ヒステリックで完璧主義な母、父は忙しく殆ど家に居ない。兄は優秀で100点しか取らない。そんな環境で自分を否定されながら育てられた。
母の望む結果が得られなければどれだけ努力していても全否定される。兄はそんな私を悪い意味で心の支えにしていた。妹である私を可愛がっていると自負しているが、他人からはペットのような扱いだと言われた事があった。
そして家族の全員が感情をコントロールすることを知らない。自分の正当性を証明するために叫び、感情的な単語を軽々しく使う。私は自分が納得しない限り言うことを聞きたくても聞けない性格で、解釈の仕方も独特だった。兄より劣っていても同級生よりは勉強が出来たせいで「わざと反抗している」と言われていた。
小、中学校時代に簡単ないじめに遭った。家族は私の心に寄り添うというより、自分の所有物を傷つけられたかのような怒り方をした。私はその頃から「家族は私の気持ちを軽んじて良い物だと捉えているのだろうか」と思うようになった。
16歳で私は不登校になった。いじめっ子と違う学校に行きたくて猛勉強して高校は進学校に入学した。そこには私と違って家族に愛されて育った同級生が大勢居た。眩しすぎて、私がクラスに存在してはいけない気がして、とうとう教室に入れなくなった。不登校の理由が被害妄想のようなものなので誰にも言えなかった。当然家族は激昂し、私に不登校の理由すら聞かず、今まで自分達が如何に私を育てるために苦労したかを話した。
その時に「自分は自分を尊重されずに育ったのだ」と確信した。勿論家族に対しての申し訳なさはあった。毎日ご飯を作ってくれること、塾に通うためのお金を出してくれること。それでも家族は「私」を育てていたのではなく、「自分達の娘(妹)」を育てていたのだなと思った。
大学で親元を離れたが、毎日のように家族の誰かから愚痴の連絡があった。私に関係の無い家族同士の喧嘩や職場であった事など。自分の感情すら処理できない家族に軽蔑と嫌悪感すら憶え始めた。
大学院に進学した段階で、人間関係で妙な摩擦を感じるようになった。
調べて貰うとADHD・ASDで特にASDの傾向が非常に強い事が分かった。医師に「ここまで気づかれなかったのは本当に凄いレベルです。非常に努力してこられたのですね。」と言われた。「何の努力だろう」と不思議に思ったが「価値観や気持ちを一瞬で判断すること、相手の望む事や望まない事を推測することは障害がなくても難しいです。経験則と学習能力のみで乗り越えていますね。」と言われ思い当たる節があった。あの家族と過ごしていたので自然にその能力を身につけざるを得なかったのだ。当たり前のように他者の機嫌を損ねないようにしていたが、それを「努力」だと認められ報われた気がした。それと同時に家族に対する恨みのようなものも生まれてしまった。家族が私に興味を持って接してくれており、早い段階で気づいていたら、せずに済んだ苦労もあったのでは無いかと思った。医師が言うには気づかないのがおかしいくらい幼い頃の私におかしな点が多かったようだ。今更それを責めたところで何も変わらないのだが。
この家庭環境に育ったお陰で、推測能力は鍛えられたが他人を信じる能力や自分の価値を自分で認める能力は身につかなかった。他人は自分を傷つける存在か否か、という思考が染みついてしまった。
そんな中、兄が結婚した。私が自分の性格の歪みを如実に感じるようになったのはここからだ。私は独身だが結婚したいという明確な思いは無い。そもそも他人は、愛情をくれる存在というより、感情のやり取りが必要な面倒な存在だと認識している。そんな考えをもっているのだから結婚にはほど遠い人間で当然だと思っているのだが、反対に兄は他者から愛情を見出せたのだろうと思った。同じ両親なので兄もまた辛い環境で育ったことには間違い無いのだが、私という捌け口があったことが大きく違う。また、兄にはいじめられた経験も先生から不当な扱いを受けた経験もない。そのお陰で他者への信頼が失われずに済んだのだろうと思った。
