経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死ぬのも生きるのも嫌

最近、勇気を出してLINEで匿名相談をしたけど、あまり自分の気持ちを吐き出せないし、スクールカウンセラーに相談した方が良いと助言されたにも関わらず、出来ない。長文失礼します。
小学生の頃から上手く人と話せなかった、黒板の角や手の甲を眺めているのも癪で、ずっと本を読んでた。教室の中で私は本を読む人と成っていた。小5頃かな、道徳の授業で「誰にも価値はある」みたいな事を言われた時、クラスみんなの前で泣いてしまったこと。ニュースで自死をした、同年代の子を凄いなって思ったけど、いじめに遭ってた。良いなって思ってしまった罪悪感は今でも思い出す、その頃からしにたかったんだなー、中学に上がる前にはしぬんだと思ってた、こう、スーッと。
中学2年の夏休み明けの事。美術の宿題の出来をとあるクラスメイトの女子2人に笑われてるような気がした。校内での作品鑑賞中では私の前で急に現れたりしてたから、多分最初はからかいだったんだろう。前々から人を見る癖があったのでそれが災いしたのか、その後、気がつけば私はストーカーという事になっていた。その内の1人が小学校から母親同士で仲が良かったのに、教室で普通に悪口言ってるんだもんね笑でも、母が癌で闘病中って事を知ると急に(人目が気になるだけじゃない?)とか話してて…気持ち悪かった。同情しないで欲しい、でも分かって欲しい、責めきれない。あと1人は、同じ高校。
視界に入れれば何か言われるから、給食の配膳の時間とか地獄だった、1番前の席で、目の前で話してるの聞こえてるし、下見るしかない。教室出入りする時、鉢合わせたりもしたくないから、場所把握しなきゃで見ないわけにもいかないし。
トランペットを小・中と続けてきていて、中学では吹部に入った。中2の頃から後輩と仲良くなったし、中3は親友も出来て、楽しかった。途中で、親友の子が不登校になった。詳しくは聞けてないけど、とある女子が無理らしく、私への悪口とか、視線とかそういったものが、その子に飛び火してるんじゃないかと思った。でも、その時私も言えてたら良かったのに、言えなかった、というより言わなかったよね。それを是としていた。いや今も?1年間で特に気づかれなかったし、無かったことにしたかったのかも。あと、私と一緒にいる子が何か言われてるなって思う事は他にも何度かあった。もっと前に言えてたら変わってたのかな、被害者?加害者?でもしんだら終わりか。
今は、中学での2人の内の1人が同じ高校で、客観的に、私がストーカーという事に信憑性が高くつくわで…ただ、今の高校は学力と距離と、何より吹部が強くて、将来とか何も解らないけど、母が、ママが、良いじゃん〜って笑ってたから、選んだだけなのに。悲しい。
中3の頃、母が癌で亡くなり、父は鬱の中で頑張ってた。
途中、色々あって児相に一時保護された、その時が1番楽しかったかもしれない。一緒に過ごす子達とは話さないことがルールだったけど、朝皆で走ったり、ご飯食べたり、相手の事は何も知らないけど一緒に居れたから。その中でカウンセラーさんに、しにたいと思った事はある?と聞かれて、はいと答えたが深掘りはされず…記憶の中ではこれ言ったの初めてだったんだけどなと落胆しつつ、表立った問題である、家庭の事だけ話した。
気持ちが落ち着かない時があるなら、心療内科に行く事も考えようって言われたけど、結果それ以上話は進まなかった。今思い返すと、入眠時に動悸が凄くて寝付けなかったな。児相は楽しかったけど、やっぱり不安だったのかも。
その後、高校に復帰してからも定期的にカウンセラーさんと話す機会が設けられたけど、全く、学校での問題は話せてない。今は大丈夫そうってことなのか、無くなった。
父は病状が思ったより酷かったみたいで、施設、ホームに。弟は、私が今一緒に暮らしてる父方の祖父、叔父と上手くいかずに施設へ。離れ離れになってしまった。未だに2年経っても祖父と叔父とは上手く話せないし…。特に、最初の方は辛かった。父が叔父に怒鳴るのを聞いてるのとか、学校行ってる間、祖父が弟を床に叩きつけた?とかで。祖父は認知症でそのことを忘れて、不登校だけを理由に施設に行ったと思ってて、一緒に暮らせないかとか、学校行かないのは恥ずかしいとか、価値観で相成れない部分はあるだろうけど、弟がこの場に居たらどう思うだろう..復縁は無理そうだとキッパリ言ってしまうのもな。母が亡くなった事を掘り返されるのも、話すのが辛い。
