経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

現在の自分を整理したい

最近もうどうしようもなくなってきたので、少し状況を整理したいと思いました。
まず2年前の11月頃、体育の授業中に急に死にたいと思いました。確固たる理由があったのかどうかは分かりませんが、もしかしたら孤独感から来た気持ちかもしれないし、飽きたのかもしれないし、学校が嫌だったのかもしれません。ただ、それから3-4カ月程不登校になって、その間は部屋に籠もっていたり、たまに外食に行ったりしていました。その間中ずっと死について考えたり、無気力だったりしていました。
その時はネットに逃げて、偶然知り合った方がおり、その人に相談やら愚痴を吐くやらして、なんとか症状が改善しました。大体3月頃に学校に復帰できるようになって、それからはあらかた普通に生活していたような気がします。友達がいなかったり、不真面目だったりは相変わらずでしたが。
確か、新学期に入ってまた悪いピークが来たような気がするんですが、その時の記憶はあんまりないです。というか、ここ最近日々が単調すぎて過去1年ぐらいの記憶が曖昧だということに気が付きました。
そして今に至るのですが、現在は9月ぐらいからまた悪い周期に入りました。やる気がなかったり、死にたいと思ったりすることは日常茶飯事です。
ここで悩みがあるんですが、これは性格なんでしょうか、それとも病気なんでしょうか?
個人的には性格かな、と思っています。他の方の体験談や辛かったことなどを聞いていると、とても僕の症状がそれほど深刻なものとは思えません。それに、うつ病の症状などを調べてみると、いくつか当てはまるものもありますが、症状は軽いか、全くないということが多々あります。すると、相談するのにチャットや電話、病院に行くというのもためらわれます。この程度で大ごとにはできないと感じています。
この文章を書いているのも、塾を予定よりも早く帰ってきたからです。それを勇気と捉えるのは簡単だし、聞こえもいいですが、僕自身や周りの人は逃げたとしか考えられません。
僕は今までカウンセリングや診察を受けたことはないのですが、初めて今の状況を書いています。それは誰かに相談したいという気持ちもあるのですが、一番は誰かに知ってほしいと思ったからでしょう。自己顕示欲が高いということです。申し訳ありません。
最近は、月一回程度だった強く死にたいと思うようになるペースが速まっている気がします。何かあるたびにそう思います。性格がネガティブなためでしょうか。
死にたいというよりも、普段は生きたくない気持ちが強いです。もう生きたくない。おそらく、僕はこの社会で人間として生きるのが苦痛なんでしょう。人間として生きられない。社会が合わないんだと思います。合わせられないんですたぶん。圧倒的に、協調性がない。それゆえに生きられない。だから生きたくない。
死にたいと思っても、安楽死はできません。自殺もできません。死にたいですが、死ぬのは怖いです。少なくとも、あまり苦しまずに死にたい。自分勝手ですが、そういう気持ちがあって自殺もできない。周りの人にも迷惑はかけられないですし。
本当にわがままな子供で申し訳ないです。何がしたいのか分からない。するべきことはたくさんあるのにできない。自分勝手すぎる。将来の希望もありません。やりたいこともありません。強いて言うなら死にたい。でもなるべく苦しまずに、すぐ死にたい。酷い。
長々と申し訳ありませんでした。これ以上はもう整理も何もないと思うので、これぐらいで終わっておいたほうがいいと思います。言いたいことはまとまりませんでした。すみませんでした。駄文ですが読んでいただいてありがとうございました。

感想1

とても冷静に自分の変遷を振り返っている文章だと思いました。同時にどこか遠慮気味で、自分で書いたことに絶対の自信は持てないような、書きながら自分を疑っているようにも見える、そんな不思議なバランスを感じました。自分の状況を書くことについて「自己顕示欲」だと表現していましたが、自分一人で自分に向き合う時と、第三者に向けて説明(表現)しようとする時に出る言葉はまた違うような気がするので、自分のことを外に向けて書く、という行為にはそれだけでも意味があるように私は感じています(ただでさえ自分という存在がいろんな面を持っているのなら、知る術は多い方がいいと個人的には考えています)。

読みながら、あなたが社会の空気や周りの人の様子をよくキャッチしているように感じました。自分がどういう存在なのか、自分はどうしてこうなっているのか?を考える時に、「周りと比べて」という観点が軸になっているような印象です。自分の存在を客観視するときに相対的になることはある意味自然かもしれないのですが、それよりはもう少し、客観視が自己否定に傾いたものになっているようにも見えました(それが良い・悪いという意図はないです)。
ただこれはあなただからというわけではなく、そもそも社会の風潮として「~よりマシ」という考え方がベースになっているような感じがしています。比べ合ったり、適応できないことを非難されたり、人と違うと目立ってしまったり。そういう社会の空気感が、あなたの死にたさや、自分の辛さをまっすぐに伝えることをためらう気持ちの後ろ側に渦巻いていたりするんじゃないだろうか…と想像しました。それぞれの死にたさにはそれぞれの事情と感情があると思うので、個人の性格や症状というのも全く無関係ではないと思いますが、それはあくまで一要素で、「死にたい」と思う背景にそもそも個人を超えた問題があったり、「死にたい」と思う気持ちを受け入れない社会の余裕のなさだったりといった様々な要素が絡みあい、私たちの「死にたい」は出来上がっている(だから難しい)のかなと思いました。

