中学で人間関係に悩み不登校になり、みんなに励まされながら保健室通いで何とか卒業しました。高校は男の子が多い場所で非常にうるさく、聴覚過敏がある私には辛いものでした。放送の声や授業中でも先生の声がまともに聞こえない時が日常茶飯事でした。5月には不登校になり、結局その高校はやめてしまいました。行きたかった高校だったのでショックでした。制服代も高かったので、お母さんに「お金をドブに捨てた」と言われました。当然です。でも私にはどうしようもできないので、言われた時は悲しかったです。お母さん、ごめんなさい。
そのあと定時制の高校に転入し、保健室に通いながらなんとか卒業しました。
お母さんや先生が、行かせて貰えるなら進学した方がいい、と言ってくれたので、専門学校に進学しました。ここで頑張るぞ、と思っていました。入学して友達もでき、それなりに頑張っていましたが、今度はその学校は女の子ばかりで人間関係が非常にドロドロしていて、面倒なことになっていました。授業の内容も難しかったです。授業中にスマホを見ていたり、喋っていたりで真面目に受けない人がおおくて先生が怒る日が多く、すごくストレスがかかってしまいました。その結果、鬱病になりました。一旦は休学することになりましたが、その学校も辞めてしまいました。今度はお金が150万以上かかっていたので、もう非常に申し訳なく、死んでしまいたかったです。次失敗するのが怖いです。これ以上失敗できない。迷惑もお金もかけられない。もう死ぬしかないんです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
失敗の多い人生
感想2
投稿ありがとうございます。
私としては、あなたが失敗という重荷を過剰に背負わされているような気がして気がかりだったというのが、率直な感想です。
もちろん悔やむ気持ちはうなずけます。もっとこうしたかった、あの時こうすればという思いはあるのではないかと、勝手ながら想像させていただきました。
だけどあなたの行動選択にはいろいろな要因が絡み合っていると思います。専門学校の件に限っても、クラスの雰囲気、人間関係、聴覚過敏、かつての母親の発言、そして鬱病などさまざまな要因が見えてきました。今回は経験談には書かれなかった要因や、私が気付いていない要因もいろいろあると思います。いろいろな要因があって、関わった人物もいろいろいるからこそ、最終的にあなたが辞める選択をされたと受け取っています。選択の過程にはいろいろな物事が関係しているのに、その選択で生じた結果はあなたが一身に背負って、そしてつらい思いをしているように見えてならず、私は納得できない気持ちになったのです。
過去について省みるのは大切なことだと思います。だからご自身の失敗だと思う出来事を振り返るあなたを受け止めたい気持ちはあるのですが、これはあなただけの失敗ではないんじゃないかと思います。もっと言うと、果たしてあなたのこれまでは失敗と言い切れるのか、失敗以外の呼び名があってもいいんじゃないかって、そういう思いも抱きました。
最後に、聴覚過敏と向き合いながら学校で過ごしたあなたに、周囲の人々にはもう少しでも配慮してもらいたかったなぁ…、お母さんにはもっと違う言葉を選んでほしかったな…などと私は思ったこと、どうしても引っかかったので、伝えさせていただきます。
感想1
中学、高校、専門学校全てにおいて人間関係に悩みながらもあなたなりに一生懸命向き合ってきた印象を受けています。(もしかしたら聴覚過敏があるとのことで、小学校などでも苦労されてきたかもしれません。)学校を辞めるという選択も、心身の限界を受け、あなた自身を助けるために決断した選択なのではないかなと想像します。
そんな中、親御さんからお金を引き合いに、責められたようなことを言われてしまった経験は、限界の心身の中、深く傷ついたことだと思います。誰よりも学校へ行けなくなって悔しい思いをしたのは、親御さんではなく、あなただと思うのになあ。
わたしもお金で親に迷惑をかけられないと何かを諦めそうになっていた時があり、その時に「なんで迷惑かけちゃだめなの?かけられるだけかければいいじゃん」と大人からさらりと言われ目から鱗が出たことがあります。
失敗してもいいし、迷惑をかけてもいい。そう思えるには何が必要なんだろう。(外的な要因もとても大きい気がします。)あなたにとって、心地よい環境や人に出会えていけるといいな。