経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

修行

私は子供の頃から変なところがあって、2歳くらいの時に煙になって消えたいと願っていました。そう考えるようになった原因は、下に年子の妹が産まれての寂しさからだったと思います。1歳くらいで歩けるようになっていたそうですが、妹が産まれたらまた歩かなくなったと聞いています。おぼろげに覚えているのはヤケクソな気持ちと、父母が言うように「お姉ちゃんなんだから頑張らないと小さい赤ちゃんを守らないと」私はイヤイヤをしていても誰も喜んでくれない、お姉ちゃんになったら喜んでくれる…と思って頑張って来ました。でも私は出来の良い子供ではありませんでした。大きくなった妹に何もかもあっという間に追い抜かされ、あるのは年上だという意地だけ。親も親戚も近所の人も、お姉ちゃんほら頑張らないとと言ってきます。親からも外からもかわいくない子供だと言われて育ちました。妹は欲しい物を手に入れ自慢してきます。大人になれば何とかなる、きっと今よりうまく立ち回れるようになるし皆も大人の対応をするようになるだろうと期待していました。しかし、成長し家から出たいと話したときは、何度話をしてもどう言っても答えはダメ反対。ここの家の子供は家から学校へ行って家から行ける仕事を見つけるのか?と思いましたが妹達はどんどん学校でも仕事でも家を出ていきます。帰ってくるのも自由です。私は近くに仕事を見つけて稼げるようになっても、いつまで経っても何も出来ないダメな人という見方から抜けられることはできませんでした。妹は結婚し子供が産まれ子供が小さいうちにこちらに相談も無く離婚しました。別に家は建てていましたが、子供はウチで面倒を見ました。家には寝に帰るだけ。私の仕事は準社員でほとんどパートのようなものだったので、時々仕事を抜けて子供を世話をしました。「あなたの子供じゃないでしょ」と叱られるのも当然な話で、私の仕事場には本当に迷惑をかけました。子供も大きくなり中学になると、世話もなくなりこちらの家に来なくなりました。ひと息ついたし一人旅でもしようかな?と家族に話すと、何を考えてるんだと叱られます。家の仕事をやれと。自分はいったいここの家の何なのか。出ればいい、それで済むと思います。でもあれこれと考えてしまって出られませんでした。その頃飼っていたペットの世話が心配とか…つまらないことかもしれませんが。今は親二人、父は酒の飲み過ぎで肝臓ガン、母は初期の認知症の面倒をみています。父はデイサービスは拒否、母は週に2回デイに通っています。情けないですが私は心身を壊して仕事を辞め、自分の貯金は家の為に消えました。父は気に入らない事があると怒鳴り言う事が通らないとハンストや薬の拒否など自虐的になります。酒を飲むと暴れはしませんが意地悪になり泣く私を指差して笑います。母の認知症に初めに気づいたのは私でした。姉弟に言っても信じてもらえず、脳トレに誘ってみたり近場でも色々なところに出かけてみたり。病院は頑として嫌がりました。世話をするうちやっとやっと姉弟もおかしいと気づき、認知症の病院だけは月に一度妹が連れて行ってくれるようになりました。弟は忙しいのでほとんど手伝いはありません。2人とも現状を知らないのでどう手伝ったらいいのかも分からないのだと思います。でも、私は、人前で私の悪口を言うほど基本的に私を小馬鹿にしている2人に話す気になれないのです。楽になる為に話をするべきとは思いますが、諦めなのか何なのか。私の人生、結婚のチャンスも何度かありましたが、何故だか私は悪いほうを選ぶのです。馬鹿だな何故こうなのかなと思うことは前からありましたが、最近ピンとくる考えが「修行」なのです。輪廻というものがあり、私は修行の為にここの家に生まれたのだと。ピンときてもやはりキツイこと悲しいこと辛いことからは逃げたいです。それでも修行なのだからと思えば煙のように消えてしまいたいと行動を起こすこともできずにいるのです。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。何十年も積み重なってきた「家の役割」に押しつぶされてきた重さが伝わってきて、ところどころで“自分の人生がどこにも置かれていない”ような心細さのようなものも文章を読みながら感じていました。幼い頃に、妹さんの誕生を境に「煙になって消えたい」と願うほどの寂しさを抱え、それでも“お姉ちゃんだから”という言葉に引き戻され続けた時間があの頃のあなたにとって、その言葉は優しさではなく“存在が条件付きになる合図”のように響いたのではないでしょうか。
周囲に求められる役割を果たすことでしか自分の価値を示せなかった幼少期から、大人になってもなお「家の都合」があなたの人生の上に重くのしかかっている構図は、個人の問題を超えて家族という単位が個人の自由を奪う日本の根深い課題にもつながっていると私は思いました。親やきょうだいの誰もあなたの“一人の人としての思いや希望”をまっすぐ受け止めず、妹さんには自由が与えられ、あなたには義務だけが残される…その不均衡さが、あなたを“役目のために生まれてきた人”のように見せてしまっていたのかもしれないなと考えていました。私自身も種類や程度は違いますが家での役割をずっと全うして過ごしてきた時間が長いので、あなたの抱く感覚に勝手ながら自分を重ねながら他人事とは思えないでいます。
ペットの世話、親の看病、お父さんの不機嫌と自虐的な振る舞い、お母さんの変化への最初の気づきも、あなたは誰よりも近くにいて、誰よりも消耗しているのに、姉弟の前で悪口を言われたり、状況を理解してもらえなかったりする孤立感は、心の奥をじわじわと削るものだったはずです。「話したほうがいい」と頭でわかっていても、そこに小馬鹿にされてきた長年の痛みがあるなら、言葉が出ないのは自然なことだと私は感じました。
そして“修行”という言葉が浮かんでしまうほど、あなたは「逃げたい」と「逃げられない」の間にずっと縛られてきたのだろうと想像しています。苦しみの理由を宗教的な枠に置き換えたくなるほどに、生きづらさが長く続いたのだと思いますし、でもその裏には、ただ安らぎたい、ただ自分の人生を選びたいという、人間的な切実な願いがあると私は受け取りました。
読みながら、あなたの人生は誰かに預けるためにあるのではなく、本来はあなた自身が触れてよかったはずの時間や景色が、いくつも奪われてきたのだと感じました。あなたがずっと「煙になって消えたい」と願いながらも実際に消えずにここまで来たこと自体が、根性や忍耐ではなく、自分を壊さないために踏みとどまってきたある種あなたの中にある地力の強さを感じずにはいられませんでした。あなたの苦しみは個人の弱さでは決してなくて、長年の家族というシステムの偏りと、社会が女性や長子という存在に無意識に背負わせてきた負担の結果だよな…とも改めて思いながら、あなたが自分を責める必要なんて、どこにもないということを声を大にして伝えたくなりました。あなたの中にある強さによって自分で自分のことを押しつぶさないためにも、一人で抱え込みすぎずにまた良ければ死にトリに声を置きにきてほしいなと思っています。