学校という社会の中、そして学生という社会的な位置の中は、自分の気持ちでどうにかすることができないことが多いのに、周囲から要求されることや人と比べて何か言われる機会も一番多いタイミングなのかな…と思います。いきなりその環境をひっくり返す・抜け出すのは中々難しいとは思うのですが、ひと時でも、自分の気持ちを打ち明けて、一般論に当てはめられずに話せる、そんな時間がここにあればと感じます。よければまた訪れてみてください。

感想2

投稿ありがとうございます。
あなたの経験談を読んでまず思ったのは、あなたの心は自分を責めたり否定することでたくさん傷ついているのではないかということでした。
「死にたい」という気持ちが突然湧き出てきたあと、数か月間ずっと死について考えるというのは、とまどいや不安などの気持ちを抱えながら孤独で長い旅をしているような感覚だったのではないかなと想像しています。
周りの人に迷惑をかけたくない、死にたい気持ちを抱える自分自身のことを「自分勝手」や「わがまま」だと表現されていたり、またネットでの出会いによって回復したお話やここに文章を書きにきてくれたことを「逃げる」と表現されていることが少し気になりました。
あなたの中で「正解」のようなものがあり、そこから外れる際に「申し訳ない」という気持ちになったり、うしろめたさを感じるのかなと思いました。(あなたの本心というよりは、現代社会や周りの環境にそう思わされているのかもしれないと思いました。)
人間として生きられない、社会が合わないと感じるのも、たまたま今あなたのいる環境にあなた自身が適応するのが難しいだけなのかもしれないとも思います。その世界であなたはたくさん傷つきながら生きているのかなと想像していました。そんな中で「死にたい」と感じるのは自然なことのように思います。そしてそれをだれかに知ってほしいと思うことは自己顕示欲ではなく、誰しも持っている自然な感情のように思います。だれかに知ってもらうことが傷ついた心の癒しにつながると思うのです。
死にたい気持ちをだれかに相談することにハードルを感じているように思ったのですが、その理由として「他の方の体験談や辛かったことなどを聞いていると、とても僕の症状がそれほど深刻なものとは思えません」と書いてあったのが印象的でした。他の人と比べてしまう気持ちに思わずうなずいてしまいました。
私も周りを見比べながら自分を計ってしまう癖があります(ちょっと似てるかもと思いました)。つい「自分よりももっと大変な人がいるから」と自分の悲しみや辛さを心に押し込んでしまおうとしてしまうのです。
しかし、「苦しみの定量化はできない」とある人に言われたことがあります。鉛筆が折れてしまっただけでも泣き崩れてしまう人もいれば、「それがなに?」と平気な人もいる。つまり「人によって苦しみの量は違うし、あなたの悲しみは他人と同じように計ることはできない」ということでした。私はその言葉に少し心が救われたような気がしました。
他の人から見て「たいしたことないだろう」といわれるようなことでも、自分にとっては大きな悲しみや辛いことだったりすることもあるので、他人と比べることは意味をなさないものだと思いました。うつという病名がつかなかったとしても、あなたがしんどいという事実は変わりないのです。
相談やカウンセリングなどの形ではなくても、どこかに自分の気持ちを吐き出してみて欲しいなと思いました。その一つの選択肢として、またここに来てくれたらうれしいです。

