経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

人に裏切られた経験が多すぎた

中3の現役受験生です。はっきり死にたいと思い始めたのは中学に入ってからでした。でも今思えば保育園の頃から「人」というものが嫌いだったのかもしれません。

保育園のとき、自分でも思いますが少し変わっている子だったので先生方に半分馬鹿にしたような態度を取られていました。その時はあまり気にしていませんでしたが、小さいながらなんとなく嫌だなと感じていたと思います。でも小学生になってから、みんなが保育園や幼稚園の幼少期エピソードをとても楽しそうに話すのを聞いて、「私保育園の思い出そんなにないけどな」と色々考えているうちに「自分が異常だった」「嫌われていた、愛されていなかった」という結論に至りました。この経験から大人が信じられなくなったのだと思います…

そこからだと思います。なんか…いろいろと壊れていって、中学生になってから仲の良かったクラスメイト達、特に男の子の性格が変わってしまって「これに適応できてない自分がおかしい」など考えるようになり塞ぎ込みました。同じ小学校出身の子達とはほとんど話せなくなり、中学からのクラスメイトで話せる人もほぼいないため最終的に友達が5人くらいになりました。その友達とも最近は話せてないので実質孤立状態です。
部活動は全員参加必須で文化部がないから強制的に入った卓球部、新しいクラスメイト達の性格、変わってしまった同じ学校出身の子達…中学校の空気に慣れなさすぎておかしくなりました。色々と辛くて、仲が良いと思っていた子の1人に「死にたい」と打ち明けました。そのときは精神的に今よりは余裕があったので冗談に聞こえたのかもしれませんが「じゃあ死ねば」と言われました。信頼していただけあってとてもショックで泣きそうでした。これも死にたい気持ちが加速した原因の一つです。

それから中3の夏休み前まではなんとか精神を保っていたのですが最近限界になってきてしまいました…私は数学が苦手なのですがストレスで勉強が進んでおらず期末で赤点に近い点数を取って通知表の成績が落ちてしまったのです。そこで何かが壊れてしまったのか、夏休み中も虚無感でほとんど受験勉強が進まず、2学期になって実力テストの合計点数が10点以上下がりました。今も勉強したいという気持ちがあるのに受験勉強や宿題がまともにできない状態が続いており誰にも相談できない状態です。相談すれば楽になれるというのはわかっているけど迷惑をかけたくなくて誰にも相談できません。受験生なのにこの状態で受かるわけない、甘え、今更やっても手遅れと思ってしまいます。自分が色々と限界なのはわかりますがどうしようもないんです。これからもずっとこんな思いをするくらいなら死んだほうがマシ…今すぐ逃げて楽になりたい。

思いつきで書いてしまっているので読みにくい部分もあると思います、長文失礼しました。

感想1

投稿ありがとうございます。
成長するにつれて、人に対する思いがだんだんと大きくなっていくのが想像できました。小学校で周囲の楽しそうな幼稚園・保育園トークを聞いて「自分は周りと違うんだ」と感じること、小さい頃は特に、精神的に自分を守るための選択肢がないことや、経験から害のあるなしを判別することができないこともあって、それほど気にしていなかったとしても潜在的にダメージを受けていたんじゃないかなと感じました。

中学時代は特に、精神的に敏感な頃じゃないかなと個人的に感じていますが、保育園時代の体験が基準となっている(のかな?と私は感じました。)あなたにとって「周囲と違ってはいけない」という思いが心のどこかしらにあったのではないかなと思いました。そういった思い、不安や焦りを抱えながら、変わってしまった周囲と関わっていくことは精神的にあなたを追い詰めていたのかなと感じましたし、それまで蓄積されたつらさを打ち明けてもいい、そう思えるほどに信頼していたご友人から返ってきた言葉はあまりにもひどく心に突き刺さって抜けないのではないかと感じました。