感想2

やるせない気持ちに共感し、共に中島みゆきの歌を聞きながら語り合いたいような気持ちとなりました。私自身も年子の妹がおり、変わらない年齢のはずなのに年少者が優先される、納得いかないことも多く小1で家出したことを思い出しました。あの時の気持ちはあなたと同じ「ヤケクソ」でした。

子どもは両親や家の面倒を見ることが当たり前ということが真っ当に語られていたような時代があったような気がします。個人の生き方を尊重するよりも、役割を重んじられ、それが家族の当たり前になり当人も納得せざる得ないそんな見えない暴力のようなことが公然とされていたのかもしれません。もしかしたらあなたが思っているよりも簡単に悪気無く、両親さんはそう振舞っているのかもしれません。そんな両親さんの言動や行動を見ていて、妹さんや弟さんも知らぬ間に「お姉ちゃんは家族のために尽くす人」とあなたの暮らしや生き方を優先することを学んでいかなかったのかもしれません。

「自分はいったいここの家の何なのか。出ればいい、それで済むと思います。でもあれこれと考えてしまって出られませんでした。」と書かれていましたが、それは当然のような気がします。不満や嫌々な気持ちはあるけれど、家族をサポートしてきたという事実は簡単には手放せません。せめて感謝の気持ちくらい、家族一人一人から述べてもらいたい、そう考えてしまうのは私だけでしょうか。出ていかない、不自由を選ぶご自身を責めすぎないで欲しいです。ただ尊重も無く配慮も無い、あなたがやってくれて当たり前の家族習慣だけでは苦しいはずです。両親さんの老いがやってきたり、妹さんのお子さんが学年を上がっていったり、それぞれ年を重ね様々に変化しています。
旅に出たいと声に出すと行くなと止められてしまうのならば、日常の中で喫茶店や図書館などにふらっと出かけ不在にしてみる時間をいつもより長くつくってみたり、そして少しずつその時間を延長し一泊二日の旅行をしていたなど、あなた自身があなたを優先し大切にする時間をつくってくれたらと勝手なことを思ったりします。とにかくあなたを労いたい気持ちでいっぱいです。行動を起こし経験談に投稿いただきありがとうございました。

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