高校に入る時、吹奏楽は辞めた、キャパオーバーしそうで。でも、音楽はアイデンティティだったんだ。別に好きでも無い、嫌な思い出しかないけど、ずっと幼稚園から音楽に触れてきたし、それ以外は、勉強も何も自堕落に生きてきた私にとっては。何も無いなって。
息を殺して生きてきた。でも、気がつけば受験生になって、 、進路相談では、図書委員の私が司書を目指すのは自然かなと思って、先生に言ったりして、今は国語教師?目指してる。けど、面接練習出来てない、夏休みにチューターさんと1回話したけど、その後の長所とか、大学でやりたい事とか、無いから。家ではずっと泣いてたし、バックれちゃった。高校も面接、ひとつも受け答え出来なかったけど倍率低いから入れただけ。友達はいないし、私の悪口を言っているような気がして怖い、耳をそばだてて私のことでは無い証拠を必死に探す、話しかけられても上手く相槌すら打てない。早く終われー!とさえ思ってしまう。
つい先週、体育の前更衣室で、その子を見かけて、授業中でも若干息が苦しかった。それで、「お腹痛いので、お手洗いに____」と個室に駆け込んだけど、そこから涙が止まらなくて、1時間くらい。出られなくなっちゃった。サボってるとは思われたくない、保健室行く?って言われたけどそれ程体調が悪い訳でもないしなって思って。その後自分の席に戻って授業参加したけど、そこでもちょっと泣いた。
ご飯食べれなくて、ずっと泣いてる日もあるのに誰も助けてくれない。
最近、クラスパーティした時、「帰るの遅くなるから帰らないと」が言えなくて、無言で離れて駅入ってから息が苦しくなった。過呼吸という程でも無いかもしれない、けどたまに車や人、ともかく人が怖くて、住宅街を歩いてるんだけど。どこに行ってもどうしようもない時がある。
知らない学校の人にストーカー?とか言われてたけど、朝、駅で怒鳴り声が聞こえたけど、幻聴??なんかもう、人が怖い…未遂もリスカもした事ないけど、そうでもしないとこんな生き方してたら許されないような気がしてくる。
しねば良いと思って、何も出来ずに生きて行くのが1番辛い。この後やりたい事とか考えたくない。でも大学落ちちゃう、でもそもそもいきたくないー
なんだかんだ生きてっちゃう自分が好きで嫌いだ。
相談したいけど、これ程躊躇するのは何故なのか、整理が出来てないし、今相談したら何か変われますか?

感想1

何だかあなたの横にいて、今までしんどかったことをうんうんって聞かせてもらっているような気持ちでゆっくり時間をかけて2回読ませてもらいました。
人知れず言葉にならない気持ちを抱えながら小学生時代を過ごしていたんですね。「誰にも価値はある」このひと言を聞いたときに「えっ…じゃ私は…?」って反射的に涙が流れてきたのかなって想像しました。小5の時点で自分の価値に疑問を持たなければならなかったあなたの姿を想像すると私の心のどこかが苦しくなりました。でもずっと音楽があなたの辛さを和らげて紛らわせてくれたんですね。
「勉強も何も自堕落に生きてきた私にとっては。何も無いなって。」って書かれていましたね。どうなんだろう…私には何も無いって全然思えませんでした。あなたはここまで自分の考えを出せる自分を持っているって(決して気休めではなくて心からそう思います)今まで自分を見失ってもおかしくないようなことがたくさん起きて何度も涙も流したと思うけれど、投稿文からは「自分」を手離なさないで生きているあなたが見えるような気がしました。
人が何かを頑張るとか、続けられるにはそれを支える土台が必要です。その土台って幼い頃から安心できる環境の中であなたの意思や感情を尊重されてきたかどうかでだいぶ変わってきます。両親が病気で、早くにお母さんを亡くされた経験はあなたの心にどれほど影響したのか想像してもしきれません。家の環境も安心できなかったようですから、心が不安定にならざるを得ない子ども時代を過ごして今に至るのかなって思うんです。だから何かをしようと思っても気力がわかないとか続けられないとか不安だとか怖いとか…どれもとっても自然な気持ちだと私は感じました。自分の存在がどう思われているのか不安が強くなると、周囲の人や音や車…色々“怖い”存在になっているのかなって思い浮かべました。
