経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

考えることが多くて大変

今まで相談して来た人みんなそうだった
「私あなたのこと分かります」って顔して近づいてきて、でも自分の価値観でしか捉えてなくて、「無理しないでね」って決まって言うけど言うだけ言ってなんにも行動を起こしてくれなくて、もうやってられません。
これを今読んでくれている方も「そんな事ある?」って思うこともあるかもしれませんが「そんなこともあるんだなぁ」って感じで読んでくれると嬉しいです。読みにくい部分が多いと思いますが許してください。

きっかけは小学5年生の三学期、自分が周りから人気がないのは面白くないせいだ、と気づき変わろうとしたときからです。
クラスにいる面白い子の真似を徹底的にしました。そのおかげで今も時々連絡をとる大親友に出会えたし、ある程度人気になれ、一緒に帰ろうと言ってくれる人も増えました。
でも私の周りの子は「この子面白いしノリいいからこれやっても大丈夫だろう」って感じで冗談がエスカレートしていったんです、面白いキャラをやめると嫌われちゃうので辞められなくて…でもやっぱり元の自分との差が激しくて疲れたんでしょうね、ちょっとずつ反応を薄くしていったんです。そしたらやっぱりつまらない認定されて嫌われました。
自分を作ることで手に入れたかけがえのない大親友はそういう『冗談がエスカレートしていく』ってことはなかったので関係を続けることができましたけどそういう子じゃなかったら私は最初面白いけどドンドンつまらなくなっていく変わった子になります。

それから何年か経ち小学校の子たちとは別の道を歩み始めました。人と話す時は面白くノリの良い人を演じ、大体成功して人気者になって、でも周りからの冗談がエスカレートしていってそれに疲れて反応を徐々に薄めたら離れられて…今では一人ぼっちです。大親友のような子を探すためや嫌われないために面白い人モードで人と話すけど大親友のような子は居なくて結局嫌われて…どこで間違えたのでしょうか?

一人でいると周りからの声が怖くなるんです。常時聞こえてくる男子の会話や女子たちの笑い声、明日〇〇行こうよ!と話す声、あんな青春したかったです。惨めでたまりません。

相談事を人にすると今言っていることは本当に自分が思っていることなのか?と不安になります。もしかしたら被害者ぶるために盛っているかもしれない、でも本音かもしれない、分かりません。
他にもこれを言ったら人にキモがられるかな…変だよね…とか一生考えちゃって上手く伝えられなくてまた傷ついて…
明日は何か変わってるかな…

感想1

投稿ありがとうございます。
人との関わり方って本当に難しいよなぁ…って私自身思い続けてこれまで生きてきたこともあり、一つ一つがとてもリアルに感じました。そして、私は「そんなことある?」とは思わず、率直にあなたの投稿の内容をそのまま受け取ったよってことを先に伝えておきたいと思います。
まず初めに、あなたはとても周りを見ているんだな、と感じました。人気がないという状況を変えるために身近なお手本の真似をする、即座に行動を起こされているところにも驚き、私も見習わないとなと感じているところです。
「元の自分との差が激しくて疲れた」がとても印象的でした。「人気がないのは面白くないせいだ」とすれば「面白くなれば人気になれる」ということになるけれど、個人的にはその「面白くなる」過程に大きな負荷と無理を強いられる場面があったのかなと感じました。作り上げた「人気者のあなた」でい続けることはあなたの言う通りとても疲れるでしょうし、エスカレートする冗談から生まれるストレスや、「人気者のわたしで居続けないとみんなが離れてしまう…」という崖っぷちでのストレス、半ば義務感のように演じ続ける事で感じるストレスに耐え続けなければならないことはあまりに酷だと感じます。ただ、個人的に「人気者のあなた」も「あなた」だと思うし、逆に言えばあくまで「人気者のあなた」は「本来のあなたの一部」なんじゃないかなと思いました。
「塩梅」という言葉、私自身あまり好きではないですが、同時に「意外と的を得ている…?」と感じることもある言葉です。曖昧過ぎてムッとしてしまいそうなものですが、「本来のあなた」と「人気者のあなた」それぞれの良さがあるはずだと私は感じているので、あなたの中の「ちょうどいい塩梅」が無理のない形で見つかるといいなと思いました。
人から愛されるためにたくさんのものを積み上げてきた、そんなあなたにとっての「大親友」に出会えるといいなと心から願います。
改めて、投稿ありがとうございました。

感想2

たくさん想像しながらあなたの投稿を読ませてもらいました。2回読んだ後に、もしかしたらここに書かれていないことの中に背景がありそうだな…とふと思いました。どうしてそう思ったのかはこの感想を書きながら言葉にできたらと思います。
小学5年生になる頃って徐々に集団の中の自分の立ち位置がわかるようになってきたり、集団から外れるのが怖くなったりする頃かなって思います。だから背伸びして本当の自分とはまた違った「求められている自分」や「喜びそうな自分」を演じて集団に紛れ込んでみるけれど、あなたがいう通り疲れてくる…そんなイメージを持ちました。(ちなみに私はそうやってできなかったのでいつもクラスの一番後ろで1人でいたタイプです。)
「でもやっぱり元の自分との差が激しくて疲れたんでしょうね」とちゃんと自分の心を感じられているのはあなたの地力のように思いました。それがわからずに気づいたら一歩も動けないくらいヘトヘトになって、なんだか涙が出てくる…という人もいると思います。それくらい学校という集団は適応を強いるんだろうなって思うんですよね。でも大親友に出会えたのは悪いことばかりではなかったのかも知れませんね…。そして今も大親友でいられるのは、演じているあなたのこともそうでないあなたのことも分かってしまう人なのかな。
最初に私がここに書かれていないことの中に背景がありそうと書いたのは、学校や家庭の中であなたの意志や感情をそのまま受け止めてもらった経験はどれくらいあるのかな…って少し疑問に感じたからです。自分の考えかどうかわからない、本音かどうかわからないという感覚は、そのままのあなたでいいのかどうか不安に思う経験があったのかも…そんな想像をしました。(違っていたらごめんなさい)人間って子ども時代に自分のことを「そうだね、そうしてみたいんだね、そう感じるんだ」って受け止めてもらって「これでいいんだ~」って感覚が身につくことが大切だと私は思っています。もしもそういう機会がすくなかったかもな~って思ったら、もっともっとこうやって言葉にしてほしいです。あなたは自分のことを言葉にできる人だと思いましたよ。

お返事

返信ありがとうございます。私は精神的な話ではあまり泣かなくなるのですが感想2の「学校や家庭の中であなたの意思や感情をそのまま受け止めてもらった経験はどれくらいあるのかな…」というところで涙が出てきました、今回応募した経験談の中で話しきれなかったことも実は多くあってそこを感じ取ってくれたことがすごく嬉しかったです。本当にありがとうございます。

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