親からの叱責、人格否定が過剰にあり、それも兼ねて生きた心地がしません。幼少期の頃兄からいたずらをされ、今になって勇気を出して相談してもなあなあにされました。親とは案外こんなものか、としにたくなります。現実にいる感覚がなく、また体調を崩しやすくなりました。昔はそんな事はなかったです。大人になった今このような感覚に陥りました。今でも鬱のような感覚になり、今では推し活が精神の支えとなっています。それを話しても気にし過ぎ、そして過去の叱責もされます。これが親だとは到底おもえません。リスカはしてないです、ただ薬を飲んでおり、常備していないと落ち着かない状況になりました。気持ちの落ち込みは常備で、唐突にしななきゃ、となります。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
叱責や人格否定、目標がない
感想2
要点を絞って短めに書かれた文章でしたが、ここで表現されていない苦しい日々をずっと過ごしてきたんだろうと思います。もっとも身近で離れることが難しい家族から叱責されたり自分の存在を否定される日常を想像してみると安心感がほとんどなく育ってきたのではないでしょうか。兄からもいたずらされたということで、そのトラウマが体調不良に影響していることもあるのかも…って想像しました。特に現実にいる感覚がないっていうのは、自分が自分でないよう感覚に近いのかな。あなたが安心した環境であなたとして尊重されて育ってくることが難しかったのでしょうから、心が不安定になるのは人間の自然な反応だと私は感じました。本当は家族に受け止めてもらいたかった心のSOSを跳ね返されてしまったのは残念だし、二重にも三重にも傷ついたのではないですか…。推し活で自分を保っているひとがいるのは聞いたことがあります。あなたの支えになっているものがあってよかったし、自分で何とか安定した日々を送ろうとしているあなたのことを応援したくなる気持ちで感想を書きました。どんな推し活なんだろう…と気になりながら。こうやって言葉にする機会をまたもって欲しいです。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
日常的に叱責や人格否定がある生活は、なかなかにしんどいことだと感じました。あなたのお腹の底には、行き場を失ったさまざまな感情が抑え込まれているようにも感じています。「生きた心地がしません」と書かれていましたが、どこにいても安心や安全を感じられず常に緊張状態にあることや、自分自身の存在の不安定さのようなものも垣間見えました。きょうだいとの間で起こったことを親に打ち明けるのは、相当な勇気が必要だったと思います。一番分かってほしかった相手に軽んじられてしまうことは、さらに深く傷つくことであり、死にたいと思うのも無理のないことだと私は思いました。推し活に集中する間は元気になれても、ふとした瞬間に心のザワザワが大きくなって、あなたを丸ごと飲み込んでしまうような、そんなイメージを抱きました。唐突にやってくる「しななきゃ」の後ろには、まだ言葉になっていない気持ちもたくさんあるように感じています。よかったらまた、お話を聞かせてほしいなと思っています。