経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死にたいです。
何も考えたくない。人間であることを辞めたいです。
勢いで書いているので読みにくかったらすみません。誰にも言ったことがないからたまっていて、吐き出させてください。
いつも人の目を気にしてる気がします。
いつからかは分かりません。
小学校時代は発達が早くてよくできただけで、元々勉強は好きじゃありませんでした。真面目でもなかった。なのに中学受験で成功してしまって、中学入学以降全てについていけなくなりました。
中学校で半年くらい不登校になり、部活も転々としました。全て母の顔色を伺って入った部活だったのが良くなかったのかな。
スマホ漫画テレビゲームなどの全ての娯楽は元々両親が好きじゃなくて、勉強についていけてないから余計に禁止されていました。友達の話題にも入れないし、遊びに行く時に連絡することも出来なかった。
高校ではやっぱり母の顔色が怖くなって、親友と軽音部に入りバンドを組んだあと、その親友から3年間無視され続けました。既に4回目の入部だったから、辞めたいなんて親に言えないし、辞められなかった。
辛くて親から隠れて買ったiPodtouchでゲームしたら、バレて軟禁されました。たった数ヶ月だったけど、ゲーム依存だと言われて病院に連れていかれました。
大学ではバイト先でパワハラと虐めに合いました。母に言えなくて、1年半耐えたけど、ついに親に辞めたいと言ったら「そうやって1人で全部決めて逃げ続けて人生失敗し続ければいい」と言われたのが、今でも頭でこだまします。
母は愛情深い人だったと思います。全部私を思ってのことだったんだろうなって。父も難関校を首席で卒業とか、真の意味での天才で、優しくて、経済的にもすごく恵まれてた。
でも辛いと思ったことを理解して貰えたことは1度もありませんでした。私が社会人になった今(兄弟も家庭を築いて家を出ているのも相まって)両親は寛容になり丸くなったけど、もう遅いんです。沢山のものを失い、友人からも家族からも真の理解と共感を得られなかった思春期。あと数年、あと数年、と耐え続けたあの日々。
もう取り戻せない。歪んでしまった心の形はもう戻らないのだなといつも思います。
父と母の言う「普通」、友人間での「普通」、私の中での「やりたいこと」、全部を叶えることは出来なくて、むしろ全部が叶わなかった。でも、叶ったような顔をし続けています。そうでなければならないのです。
今でも「両親のお眼鏡に叶うように」と、「会社で異物扱いされないように」と、「世の中の普通の枠にはいれるように」と、「自分にストレスがかからないように」と、たくさん考えることがあって、すごく疲れてしまいます。
そもそも私がやりたいことってなんだろう?
私は何が好きで、何が嫌いで、私はどういう人間で、どんな人生をおくりたいのか?
分からない。
何も分からないんです。
私が本当にしたいことなんてもうわからないし、見つけられない。10年以上自分と向き合っては、空っぽの自分に絶望する毎日だったんだから、よくわかってるんです。やりたかったけど叶わなかったこと、社会人になってたくさんやってみました。友達を作って、旅行して。ゲーミングPCを買ってゲームして。彼氏を作ってデートして。でもそれは叶わなかったからやりたかっただけで、今私がやりたいことじゃないんだって気づいてしまって。思ったより満たされなくて、本当に虚しい。今からやりたいことなんてないんです。
あえて言うなら、普通に生きたい。普通に生きたいとおもえる普通の人になりたい。満たされない、虚しい、死にたい、そういう思いに駆られてしまう自分を、もう辞めたい。この思いを感じなくなりたい。だから、死にたい。
生きることは私にとって義務です。
なぜ死んではいけないのか?
