私は昔から自分が面倒だ、嫌いだと思うことから逃げてきました。習い事など、自分がやりたいって思って始めたことさえも、練習といった地道に努力が必要なことが、面倒くさいと感じ、続けることをしませんでした。特に勉強に関しては、やらなくてはいけない課題を後回しにしたり、ましてはやらなかったりということがありました。それでもテストでは、思ったよりいい点が取れてしまうので、そこに甘えていた部分もありました。
その癖が顕著に出たのが、中学3年生から高校1年生あたりで、受験勉強をしなければならない→勉強をするのはつらい→勉強をせずゲームなどに逃げる→勉強をしなかった罪悪感に苛まれるという負のサイクルに陥りました。毎日がつらかったけど、塾にたくさん通わせてもらったりして、なんとか志望校に受かりました。しかし入学して数ヶ月経った頃には、課題をやるのがめんどくさい、つらいと感じ、やらないことも増えました。そして課題をやらなかった次の日に先生に怒られたくない、勉強してなくて授業で当てられた時に答えられなかったらどうしようという恐怖で学校に行かなくなりました。勉強すればいいのにしない、恥ずかしい。情けないって思っているのにやらない。こんな自分が嫌いだ。いなくなりたいと思うようになりました。
そんな時期、母親ががんを患っていました。自分が思っていたより進行がとても早くて、朝学校まで車で送ってくれた時から、半年ぐらいで病院のベッドで寝たきりで、目がうつろになり会話することもできなくなりました。それからすぐに亡くなりました。お母さんがまだ入院する前のある朝、課題をしていなくて、「学校に行きたくない もうしんでしまいたい」って言ってしまいました。その時、母親は「○○がしぬんだったら私も一緒にしぬ」と言いました。なんて事を言わせてしまったんだろうって思ったし、お母さんのことを考えず、自分はとてつもなくひどいことを言ってしまったということを今でも後悔しています。お母さんが亡くなった日、その日は学校を休んでいて、お父さんから電話がかかってくるまで、ゲームをしていたことを覚えています。最後を看取らず、お母さんに心配をかけたまんまお別れしてしまったことを悔やんでいます。
自分は最低だってわかっているにも関わらず、勉強をせず、学校に行かず、結局、全日制の高校から通信制の高校に転入しました。通信制に入ってからも、レポートを後回しにして締め切りに間に合わなかったり、課題というものがないので、ゲームを一日中して昼夜逆転することが増えました。
通信制高校に入学して1年目の時、ネットで知り合った男性がいて、よくオンラインゲームに誘われて一緒にやっていました。ある日夜遅くに通話していたら、その人に私が好意を持っていると勘違いされていたことが発覚しました。そしてその時、相手から性的行為を要求されました。すぐに自分のアカウントを全部消して逃げました。その出来事がショックすぎて、こんなこと誰にも相談できず、消えたくなり自傷行為に及んだこともあります。現実逃避したくてゲームやスマホにさらにのめり込みました。
数年経った今、あの時からだいぶ落ち着いているにも関わらず、相変わらず勉強したくなくて。勉強をするだけで苦しみから開放されるのに。全日制にいた時から、その前からずっと私は変わってないなと思います。たとえ勉強を始めたとしても続かなくて、気づいたらゲームやYouTubeに時間を使ってしまう。周りは進学しているのに、自分は何をしているのか、何をしてきたんだ、時間をずっと無駄にしてきたのかと考え、他人と比べては落ち込んでいます。どうせもう手遅れだとか、開き直ったり何かと理由をつけて逃げています。逃げても自分にとって悪いことばかりなのに。
そんな自分は専門学校に進学します。ゲーム制作について学べる学校です。自分が好きなことを学ぶことができる環境に感謝しつつ、こんな自分で申し訳ないという思い、そして自分はやっていけるのかという不安でいっぱいで、お父さんの前で泣いてしまいました。お父さんは優しいので「あなたの好きなように生きなさい」と言ってくれます。けれどその優しさがつらくて。そこに甘えてしまっている部分もあって。今までずっと逃げてきた自分は、変わらなきゃいけないって考える。考えれば考えるほどできなくなる。恵まれているのに何もしたくない、何もしない。
何もかもが自業自得で、自分が情けなくて、自己嫌悪。あの時、通信制に転入したことを後悔したりする時もあります。仲良くしてくれてた同じ部活の子に何も言わずに学校を辞めてしまったので 、勉強したくなくて、学校行きたくないってことをその子に相談してれば変わってたのかなぁとか。けど相談しようと思ったけど勇気が出なかったのが現実です。こんな理由でって。ずっとこんな自分は、他人から下に見られて、笑われてしまうのではないかと考えてしまって苦しむ。それから自分はもしかしたら発達障害なのではと考えて、診断を受けて違ったらとても苦しいし、もしそうであったら、今までのことも、これからの事も全部言い訳にできてしまうなとか考えてしまいます。最低な人間でごめんなさい。こんなことを考えているんだったら勉強をしたほうがいい。けど努力をしたくない、ずっと甘えていたい、楽していたい。こんな自分でも認めて欲しい。つらい思いをしてしまうのなら、生きることからも逃げてしまいたいと思ってしまう。お父さんお母さんごめんなさい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
逃げ癖
