経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

頑張れない

親に愛情注いでもらって、17まで育ててもらって。挙げ句の果てに周りの人全員を裏切ってしまった。両親と先生方にとんでもない迷惑をかけてしまった。
 「無理だよ」ってずっと忠告してくれてたのに、自分は頑張れると信じて向いてない進路を選んだ。結局苦手は克服できなかった。このままじゃどこの大学にも行けない私に、両親は「推薦入試でいいよ」「私立大学行ってもいいよ」って言ってくれてるのに、私はプライドばかり高くて実力にそぐわないところに行きたがる。昔から頑張れないの自分でもわかってるくせに。たぶん、どこに行っても私は一生努力できない。なんで私みたいのが生きてるんだろう。生きてても生み出せるのは迷惑だけ。もし私の代わりに他の誰かがうちに生まれてたら、両親はもっと幸せになれたはずだった。
ずっと謝りたい人生だった。パパにもママにも、友達にも学校や塾の先生にも。大人になるのを楽しみにしてた小さい頃の自分にも。ごめんなさいって伝えたい。「本当にごめんなさい。私もっと頑張るよ。」って言いたい。小さい頃に戻りたい。やり直せるならやり直したい。でももう遅いから。
自分語りをしてごめんなさい。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

感想1

経験談を読みました。
私自身、学生時代「どうして自分は頑張れないんだろう」という問いとある種の呪いを自分に対して唱え続けていました。心の中の理想と憧れが強く、理性の上では論理的な計画を立てられるのに、その1つにも手を付けられない高校時代を送ったので、近からずも遠からずではないかな…と勝手に親近感を覚えているところです。
親しみを覚えた勢いのまま「私の場合」という形で話をさせてもらうと、結果的に学生時代に努力を積み上げることは出来ず、そのことにずっとコンプレックスを抱いて大人になりました。私の場合は「やらなくても怒られない」「何かしら道がある」とどこかで信じていて(そういう環境で)「やらなくていいならやりたくない」を地で行くように自学をせず、ギリギリで進学しました。ただ大人になってから、「自分が頑張れる環境」に必要な要素をとにかく考えてみたところ、前より少し、「最低限よりいくつかプラス」で頑張れるようになりました。万人に当てはまるわけではないと思いますが、私の場合は、明確な基準がある、物理的な遮断(スマホ)、人に手順や躓きポイントを整理してもらう、伴走してもらう、などです。「大人になれば楽になるよ」的なことを言いたいわけでは全くないのですが…。

進路選択や自学は求められる「頑張り」に際限がなく、そして「頑張り方」も「頑張ったかどうかの評価」も画一的だと思います。そもそも「頑張らない」生き方も勿論あるのですが、一方で自分の期待や希望に応えられないことのしんどさは少し理解できるつもりなので、私自身の体験を感想としてそっと置かせてもらいます。自分の取り扱いは難解ですが、これからもお互いにあれこれ悩んでいきましょう(と伝えたくなりました)。

感想2

自分は頑張れると信じていたのに、思い通りに全然うまくいかなかったと、あなたはとても傷ついたのだなと感じました。そして愕然とし、こんなはずじゃなかったと右往左往しているあなたを想像し、一緒に深呼吸をしたい気持ちになりました。自分も含めて世の中でよく使われている「頑張る」という一言には、人間の様々な感情がグルグルと巻き付けられているような気がします。あなたもプライドと書いていますが、私自身は「自分が他者からどう見られるか(ステイタス)」「皆が(一般化)」のような気持ちが頑張りの理由の先頭に来ていた時は、パズルが全然合わず苦しかったこと思い出しました。そして試験や面接は点数や結果のみで自分の頑張りをジャッジされ、合格以外は「頑張ってこなかった」とされがちなこともまた、心が痛むところです。今の学校教育や日本の社会にやきもきとするところではありますが、その真っただ中のあなたの大変さは過ぎた辛さとはいえ共感するところではあります。
学生は頑張るのが仕事のような社会の雰囲気が漂っていて、混沌とした頑張りに巻き込まれそうになりますが(自分自身がそうだったので・・)頑張りや思いは無限に湧いてくるものでもないような気がしていて、自分の思いのような塊を定期的に確認しつつ自分を責めすぎず挑戦を選んできた自分を好きでいて欲しいなと勝手な思いが湧いてきました。投稿いただき、ありがとうございました。

一覧へ戻る