周りも自分も許さないからです。
私以外はいいんです。自分に向き合って、自分を受け入れて、周りからの理解を得て、そうやってゆっくりと生きている人は、尊敬します。でも私にはそれすら難しい。私は、私の幸せが分からないから。私がどうしたいのか分からないから。私がその道を選択したら、今までの私の血のにじむような努力も我慢も、全て失敗だったことになってしまう。それが怖い。
死にたい。でもどこで死んでもお金がかかるし、家族に迷惑がかかるし、私の周りの人にトラウマを植え付けることになるだろうし…なんて考えては、「そもそも私の周りに、私が本当に大切に思ってる人がいるのか?」と考えて、わからなくなる。普通にしたくて、知り合いを作って、話題は分からないけどにこにこして、気に入られるようにしてるだけ。死んではいけない理由を探しては、死にたくなる。
私が何をしたいかじゃなくて、生まれ落ちてしまった以上人として、「普通の人」として、「普通の死に方」で死ねるまで、「普通に」生きなきゃいけない。それが一番上手くいくはずなのに。楽なはずなのに。
こんなのいつまで続くんですか。
死にたいです。今すぐにでも。
感想1
自分に対するとても冷静で、ある意味容赦のない形容の一方で、親や周囲の人に対しては一定線を引くような、遠慮しているような独特の距離感を保っている印象を受けました。親からの突き放すような言葉がこだました直後に、「母は愛情深かった」と続いたのが個人的には意表を突かれました。親の愛情や自分が享受してきたものを疑う気はないけれど、自分がその環境から抑圧され、何かを失ってしまったことは確かなんだと訴えるような、理性と感情がねじれるような葛藤がそこにはあるように感じました。2ページ目以降、普段抑えているものがどっと溢れ出たようなイメージを思い浮かべています。
親が子を想ってすることのなかに、子どもが当時理解することが難しい行動はいろいろとあるかもしれません。しかしながら、投稿者さんが受けてきた言葉や対応は、私にはどうにもやりすぎに思えてしまいました。両親の中には「こうあるべき」という道筋が決まっていたのでしょうか…。あなたが顔色を伺うようにならざるを得なかった「背景」や「空気」が家の中にはきっと流れていて、そのピリつきと不穏さを持ったまなざしが内在化され、今もあなたを見張っているのかもしれません。
勝手な解釈かもしれませんが、この経験談を書いて、あなた自身の考えを言葉にするまでに、書ききれないほどの思考と努力を繰り返してこられたのだろうなと感じます。考えに考えて、それでも一人の人間としての「自分」、そこに紐づくものから逃れられないことにもう疲れてしまった感覚なのではないかなと、その徒労を受け止めたいと思いました。
普通に生きることがどういうものなのか、そして自分は何がしたいのか、わからないまま、見つからないまま生きている人は実はとても多いのではないかなと私は思います(私も含めて)。投稿者さんがそれらを見つけるための試行錯誤を繰り返すこと、「普通」に対して強い思いを抱くことは、これまでに受けてきた抑圧の反動なのではないかと感じます。そして「やりたいこと」や「普通」になることを目指すと見つからなくて途方に暮れるかもしれないけれど、それらを目指さず突き詰めずに生きることが、もしかしたら今の投稿者さんにとって暫定的な「やりたいこと」になり得るのかもしれないと考えました。「普通」という型にハマるor notの2択にしないというか…うまく言えないのですが。
あなたの「死にたい」に深く頷きながら、同時にその手前にあったはずの感情、思い、願いのようなものを掬いあげるような感覚で読ませてもらいました。(全然的外れかもしれないですし、どれもこれも今まで散々考えてきたんだよ!と感じさせてしまうかもしれませんが)私が考えたことを伝えさせてもらい、感想とします。投稿ありがとうございました。
感想2
誰にも言ったことがないこと、きっと言えなかったであろうことを、投稿してくれてありがとうございます。読んでいて、あなたの家庭や周囲の環境では「学歴」や「エリートであること」がからみついている部分がとても大きかったのだろうなと感じました。それらは (巷で流行ってはいたとしても)ものすごくたくさんある価値の一つでしかないと思いますが、私自身、東京の実家で暮らしていた学生時代、そこからまったく抜け出せずに死にたかったことを今あらためて思い返しています。
読んでいて感じたのは、あなたには娯楽を楽しむ気持ちや自由な感性が本来備わっていて、発揮する力があったのだろうということです。でもそれが親に理解されてこなかったし、多くの場合言語あるいは非言語的な態度などで否定されてしまったのだろうと感じました。母親さんが「愛情深い人」というのはそうなのかもしれませんが、愛はその人の中にある気持ちであって、それを免罪符に他者に価値観を押し付けていいはずはないと私は思います。
私は「自分」というものがそれぞれの人のどこにあるかを考えた時に、感性や認識の仕方の中にある部分が大きいように感じます。そう考えると、親の顔色を伺い、さまざまな制限の中で自分の心を押さえ込まなければいけなかったら、何も分からなくなるのも当然なことだと思いました。むしろ、分からなくすることで、その時々の自分の感性の痛みを押し殺してなんとかあなたは生き延びてきたのではないかと感じて、よくここまで頑張ってきた……という気持ちに読んでいてなりました。だけどそうして生きて来ざるを得なかったからこそ、その環境から少し離れて、自分自身で選べるタイミングになっても、自分の声が聞こえない焦りがあるのかもしれません。
