子どものことは何より大切で大事な存在だけど、この子をこの子らしく育てようと思えば思うほど、自分が自分でいることを諦めないといけない。
綺麗好きだった自分、服やメイクが好きだった自分、スカートしか持っていなかった自分、食べることや飲むことが好きだった自分、ひとりの時間も友達との時間も好きだった自分。
全部を失ってでもこの子を守らないといけない。その選択をしたことに後悔は全くない。でも。でも。
自分を全部無くして『ママ』になって、それで本当にこれは『私』だと言えるのか。
『私』ってなんだろう
最低限の身だしなみすらできず、好きでもない汚れても良いだけの格好をして、子どもと分けられる食事を毎日用意して、ただひたすら子どもに向き合う日々。
もう数年前の自分が思い出せない。これがあとどれだけ続いてどれだけ自分でない自分でいないといけないんだろう
この子には私しかいないから死ぬことはない。でも『ママ』じゃない昔の私はもうこの世から消えちゃった。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分が自分でいられない
感想2
お子さんが生まれてから、自分の全てを投げ打って、子育てに向き合ってこられた様子が伝わってきました。
文章から、決めたことはやり遂げたり、突き詰めたりすることのできる力がある方なのかなという印象を受けました。力があるからこそ、自分に厳しい側面も持っておられるのかもしれません。自分への厳しさから、お子さんを優先しなかったり、自分が自分であろうとすることを許せないあなたもいるのかな、と感じています。
「ママの前に、あなた」だと思うことも、「どちらも大切にできればいいのにな」と思うことも、口では簡単に言えるのですが、実際の目まぐるしい暮らしの中であなたが諦めていること、我慢していること、叶わないことが、たくさんあるのだろうな、と思います。
しかしながら「自分が自分でいることを諦めなくていい時もある」ことを忘れないでほしいなと願わずにはいられません。好きな服を着られる日があったり、美味しいものを食べたり飲んだり、友達とも遊びに出掛けてほしい。
お子さんを任せられる人が身近にいらっしゃらないのか、任せられない環境なのかは、この文章だけではわからないのですが、一人で子育てを抱え込んでもいらっしゃるのだとしたら、どんなに力のある人でもパンクしてしまうのではないかなと感じます。
ほっとしたり、安心したりできる時間はあなたにあるのだろうか、あなたが自分を大事にできる時間を確保できる環境があるのかどうか、もう少し詳しくお話を聞いてみたいなと思いました。
感想1
自分は、子育て経験、親に育てられた経験が無く、親がどんな想いで子供に向き合っているのか、変わりゆく、変わらざるを得ない自分とどう向き合っているのか知る機会になりました。
どれだけ望んで、後悔のない選択肢をしたとしても、そこに「私」がなければ寂しさを感じてしまい、どうして?を問い続けてしまうのかなと思いました。自分の中で、親は子供のために、という「固定概念」があり、その概念こそが「私」を奪う要因にもなっているのではと気づかされました。
子供に対する責任、社会・周囲からの「親とはこうあるべき」論など様々なプレッシャーを感じてしまいそうな現状で、自分に比重を置くようなことをすると「もっと子供のために○○しろ」みたいな意見が寄せられてしまう息苦しい実情があると個人的に感じています。
子どもが寝てからも、子どものための何かをする、考える時間に追われているのだと思います。「私」の時間なんて考える余裕もない、仮に余裕があっても子供のために使う選択になるのかなと想像しました。(勝手な想像で違ってたらすみません)
子供のためとはいえ、自分自身のことを諦めるって、どのような心境なのか考えてみることがなかったと気づきました。
子育てしながら「私らしい」時間が少しでも増えるには「何が」必要なのか?どんな方法があるのか?自分一人では考えること、行動することに限界があるように思います。
子供に合わせた子育て、自分に合った子育ての仕方など色んなやり方があるのかなと想像しますが、「私」を確保しながら子育てもしやすい環境、サポートにはどんな事があるのか親だけではなく社会全体で考えられたら良いなと思いました。