感想3

この文章を書いている方は高校生など学生さんだろうか、と想像しながら読ませてもらいました。
あなたが今に至るまでどんな人生を歩んできたのか、すべてを知ることは難しいですし勝手な想像でもありますが、もしかするとずっとなんとなくの違和感を感じながら生きてきたのかもしれないと思っています。文中に書いてある「人間として生きられない」というのが今のあなたの状態を指し示す適切なことばなのかもしれません。死にたい、生きていたくないもあるけれど、何より人間として生きていくことが難しい。
難しいですよね、勝手ながら共感して読んでいました。他の人はいったいどうやって過ごしているのだろうと嘆くときもあるし、誰かの模倣をしてどうにか人間の形を保っているようなときも個人的にはあります。それは自分が規格外だからなのかと長年考えてきましたが、いろんな人に出会うなかでそもそも「人間として」という“基準”は実は曖昧なものなのかもしれないと思いますし、社会においてそういった基準のストライクゾーンがあまりにも狭すぎるのではと考えるようになったこの頃です。(と、いいつつ「人間難しい…」と床にのびて呻いていることもまだありますが。)自分語りが長くなってしまいましたが(すみません)、そんな今の社会の中であなた将来の希望がなく、何もやりたくないできたら楽に死にたいと思うのも我儘でもなんでもなく、社会にそう思わされているといえるのではないかと思っています。
また感じているしんどさや悪い周期に入って死にたい気持ちになるのも、あなたが書いているように性格の部分もないとはいいきれないなあと思います。一方で、現在に至るまでにあなたが経験してきたこと(それは覚知されているものもあれば、無意識化のものもあるかもしれません)が様々に絡み合って今のあなたの状況に至っているとも思うと性格なのか病気なのかを切り分けることは中々に難しいですし、性格もそういった経験やあなたをとりまく環境によって左右されうるものなのではっきりと決めることはできないのかもしれません。ただ今あなたが死にたかったりやる気がでない状態があるとしたら、それは他の誰かと比較されたり優劣をつけれるものではないと私は思っています。
あなたは文章中で自分の状況を誰かに知ってほしいと思った自己顕示欲、と表現されていますが、今回のように言語化して誰かに伝える形にすることはタイトル通り自分自身の整理にもつながりますし、そうやって外在化させることでケアにつながることもあるのではないか、と個人的には感じています。そういった面でも相談や病院は使えるかもしれません。自分の状況や気持ちをこういった形で文章化できるというのはあなたの力であると私は感じていますが、もしかするとあなたはこれが他者からどう思われるのか、自分の甘えなのではないかという不安もあるのかもしれません。また「人間として」というところにもつながりますが、社会にとって何か役に立つべきというような感覚もあるのかなあと想像しました。
それが文章中にも何度か出てくる謝罪にもつながってくるのかもと想像しますが、社会側の不寛容さをひしひしと感じている身としてはあなたが謝ることではなく、課題があるのは社会側なのではないか…と思っています。ただ私が勝手に想像していることも多いので、またあなたのことばで感じていることや経験してきたことが知れたら嬉しいです。もしよければ、言語化するためのツールとしても死にトリを活用してもらえたらと思います。
今回は投稿ありがとうございました。

感想4

「最近もうどうしようもなくなってきたので、少し状況を整理したい」という一文目がすごく気になり、そう考えるあなたはどんな人なんだろう?と思いながら読みました。「どうしようもない」ときに「整理する」というコマンドを持つのは結構むずかしいんじゃないかと感じるからです。そして経験談全体を読ませてもらい、きっとあなたは自分の状況を見つめるまなざしがある人なんだろうなぁと想像しました。

そもそもなんで逃げてはいけないって言われるんでしょうね。逃げるのは意気地なしとか言われるような気がしますし、私自身も逃げまどい人生なのですが「自分には逃げ癖があってダメなんじゃないか」と思ったりすることがあります。でも「意気地」(?)で無理やり逃げずに踏みとどまることがその人に負荷や重圧をもたらすなら、とっとと逃げた方が健康的な気もします。あなたがネットに「逃げ」て相談や愚痴の中で改善したというのは、個人的にはすごく大事なことだと感じました。もちろん、それが最高のやり方だったかなんてわからないと思いますが、あなたなりの対処を講じたということだと私は思いました。

「この社会で人間として生きる」ことが私もいやになることがあり、その部分に共感しました。村田沙耶香さんという小説家がエッセイの中で自分を「異星人」みたいに感じてきた感覚のことを書いていました。私もこれを読んだときも「わかる」と感じました。とくに学校では周囲と合わない感覚があって、自分を地球人にまぎれこんだ宇宙人みたいに感じていました。でも、私は最近はわりとそういう「異星人」の多い環境で過ごすことが多くなり、社会といっても意外といろんな人がいて、普通の人をなんとか装っているさまざまな星の「異星人」仲間もけっこういることに気づきました。 自分語りですみません、
残念ながら、未成年はとくに、自分で自分のいる場所を選ぶことがむずかしい場合も多いと思います。ただあなたがインターネットでは関わりやすい人がいたりしたように、本当はさまざまな場所にあなたにとって居心地のいい場所はあるのではないかと思ったりもしました。
「合わせられない」とありましたが、本当なら、合わせるべきはあなたではなく社会の方だと思います。あなたのしんどさはあなたのものだけど、それはあなたのせいではなくて世の中のさまざまな価値観とか「こうあるべき」みたいなもの、社会の側の課題である側面が多いと感じました。社会はもちろん人間が作り上げているものですが、すべての人たちのために社会というコミュニティがあるのだと思います。だからこそ、今のかたちからより社会の方をアップデートさせたいと私は思ったりもします。

誰かに知ってほしいと思ったときに死にトリに投稿することを選んでくれて私はとてもうれしいです。あなたが整理しようとしていることにあまり役に立たない感想だったかもしれないのですが、私自身はそこにいるあなたの声をもっと聞いてみたくなりました。あなたがどんなものを見て、どんなことを感じて、考えているのか、よかったらまた聞かせてください。

一覧へ戻る