分からないなりに過去願ったことを取り戻そうとしてみた試みの中で、それでも満たされないと気づいていく過程には、穴が空いたような寂しさや虚しさがあるように思いました。自分自身の心がわからないと、苦しさだけが醸成され続けて自分をどのように取り扱っていいのかもわからなくなってしまうように思います。その意味で、あなたが今取り戻せずにいるのは、その当時やりたかったことそのものというよりは、あなたとあなた自身の感性や気持ちとのつながりなのではないかとも感じました。感性は完全に失われることはないと思うのですが、それをずっと押し隠してきた中で、どうやってそれをたどっていけばいいか分からなくなることはあるように思います。
「私は何が好きで、何が嫌いで、私はどういう人間で、どんな人生をおくりたいのか?」その問いはきっと誰にとっても簡単ではなく、すぐに答えの出るものでもないように思います。でも、その問いを持つこと自体が、あなたがあなた自身に興味を持ち、自分を知ろうとしている気持ちの表れでもあるのかなと感じました。あなたにはたくさんの「義務」があるのだと思います。その隙間で自分に問いかけるのはとても労力のいることだと想像しています。でも、そんなことはどうでもいいとも思いきれないような、考えたくないけれどそれでも諦めきれないような、そんな中にあなたがいるのかなと思いました。だからこそ、こうやって文章にして、自分自身に触れようとしてるのかなと思ったのです。
私も東京で生まれ育ち、自力で行ける範囲で映画館では一通りやっていて、本は発売日に買えて、家庭環境的にも大学に行くのは当たり前という中で生きていましたが、他の地方に移り住んで、それがかなり特殊な環境だったことに気づきました。時代や地域、個人の価値観の中で「当たり前」も「普通」も違っていくものなのだと身に染みる瞬間があります。
いまあなたが会社で、家で、どんなふうに毎日を過ごしているのかなと気になりました。 あなたがこれから過ごす日々の中で、あなたにとって過ごしやすい価値観や、あなたもだれも否定したりせず、うそのヒエラルキーを誇示したりもしない、広々とした「当たり前」や「普通」にたくさん出会えるといいなと勝手ながら思いました。そして、あなたが美味しいと思うもの、ほっとする匂い、音、落ち着いて過ごせる時間、心地よい温度……そういったものがが見つかることを祈っています。
感想1
自分に対するとても冷静で、ある意味容赦のない形容の一方で、親や周囲の人に対しては一定線を引くような、遠慮しているような独特の距離感を保っている印象を受けました。親からの突き放すような言葉がこだました直後に、「母は愛情深かった」と続いたのが個人的には意表を突かれました。親の愛情や自分が享受してきたものを疑う気はないけれど、自分がその環境から抑圧され、何かを失ってしまったことは確かなんだと訴えるような、理性と感情がねじれるような葛藤がそこにはあるように感じました。2ページ目以降、普段抑えているものがどっと溢れ出たようなイメージを思い浮かべています。
親が子を想ってすることのなかに、子どもが当時理解することが難しい行動はいろいろとあるかもしれません。しかしながら、投稿者さんが受けてきた言葉や対応は、私にはどうにもやりすぎに思えてしまいました。両親の中には「こうあるべき」という道筋が決まっていたのでしょうか…。あなたが顔色を伺うようにならざるを得なかった「背景」や「空気」が家の中にはきっと流れていて、そのピリつきと不穏さを持ったまなざしが内在化され、今もあなたを見張っているのかもしれません。
勝手な解釈かもしれませんが、この経験談を書いて、あなた自身の考えを言葉にするまでに、書ききれないほどの思考と努力を繰り返してこられたのだろうなと感じます。考えに考えて、それでも一人の人間としての「自分」、そこに紐づくものから逃れられないことにもう疲れてしまった感覚なのではないかなと、その徒労を受け止めたいと思いました。
普通に生きることがどういうものなのか、そして自分は何がしたいのか、わからないまま、見つからないまま生きている人は実はとても多いのではないかなと私は思います(私も含めて)。投稿者さんがそれらを見つけるための試行錯誤を繰り返すこと、「普通」に対して強い思いを抱くことは、これまでに受けてきた抑圧の反動なのではないかと感じます。そして「やりたいこと」や「普通」になることを目指すと見つからなくて途方に暮れるかもしれないけれど、それらを目指さず突き詰めずに生きることが、もしかしたら今の投稿者さんにとって暫定的な「やりたいこと」になり得るのかもしれないと考えました。「普通」という型にハマるor notの2択にしないというか…うまく言えないのですが。
あなたの「死にたい」に深く頷きながら、同時にその手前にあったはずの感情、思い、願いのようなものを掬いあげるような感覚で読ませてもらいました。(全然的外れかもしれないですし、どれもこれも今まで散々考えてきたんだよ!と感じさせてしまうかもしれませんが)私が考えたことを伝えさせてもらい、感想とします。投稿ありがとうございました。