめて田舎に逃げ帰るしか出来なかったあの日々を思い出して、酷く泣いてしまった
もう忘れたいのに
何も思い出したくないのに
今だけを見ていたいのに

本気で笑える日も増えてきたからこそ
影が濃い

何をしていても誰とどこにいても
夜にふと寂しさに潰れそうになる

私はずーっと孤独なまま死んでいくんんだろうな、と

感想1

昔とは違う変化した今に身を置いていても、「思えばいつもそうだったな」とあるように昔の体験でありながらどこか地続きに現在も感じる投稿者さんの辛さのようなものを想像していました。

人と人との営みである以上、自分と他者との関わりにおいて、関係性や関りにおける心持ち、そしてそれがもたらす結果は出来るだけイーブンであってほしいと思うのが人間の性(というと大袈裟かもしれませんが)のように私は感じます。

それで言うと、たとえ「つもりであったとしても」投稿者さんが自分以外の人に思いや気持ちを巡らせ、聞いてきたり抱え込んできた多くの体験がありながら、自身が頼りたい、支えられたい局面で周囲から向けられた態度や眼差しは(たとえ人間関係が対価を求めるものではないとしても)傷ついてしまうには十分な出来事だったように思います。

それは、それこそ逃げ帰りたくなるぐらいの衝撃を伴ったもののように思えますし、鬱の状態で受け止めなければならなかったことを想像すると思わず胸が痛くなりました。

ただ、「本気で笑える日も増えてきたからこそ 影が濃い」とも書かれているように、逆もまた然りで、(屁理屈のようになってしまいますが)昔とは違う今を引き立たせるために暗く濃い影として成立してるとも言えなくもないのかもしれません。

もちろんそんな単純に割り切れるものではないのでしょうし、忘れられるなら忘れて今と向き合える方がいいのかもしれませんが、直ぐにはできなくとも少しずつ昔とは違う今に身を置きながら、投稿者さんの中の影がゆっくりとでも薄く、癒されるこれからであってほしいなと思いました。

感想2

「孤独」という言葉は最後にのみ置かれていましたが、その言葉の重さとつめたさが言葉全体を覆っているように感じました。今回、経験談としてここに置かれた言葉たちは、おそらくあなたの中にただよう感情や思考のほんのすこしで、それはあなたが対人関係(対他者と交わる時の)基本スタンスとしての質量でもあるのかなと想像しました。勝手な解釈ですが、どれだけ人が居ても、どんな現象が在っても、そこに生じる自分(あなた)の言葉や感情のすべてを受け止めてもらえはしないのだろうなという寂しさと、反面他者の言葉を受け止め続ける存在としての自分への諦めが交差し、拭えない孤独感を醸成しているように思いました。
理屈としては「影があるから光がある」のだとは思いつつ、だとしたら自分の「中」に巣食う影に光を当て折り合いをつけようとする行為はとても難儀だなあと…そんなことを考えました。

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