経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きていくのが怖い

私は7年前、中学生の時から死にたいと考えるようになりました。
最初のきっかけは部活内でのいじめと両親の離婚。この2つの出来事が同時期に起き、徐々に不登校になっていきました。母親からは家を出ていった父の愚痴を毎日聞かされ、当時同居していた祖父母からは学校に行けていないことを責められ、毎日泣いていました。
中高一貫校に通っていたので受験の苦労は経験せず、気づけば高校生になっていました。ちゃんと登校していましたが、次はクラスメイトからいじめられ、結局1年で高校を中退しました。2年生からは定時制高校に通いました。定時制高校での日々は楽しかったし、友達にも先生にも恵まれたけれど、中退した自分がずっと情けなくて、死にたい気持ちがなくなることはありませんでした。母子家庭でお金がないのに、入学金や教材費、自分にたくさんお金を使わせてしまっているのも申し訳なかったです。
いまは大学生ですが、今年の10月から休学しています。大学生活もそれなりに充実していて、楽しかったはずなのですが、6月ごろから徐々に通えなくなっていきました。私はいつも肝心なところで、自分で全てをダメにしています。中高生の時いじめに耐えられていたらとか、少しでも多く学校に行っていたらとか、高校を中退しなかったらとか、毎日振り返って涙が出る。やっと周りと同じように大学に行けていたのに、結局行けなくなってダメにしてしまいました。自分に呆れて、絶望して、未遂もしたけど、2週間入院して色んな人に迷惑と心配をかけただけでした。
最近は自傷行為で現実逃避ばかりしています。市販薬でオーバードーズ、リストカット。別に楽しくはなれない、薬を飲んだ日は何が何だかわからなくなって泣き叫んでしまうんです。感覚が狂って自分の身体がどこにも触れていないみたいで、自分は存在していないんじゃないかって思えてきてこわい。ずっとこういう子たちを見下して、自分はこうはならないって思って生きてきたのに、もう全てがどうでも良くなってしまって、自分で自分の人生をどんどん地獄にしています。今こんな人間なのだから、数年後、数十年後はもっともっとダメな人間になっているのだろうと考えると怖くてたまらないです。
自分の未来が怖い、生きていくのが怖い、わたしずっと怖いです。

感想1

長い間ずっと怖さと不安を抱え続けてきたのかなと想像しました。自分ではコントロールできないような両親のことや学校での環境に振り回され、その矛先を向けられることは、あなたが本来持っているエネルギーや、「生きていけるかも、大丈夫かも」と思えるような感覚をじわじわと削っていったのだろうと感じます。それらが回復しきらないまま人生が流れてきたのではないでしょうか。「肝心なところでダメにする」と書かれていましたが、むしろそれ以前がどうにか環境に適応し踏みとどまっている状態(そしてその糸が否応なく切れる)という感じなのかなと思いました。
時間があるときに、何かをしていないと気がまぎれなかったり、過去のあれこれを(振り返りたくなくても)振り返ってどうしようもない気持ちになったりすることは、誰しもに起きる自然な現象なのかな…と私は考えています。現実逃避という言葉はあまり良い文脈で使われないかもしれませんが、理不尽な過去や苦しい現実をあなたが1人で見つめなければいけない社会こそが地獄だなあと思います。あなたがどうしようもない気持ちになったとき、よければまたここを訪れてもらい、「そりゃ怖いよね」と言い合えたらと感じました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読ませてもらい、“つらかった出来事があった”という事実以上に、長い時間をかけて強い不安感と自己否定があなたの内側に染み込みじわじわと蝕まれているようなそんなイメージを抱きました。中学生という、まだ自分の言葉や選択肢が十分に持てない時期に、家庭内の土台(環境)が不安定になったことと居場所だったはずの部活でのいじめが同時に起きたことは、あなたを取り巻く世界そのものが一気に崩れるような感覚も抱いたのではないかと想像しています。逃げ場がないまま、大人の事情や感情を一身に受け止めさせられ、責められ続ける日々の中で、“怖い”という感覚が日常になっていったのではないでしょうか。
何度か環境を変えながら、その都度“今度こそは”と必死に適応しようとしてきたのではないかなと感じます。定時制高校での時間や大学生活について、楽しかった記憶が確かにあるからこそ、「また自分で壊してしまった」という思いが強く残ってしまうような…その苦しさは、あなた自身の意志の弱さというより、これまで積み重なってきた不安や緊張が限界を超えた結果のように私には見えました。それでもあなたは全てを自分の責任として引き受け、“肝心なところでダメにする自分”と思うことで、ある種自分を保とうとしているところもあるのかもしれないなと考えながら、その苦しさとの葛藤があるように思えました。自傷などについても「死にたい」というより、“この恐怖や感覚から一瞬でも逃れたい”、“現実との接続を切りたい”というような切実さが伝わってきました。楽になるためではなく、結構ぎりぎりの対処としておこなわれているのかなと…そして、その状態に陥ってしまった自分を、かつて見下していた側だったということが、さらに自己嫌悪を強めていて、その循環から抜け出すのは容易なことではないからこそ、どこにもぶつけようのない感情がずっとあなたの中に溜まり続けているように感じました。
あなたの文章を読んで、学校という場が合わなかったときに“レールから外れた”と見なされやすいこと、母子家庭や経済的な事情を背負った子どもに過剰な自責が向けられやすいこと、心の不調が長引いた人の人生を“失敗の連続”として見られてしまう風潮が今の社会にはまだあることを改めて痛感させられたのと、そうした空気の中で、「自分の未来が怖い」と想像してしまうのは、自然なことのように私は思います。
ただ、生きることへの恐怖が消えていないという事実は、同時に、これまで何度も折れそうになりながらも何とか立て直そうと自分と向き合う時間を重ねてきたことでもあると私は思いました。今あなたが抱く怖さはそう簡単に拭えるものでもないかもしれませんが、正直に自分の感覚や気持ちを表現することで多少でも心持ちが違うようであれば、いつでも死にトリに声を届けてほしいです。

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