受験生です。
もうあと20日もないのに、過去問に手もつけることができていません、それなりに順調に勉強を進めてきたつもりでしたが夏頃に一気に崩れてしまい今まできました
2年の時から予備校に通わせてもらい、勉強をするそぶりも見せない子供に何も言わない親にも申し訳なくてたまらない。
おそらく両親はどんな道に進もうとも肯定してくれるような人たちですですが私はこんな自分を肯定することはきっとできません、
こんなに恵まれているのになぜ頑張れないのか自分を苦しめているのは自分だとわかっているけどやめられない死にたいやめてしまいたい
母が気を遣ってお菓子など部屋から出てこない自分にご飯を持ってきてくれるのも子供だからしてくれるのだろうけど、そんな環境にふさわしい人間じゃないのにもっとそれ相応の努力ができる人間がいるべき場所なのに
この一年は自分と向き合い上手く勉強を進めていこうと思っていたのに、それどころか何もできていないもう2ヶ月ほど予備校に行っていません。自分を優先してしまう
親にどうやって謝ればいいかわかりません
駄文申し訳ありません
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
情けない
感想2
おそらく10代後半の年代かと思いますが、その年代にかかる受験の重圧を痛感します。確かに、現実には子どもの受験にあたり過度なプレッシャーを与える親も少なくない中で、あなたの両親が大らかに見守っていることは恵まれていると言えるのかもしれません。ただ、少し見方を広くしたときに、「いやいや、それは恵まれているというより、ごく自然な扱いなのでは?」という思いと「10代にこんな思いをさせる受験の圧の強さはヤバいだろう」という気持ちが強くなりました。
子どもの権利条約においても、日本の子どもたちの受験戦争は過度な競争を強いているものとして、繰り返し勧告を受けているのですが、なかなか改善されていないことはあまり知られていません。こうして、受験で追い込まれる様子を知ると、受験という仕組みや社会の問題が、あなたという個人の努力の問題だと強く感じさせていることに大人の一人として申し訳ない気持ちになります。今、自分が情けないと心から感じているあなたにとって、そんなこと言われても自分が悪いんだと思うかもしれません。その気持ちは受け止めつつも、もう一つの本音である自分を優先する姿を「それも大事だと思う」と全面的に後押ししたくなります。また、これだけ真摯に自分に向き合うのであれば、たとえ受験という結果がうまくいかなくても何かしらの学びはあるし、うまくいったとしてもそれも力になるし、結果はどちらでもいいのではないかと私は思いました。今回の経験談には書いていませんが、あなたが本当に好きなことやどんなことにワクワクするのかそれを知りたくなりました。
感想1
書いてくださった言葉いっぱいに、自分を責める気持ち、情けなさ、全部投げ出したいような苦しさがぎゅうぎゅうに詰まっていると感じました。「恵まれているのに」という思いには、勝手ながら深く共感しています。私自身、国立大専門の塾に送迎してもらう道中で車から逃げ出したり、私大受験の過去問(青本)を1ページめくっただけで一切解かずにボーっとしたりしていた人間でした。客観的に見れば「本人の問題」だったのかもしれませんが、自分としてはどうしてこんなに勉強に取り掛かれないのかわからず(かといって相談も出来ず)困り果てていた記憶があります。親は何も言いませんでしたが、「見守られているんだ」と安心して自分を許すことも、当時は出来ませんでした。
どれだけ環境が整っていても、思うように動けないことは確かにあるし、「やらなきゃ」と「やりたくない」という気持ちがどちらも存在することは何もおかしなことじゃないと私は思います。同時に、あなたが自分のことをどんなふうに捉えていても間違いではないと感じています。「受験」という特殊な構図、”そのときかぎり”という風潮の根強い社会の中では、そこにまっすぐに「向き合う」の反対は「逃げ(だと思われる)」でしかないように感じられてしまい、手放しに「なんとかなるさ」と思うのは難しいと感じます。死にトリが、あなたやわたしの中にあるいろんな荷物を、一時的にでも降ろせる場所であるといいなと願っています。