経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
一人暮らしの大学2年生です。3週間前に鬱だと診断されました。夏の帰省中に突然心身がうまく働かなくなり、深夜徘徊・連絡断ちをし、未遂をした後には家から全く出なくなりました。進級単位は無事だそうですが(言い訳のようですみません)、大学には行けていません。部署リーダーをしてたサークルも、引き継ぎをせず突然辞めました。良い人ばかりのバイトまで休むと自分で稼げてない罪悪感でさらに病むので、バイトは続けていますが、最近はミスを連発してしまい信頼を失ったかもしれないです。
普通になるためにこんな怠惰な状態を打破したくて、ずっと自分の性格ついて考えていました。結果わかったのは、「私はわがままで、気分屋で、自己中で、人と関わるのが苦手で人に興味が持てず、メンタルが弱く甘ったれで自分がない」ということでした。
まず、幼稚園の頃から1人でいるのが一番楽で、関わってもよく不思議ちゃん扱いされていました。昔から変な性格を受け入れてもらってなんとかなってます。でも友達は少ないし、おそらく人に興味が持てず、そもそも人との関わり方が下手なんだと思います。でも交流に積極的な人の世界を羨むこともあるし、そのくせ大学にきてからはLINEを返すのもプレッシャーで、そもそも友達はいるのに今は事情を話したといえど全員を突き放してしまっている時点で、わがままで自己中だなと思います。こんなに恵まれてるのに。
また、私は今「夢や目標がないと動けない」と強く思ってしまっています。物事に全く興味が持てず(今は特に)、自分の好きなこと・やりたいことが分からないんです。「皆それが分からなくても頑張ってる」と身内に言われましたが、私はそれが無理でした。「生まれてきたからには生きるしかない」という言葉も響きませんでした。人と関わるのもしんどい人間でうまく生きられないので、夢や目標があればそれに向かって生きられると思ったんです。でも中々持てないし、「これが好きだ!」と思ったものもすぐに興味をなくすし、サークルや推し活も、「好き!」と思ってから暫くすると本当に好きなのか分からなくなりました。
今を生き抜こうと頑張れている人は沢山いるのに、私はできてないんです。メンタルが弱いし,甘ったれで、わがままで、気分屋です。
この性格を治したくて学内のカウンセリングを受けてはいますが、どのくらいかかるのだろうと焦りを感じています。今も家で推し活をしながらも「この人のこと本当に好きなのかな」「私なんかが会いに行ったら行けない」と思ってるし、大学の授業にも素直に興味を持てないし、どれが鬱によるものでどれが性格か分からなくなってくるし、こうしている間にも周りは進むし。もう正直考えるのを辞めて今すぐに死んでしまいたいです。生まれ変わったら、人と無理なく関われる人間になりたいし、物事に素直に興味を抱ける人間になりたいです。辛いです、親に迷惑がかかるから死んでないだけです。
感想1
言葉の1つ1つに、あなたの感覚が丁寧に込められた文章だと感じました。すごく気を遣って書かれたものだと思いましたし、だからこそ要所要所で「そんな、大丈夫ですよ…!」とお節介にも言いたくもなってしまう私がいます。
感覚を言語化して、それが私に少なからず「届いた」感じがしたのは、それだけあなたが自分に向き合って、自分の性格や考え方について分解しようとしてきたことの表れだと感じました。それは自己中心的というネガティブなニュアンスを含むものとは異なる意味で、「自分の世界(価値観)」があるということな気がします。反面、それが客観視に切り替わったときには「自己中になってしまった」「迷惑をかけてしまった」等のような自己評価になるのかなとイメージしました。もしかすると、「なんとなく合わせる」「とりあえずただよう」みたいなことが苦手で、わりと主観と客観・興味と無関心がはっきり分かれているのかも?なんて勝手ながら推測したところです(こう書いている私自身も結構極端で、ただようのが苦手な人間なのですが…)。