「期末の成績が落ちたことで何かが壊れてしまったのか」という言葉から、「それまでなんとかギリギリで器に収まっていた水(ストレス、精神的負荷)が期末の成績をきっかけにあふれてしまった」ようなイメージをしました。ただ、個人的には「常に器からわずかにこぼれ続けている水(ストレス、精神的負荷)に気づけない・気づきながらも抑え込んでしまう状況が続き、期末の成績を見て感じた大きなストレスがその状況に気付かせた」ようにも見えました。
相談する相手のことを気遣うあまり自分の心を守れないことは、あなたの優しさが強く表れている証でもあると思いますし、同時にこの場でつらい思いを吐き出してもらえて本当によかったなと感じました。
あふれそうなつらい気持ちがあったり、ため込んだものを吐き出したいと感じたときにはまた書きに来てもらえたらと思います。
改めて、投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読み進めるほど、あなたの中で“人に触れるたびに裏切られた”という感覚が何層にも積み重なっているのが伝わってきました。保育園の頃の、ほんのわずかな“違和感”のような記憶が、後から振り返ったときに「愛されなかった」という結論に変わってしまったこと、小さな頃の曖昧な体験ほど、後になって自分に刻みつけられやすいことがあるものだよなと自分を振り返りながら思うことです。大人の無意識な態度が、子どもの視点からすると説明のつかない痛みとして残ることがあって、その残り方が、あなたの人への構え方に静かに影響してきたのではないかなと私は感じました。
中学に入ってからの環境の変化も、思春期特有(という表現が適切かは分からないのですが…)の残酷さと幼さが入り混じる時期のスピードで周りが変わっていって、あなたの居場所だけが急に揺らいだように感じられたのも無理もないことのように私は思います。前は仲の良かった子たちが変わってしまうのは珍しくない出来事ですが、それを「自分がおかしいのでは」と拾ってしまうのは、幼い頃の経験が尾を引いているようにも見えました。そして、信頼していた相手からの鋭く痛みを伴うような言葉も、あの年齢の子どもの残酷さは、相手を傷つけたいというより、深い苦しみを受け止める準備がなくて、軽いノリで処理しようとしてしまう未熟さゆえのもののようにも思います。でも、受け取った側からしたら冗談で済むはずもなく、心の芯を折られてしまうような衝撃ですよね…。“人は信じてはいけない”という感覚が、そこでさらに固まってしまったように私は読み取りました。
学校という小さな世界しかない年代で、その空気に馴染めないつらさ、逃げ場がないまま毎日を過ごす感覚、部活動の強制、同級生の変化、狭い人間関係…そうした諸々の中学生特有の閉じた環境が、あなたの「人への不信」をさらに深く押し固めてしまったのかもしれません。勉強が手につかなくなったことも、ただ怠けているとかではなく、精神的な限界のサインなのに、学校という場所はそれを「努力不足」や「甘え」にすぐ結びつけてしまう構造があって、相談したほうが楽だと頭では分かっても、迷惑をかけたくない、自分の弱さを見せたくない、でも苦しいというその板挟みの感覚が痛いほど伝わってきました。
あなたの文章には、自分を責め続けながらも「本当はどうにかしたい」という小さな願いがずっと消えずに残っているように私は受け止めています。その願いがあるからこそ、“死にたい”という言葉が出口として浮かんでしまっていることも、勝手ながらではありますが、「分かるなぁ」と思っているところです。
ただ、読み終えて感じたのは、あなたが「人に裏切られてきた」というより、“人に安心させてもらえる経験があまりにも少なかった”ということのほうが強く見える、ということです。裏切りという言葉よりも、支えが少なかった社会的な構造や、大人たち側の未熟さだったり、子ども同士の関係の脆さなど、そういう外側の事情があなたの肩に全部乗ってしまったのかな…と。
今のあなたが感じている「もう無理」「逃げたい」といった感情が、あなたの性格の弱さからではなく、これまで積み重なってきた孤独感や疲労感の結果だということを、そっと心の片隅に置いてほしいという気持ちになりました。こうして気持ちを言葉にすることがあなたにとって少しでも抱えているものを軽くするのであれば、またいつでも死にトリを訪れてほしいです。

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