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。読みながら、あなたが“怠けている自分”と“息が続かないほど追い込まれた自分”を、同じ枠に押し込めて責め続けてきたのだろうなと想像していました。ただの「面倒くさがり」というより、物事に向き合おうとした時に心の奥で何かが固まって動けなくなるような感覚が繰り返され、そのたびに逃げるしかなかったような、長い年月過ごす中での揺れが文章の端々に刻まれているように私は感じます。
勉強から逃げたことを「自分の甘え」とありましたが、その裏には、罪悪感や恥や恐怖が積み重なり、逃げざるをえなかった状況が確かに存在していたのではないかと思います。課題をしていない翌日の教室が怖くなるのも、行かなかった自分を許せないのも、その苦しみ自体がすでに“努力していない人”の姿とはだいぶ違うものに私には見えました。
お母さんの病気と急な変化も、その時の言葉があなたの中に深く残り続けているのは、自分の苦しさを言葉にしただけなのに、その後の後悔をすべて自分の背中に背負わせてしまったような記憶となっていることを考えると無理もないことだと思います。あの日のあなたは、きっと母親に寄りかかりたかった子どもであり、母親はあなたの苦しさを心から心配した大人であって、その瞬間のやり取りだけで親子の関係が決まるものでもないと私は感じます。それでも、あなたの中では「最後に心配をかけた自分」という像が強く残ってしまって、そのことが今のあなたの“自責の軸”になっているように感じました。
ネットの出来事も、あなたの心の柔らかい部分を直撃した大きな衝撃だったんじゃないかなと思いますし、本来なら大人のサポートやあるいは介入が必要な場面だったのかなと思いますが、そこでも孤立したまま向き合わざるを得なかったんですよね…。再び「自分が悪い」に戻ってしまう心の動きは、あなたの性格というより、“長く続いてきた環境の影響”のほうがしっくりくる気が私はしました。
そして今、「専門学校に行きたい」「それでも不安」と同時に存在する気持ちが、あなたの中でぶつかっていて、飛び込みたいのに、足元が揺れる感覚も、お父さんの優しさに支えられつつ、その優しさすら“重荷”に感じてしまう様子に、それは親の好意が重くのしかかるというより、あなた自身が自分を支える感覚をまだ持ちきれていないから起きていることでもあり、誰が悪いというより、人が成長の途中で経験し得るとても人間的な戸惑いなんじゃないかなと私は考えています。あなたの文章全体から、一つの明確な“結論”ではなく、何重にも絡み合った「後悔」「逃げたい」「変わりたい」「でも怖い」「許されたい」などという気持ちが同時に流れ続けている印象を受けました。過去の選択を悔やむ声も、自分を責める感情も、本当は“うまく生きたかったのに、どうしても追いつけなかった子ども”の長い時間が続いてきただけなのではないでしょうか。あなたが書いているような、自己嫌悪や逃避は、性格の問題というより、人が心の傷と付き合いながら成長していく過程で起きうる自然な揺らぎであって、自分の弱さと向き合うことを恐れながらも、それでもこうして言葉にして表現しようとしたことそのものが、あなたの中で何かが静かに変わろうとしている証なのではないかと私は思いました。またいつでも必要な時は、死にトリに声を届けてください。
感想1
「逃げてはだめ」「変わらなくてはだめ」という自分の心の中の声と闘い続けてきたあなたを想像しました。練習や努力と呼ばれるものに手をつけること、それを続けることの苦手さは私自身も学生時代に苦しんだところなので、「うんうん、わかるなあ」と感じながら読みました。「今からやったって…」とじわじわ罪悪感と自己嫌悪が溜まっていく感覚から離れたくても、その感覚の重さによってより一層やる気がなくなっていって、抜け出すのがすごく難しいですよね(全然違ったらすみません)。
そのループから抜け出したい気持ちの一方で、人に言えず自分の中で抱え込んできた様子も伝わってきました。「勉強をすればいいだけ」という言葉が印象的で、今の状態や悪いことは自分が動かないことが全ての原因だ、と追い込まれているように感じました。たしかに、自分の行動は自分の選択によるものかもしれませんが、自分でコントロールできない行動や感情、習慣もたくさんあるとも思います。コントロールできないことは人や仕組みの助けを借りてカバーできる場合もあります。通信制に転入したことも、結果としてよかったか悪かったかは捉え方次第かもしれませんが、その時のあなたにとって(高校を卒業するという目的でいうと)は必要な仕組み・対処だったとも考えられるのかなあと思いました。
そして、周りが優しいから、恵まれているから「頑張れるはず」ということはきっとなくて、あたたかい中だからこそ言えずに、自分で抱えるしかなかったりもするんじゃないでしょうか。周りがどうあれ、自分にとって一番身近な自分に責められ続けていたら、苦しいのは中々変わらなくてもどかしいよなあと感じます。「楽したい」と思うことは悪いことじゃないはずなのに、自分以外の人ばかりがせわしく動いているように見えるのはなぜなのでしょうね…。
今回、経験談という形で投稿してくれてありがとうございました。あなたの身に起きてきたたくさんの苦しかったこと、悲しかったことが書かれていて、その中にはまだまだ未消化で、自分でも抱えきれないものをどうにか耐えている部分が多いように想像しました。よければまた、この場所に気持ちを置きに来てほしいです。