野外での仕事が多い仕事で、泊まりもある、土曜日も動く、その間に内業を進めないといけない、指示を待つのでは駄目、指示する時も内容を分かってからじゃないとだめ、それはそうだと分かるしそれがありがたかったけど、自分がやる側になるとなると途端に難しくて、どうしようもない。体力は比較的ない。そのつらさは、女の先輩たちともちがう。長く働きたい、子どもは要らない、そういう覚悟があるのに、周りから普通の女の子だと思われる時のやるせなさ、山でもどこでも男性といっしょに泊まれる男の一員として見られるときの言葉にならない怒り、どんなに頑張りますといっても一人前の人間として認められなかった一年目に比べると人権意識のある部署だけど、求められることと自分のギャップに落ち込んでいるのは三年経っても変わらない。
信頼は砂のようにに積み重なるものでそれがあるから………言われる言葉に重みがあるのかもしれない
でもまだ死にたいな!
鉄の蝶にはなれないけど、ガラスを破れる気もしないけど、賛美されたり期待されたり疎まれたりするけど、そういう言葉なしで積み重なってる周りからの信頼とこちらからの信頼も確かにある。
でもしんどい!
わたしの感受性のせいで。
助けて欲しいし仲間が欲しいが、私が私の困りごとを言語化して手伝ってもらえるように手配しなきゃならないのが仕事だけど、思いやりと言うなの遠慮あるいは現実逃避により、仕事がしたくなくなっています。
仲間が欲しいなぁ
でも女性の後輩のことは、あんまり、複雑な気持ちで、私のしにたさがむくわれないなという気持ちで見ているし、彼女らが業務中に先輩からの指導のもとでわたしの同期から身体を触られているのを見ても何も言えなかった。私も共犯になってしまった。助けられなかったな。
仲間が欲しいと言っときながらアクティブに離れない私は、なんなんだな、疲れた。
感想1
仕事そのものに対する悩みと、自分自身のジェンダーと職場環境とのバランスに対するもどかしさ、そのどちらもが率直に表現されていると感じました。仕事が3年目になり、少しずつ仕事が見えてきた反面、経験や信頼、ある種の”慣れ”のようなものではどうにも解消されないものも浮き彫りになってきたタイミングなのかなと想像しました。仕事に対してきちんと向き合おう、積み重ねていこうという思いがあれば尚更、自分の意思と無関係なところかつ他者から勝手に見られる要素で何かが変わるのはまず納得がいかないと思いますし、簡単にフラットにできるものでもないように思います。
(私自身の体感としてズレがなく、今回はタイトルにもそう書かれていたので「女性」という主語を使って書きます)
投稿者さんは、女性であること自体には違和感を持っていないけれど、「周囲から女性として扱われること」、その塩梅については色々と感じる部分が多いのかなとイメージしています。社会では「男女差別をなくそう」と言ったりして、たしかに不当に低く見られたり権利が無かったりすることは「差別」だと思いますが、それでもやっぱり「違う」部分、「違うからこそ気になる」部分もあると思います。勝手なイメージですが、投稿者さんが職場で受けてきた扱いへのもやもや感は、その「差別」と「区別」の間を反復横跳びするような、絶妙にズレたものだったのかなあと感じました。同時に、そのもやもや感によって投稿者さん自身が苦しんできたこと、それをどうにか耐えたりやり過ごしたりしてきた今までがあるからこそ、後輩女性に対して複雑な感情を抱くのも自然なことのように思えました。自分がされて嫌だったことや受けてきた理不尽は、一聴すると「見過ごせない」「抵抗すべき」ものと捉えられがちな気がしますが、私は、自分が受けざるを得なかった(そのときに救われなかった)ものほど、他者に向きがちだったり、抵抗することが難しかったりするのではないかな…と考えることが多いです。
全体的に自己矛盾との闘いが表れた文章のように読ませてもらいましたが、見方を変えれば、矛盾していない・まっとうな心の働きとも言えるのかもと、そんなふうに感じました。