“なんだかんだ生きちゃう自分が好きで嫌いだ”っていう言葉にあなたの迷いとか「わからないよー」っていう複雑な思いが色々表れていると思います。そんな時はスクールカウンセラーでもいいし、もう一度匿名相談でも「言えそうな人」に話してみてもいいのかもしれませんね。あなたが生きているのも悪くないかもって思える瞬間が増えることを願っています。よかったらここにまた気持ちを置きにきてほしいです。
投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。あなたの文章を読みながら、これまでの時間経過の中で折り重なってきた経験がそれぞれに絡まり合い、今の息苦しさや“相談したいのに言葉が出ない”という状態をつくっているのかなと想像していました。
学校での誤解や噂、お母さんを亡くした喪失感、お父さんのこと、祖父母さんとの価値観の衝突、弟さんとの別れ、本来安心できるはずの居場所が次々と揺らぎ続けていくこと…どれか一つだけでも耐えるには重たいはずなのに、あなたはそのすべてを、周囲に気づかれないよう息をひそめながら抱えてきたように私には映りました。
特に、中学での出来事は加害、被害といった単純な線引きでは扱えないまま、あなたの内側に居場所のなさや罪悪感を残したのではないかと感じました。本当は怖かったのに黙っていたこと、誰かの悪意があなたの周りにじわじわと滲むように広がっていったこと、それらを「もっと前に言えてたら変わってたのかな」と言わなかったことの責任を自分で背負おうとしているあたり(ように私は捉えていますが違っていたらすみません)に、あなたがずっと矢印の向ける先を自分にしてきた癖のようなものも私は感じました。ただ、それは決して弱さとかではなくて、人間関係のトラブルや学校文化の閉鎖的な空間の中で、自分を守るために身につけてしまった“生存戦略”に近いのかなとも考えていました。
匿名相談やスクールカウンセラーへの相談でもなかなか言葉が出てこなかったり、相談できなかったりすることは何もおかしなことではないと私は思っていて(実際いざ相談してみてと言われたところで、難しいよな…と自分事として置き換えても感じるところです)、あなたはきっとこれまで、打ち明けたい時に誰かが真剣に聞く環境にほとんどなかったのかなと感じますし、児相のカウンセラーが深掘りしなかった経験もあって、“話しても分かってもらえないかもしれない”という感覚が根づくのは自然なことのように思いました。もしかしたら言えないのではなく、“これまで言っても大丈夫だった経験があまりに不足していただけ”だったりするのかなと…。
高校での生活も、視線や噂に敏感にならざるを得ないこと、過呼吸に近い反応が出てしまうことも、決して大げさな反応ではないと私は伝えたいです。恐らくずっとあなたの身の回りには安全と感じられる場所が極端に少なかったし、人の声や気配、集団の雑音等がすべて警戒してしまう対象になってしまうのは、心が長く緊張状態に置かれてきた結果のように私は思います。それでも、あなたはあなたなりに図書委員を続けて、司書や国語教師といった未来に目を向けようとしていて、例え不安の方が大きくても、学びたい気持ちや興味を自分の中に残してきたところに、あなたのしなやかさがあるように私には見えました。「生きたくない」と「生きたい理由がある」が同居してしまう矛盾も、そのままの形が今のあなたであって、それでいいのではないかなと私は感じたということをお伝えしたいです。
相談することで魔法みたいに世界が変わるわけではないですが、今抱いている苦しさを一人で抱え込む必要はないですし、最初から全て打ち明けるとかではなく、相談できそうな時にできる範囲でしてみるという感じを少しずつ積み重ねていけたらいいのではないでしょうか。また気持ちの整理がしたくなった時や、必要に感じた時はいつでも死にトリを活用してほしいなと思いますし、あなたがこの先ちょっとでも安心して息つける場所や人に出会うことを勝手ではありますが願いたい気持ちです。

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