その時々で考えが変わったり、気持ちの抑揚、興味関心の揺らぎがあるのは自然なことだと思うのですが、大学の授業やサークル、人間関係、何より自分自身といった「長く、連続的にかかわりが生まれるもの」については、一貫性を求められがちで、変わる心に自分でさえ追い付けないこともあるよなあ…と感じます(抽象的ですみません)。今は鬱の症状もあり、なおさら「どうしてこうなっているのか」が自分でも掴めない、思考と行動が上手くつながらない時でもあるように思うので、軌道修正しようとするほどにじれったくなるのかなとも想像しました。気持ちを吐き出しつつ整理するような場として、よければまた書きに来てみてください。
お返事
感想を送ってくださりありがとうございました。
今回、ずっと考えていたことの全体をはじめて人に向けて話したのですが、それが伝わったことに驚きました。「自分の考えはおかしく、肯定されない」と思っていたからです。私の文章を読んで受け止めてくださったこと、興味関心に揺らぎがあるのは当たり前だと言っていただけたこと、私の思考を「自分を否定する”癖”」と捉えていただけたこと、とても嬉しいです。
「主観or客観、興味or無関心がはっきり分かれていて、なんとなく漂うことが苦手」「病と性格を線引きしていないから苦しくなってしまってる」そうかも、と思いました。今まで気づいてなかったです。「辛い・嫌・苦手」という思いを無視して自分を否定的に見がちだったために、自分の性格の特徴に気づけなかったのでしょう。思えば、自分がかなりのストレスを抱えていたことをようやく理解したのは、鬱で実家で休養している中、半年来ていなかった生理がきた時でした。
ここ最近は「辛い・嫌・苦手」を認めるようになってきました。ただ、そう思うことを認めるだけで、それにすら慣れていないので、そこからどう努力したら良いかわからず、何もせず停滞している状態です。正直、とても焦りを感じています。自分の「好き・やりたいこと」が曖昧になっているのもあるのかもしれません。しかし、ようやく自分と向き合えている気がします。まだいろいろなことに追いつけず混乱します。でも今後の人生は自分の感情を受け止められるようにしたいと思いました。
私の文を読んでいただきありがとうございました。
感想1
言葉の1つ1つに、あなたの感覚が丁寧に込められた文章だと感じました。すごく気を遣って書かれたものだと思いましたし、だからこそ要所要所で「そんな、大丈夫ですよ…!」とお節介にも言いたくもなってしまう私がいます。
感覚を言語化して、それが私に少なからず「届いた」感じがしたのは、それだけあなたが自分に向き合って、自分の性格や考え方について分解しようとしてきたことの表れだと感じました。それは自己中心的というネガティブなニュアンスを含むものとは異なる意味で、「自分の世界(価値観)」があるということな気がします。反面、それが客観視に切り替わったときには「自己中になってしまった」「迷惑をかけてしまった」等のような自己評価になるのかなとイメージしました。もしかすると、「なんとなく合わせる」「とりあえずただよう」みたいなことが苦手で、わりと主観と客観・興味と無関心がはっきり分かれているのかも?なんて勝手ながら推測したところです(こう書いている私自身も結構極端で、ただようのが苦手な人間なのですが…)。
その時々で考えが変わったり、気持ちの抑揚、興味関心の揺らぎがあるのは自然なことだと思うのですが、大学の授業やサークル、人間関係、何より自分自身といった「長く、連続的にかかわりが生まれるもの」については、一貫性を求められがちで、変わる心に自分でさえ追い付けないこともあるよなあ…と感じます(抽象的ですみません)。今は鬱の症状もあり、なおさら「どうしてこうなっているのか」が自分でも掴めない、思考と行動が上手くつながらない時でもあるように思うので、軌道修正しようとするほどにじれったくなるのかなとも想像しました。気持ちを吐き出しつつ整理するような場として、よければまた書きに来てみてください。