両親は未だ独身でいる私を未熟者だと思っている。私の心には「もっと私に向き合ってくれていたら私も他人に心を開いていたかも知れない」と浮かんでくる。だが反対に、「一体いつまで自分の人生を家族のせいにするのだ」という思いも湧く。今までこんな私に思いを寄せてくれる人が居なかった訳では無いが、私にその人達の愛情を認識し信用する能力が無かった。結婚を催促される度に、結婚していないことを家族のせいにしたい黒い感情が沸々と湧いてくる。そして私も、自分の事を誰かのせいにする家族と同じなのだなと自覚する。
今は職業柄もあり、自分がかつてして欲しかったことを他人にすることで自分を鎮めている。優しい穏やかな人だと言われるが自己満足、傷つけられないための自己保身でしかない。家族のような人間になりたくないだけの臆病者だ。これだけ長々書いているが結局は「自分も誰かに愛される実感が欲しかった」に尽きるのだろう。過去を変えることは出来ないが、他者に迎合しない生き方を選んでいたらどうなっていただろうかと考える。
幸いにも意図的に誰かを傷つけるような人間には育たなかった。感情を無責任に押しつけるような生き方もしていない。障害も長らく気づかれなかったお陰で、自分から言わない限り他人にバレる事は無い(生きやすいかどうかは別として)。自分の生き方には納得しているが、一般的な人間とはもの凄くかけ離れた道を歩いている気分になる。意思疎通も感情のやりとりもできるがそれだけでは人間の仲間入りが出来ていない気がしている。「私」を認識されず、見つけたい答えも出ない。広く真っ暗な宇宙空間を彷徨っている気分で毎日を生きている。
感想1
幼少期からの人生を振り返りながら、自分の現在地に辿り着くような書きぶりを、1つ1つ重量と質感を伴って受け取りながら読ませていただきました。感想を書いている私自身の人生を語る時に符合するようなエピソードや感覚も多くあり、どこか他人事ではない思いを抱いています。具体的には、今の自分の「性格」と呼ばれるものが家族関係で受けた傷を他者に向けないための振る舞いであること、それを自己満足であると認識しているところに、勝手ながら深く共感しています。
あなたが人生の中で、折に触れて家族に対する違和感や抵抗感を言語化してきた様子が伝わってきたのが印象的でした。そこで喜怒哀楽が先立たず、家族と自分の「関係性の構図」として都度捉えていることは、まさしく経験則と学習能力の根幹であったようにイメージしました。言語化と処理能力があなたの生きる術として機能し、家族という狭い世界の中で起きる衝突と理不尽から身を守ることに繋がってきたように感じています。一方で、そうした理性のあいだに埋もれた感情も同時に存在していて、それが少しずつ表面化してきたことが、自分の性格を省みる(あなたの言葉を借りると「歪みを如実に感じる」)ことになっているのが今なのだろうかとも想像しました。
書きながら、人はどの時点で(何をもって)他者からの「情」を欲したり、信じたりするようになるのだろう?と考えていました。親との関係がそこに深く影響することは避けようがないのかということも…。理由なんてないのかもしれませんが、大人になるにつれ過去に自分が得られなかったものに気づくことも増え、それが親との関係によって育まれるはずのものであるとしか思えない時、行き場のなさを感じるような気がします。同時に、今振り返れば客観視できる幼い自分も、当時は適応する以外の道はなかったのではないかなと思いますし、それが生きる上での基本スタンスになることは自然な流れであるように感じました。ただそうしたものをひっくるめて「家族(親)ありき」で自分自身の生き方が出来上がっているように感じること自体が、絶妙に自分の日々のエネルギーを削いでいるような…そんなイメージも浮かびました。
本質と無意識に受けてきた抑圧に明確な線引きがあるのか、ないのか、私自身もわかりませんが、何を理由にした選択だとしても「これが自分」と思える日がもしきたら、そのときに今よりもう少し自信が持てるのだろうか…そんなことを考えさせてもらう経験談でした。自分のことを省みながら書いてしまったので、あなたの意図とズレるところがあったらすみません。改めて、投稿ありがとうございました。