アメリカでの駐在帯同生活がもう10年以上経つ。
最初の2、3年の駐在と思っていた頃は、家族での海外生活に希望があった。
子どもたちに広い世界を見せたい、英語を身につけさせたい。
私も新しい環境で頑張ろうと思っていた。
けれど今は、心がすっかり疲れてしまった。
美容院も、病院も、歯医者も、どこも好きじゃないけど、日本語が通じると理由だけで通っている。毎回嫌な気持ちになる。
日本にいた頃に通っていた美容師さんやお医者さんが恋しい。
スーパーの店員さんの態度に買い物ひとつでも心がざらつく。
子どもたちの学校にも馴染めない。
現地校の送り迎えで、毎日いろいろな人種の保護者と顔を合わせるのもつかれた。
笑顔をつくるたびに、すり減っていく。
最近は、英語を聞くこと自体が嫌になってしまった。
街の雑音も、学校から聞こえる声も、英語ばかり。
日本語を聞いていたい。
そう思うようになってからは、ほとんど一日中、イヤホンで日本語のラジオやトーク番組を流している。
それをしていないと、平静を保てない。
食べ物も合わないので、どんなに疲れてても自分がつくらないと日本食はたべられない。
景色も好きになれない。
運転も好きじゃないからどこへ行くにも気が重い。
せっかくできた友達も、本帰国すればもう会えない。
日本にいる大切な友人たちには限られた人数と年1でしか会っていない。
やりたい趣味も始められず、子どもたちにも思うように習い事をさせてあげられなかった。
可愛がっていた甥っ子は、もう高校生。
母は、私の帰国を待ちながらも亡くなってしまった。
子どもたちはバイリンガル教育で疲れ、
私も一緒に消耗していく。
どこへ行きたいという希望も、何かを楽しみにする気持ちも、
少しずつ、遠ざかっていく。
夫は仕事で忙しいでいつでも頼れるわけではない。
現地校の宿題を英語で読むのも、もうしんどい。
それでも夫は、アメリカで働き続けたいと言う。
「このプロジェクトが終わったら帰国の辞令が出るかも」と、何度も聞いた。
「これが終わったら」「次こそは」と言われながら、気づけば10年以上が過ぎていた。
私はずっと、「日本に帰ったらあれをしよう、これをしよう」と思いながら、
その希望だけを支えに生きてきたのに、
その“いつか”は、ずっと来ないまま。
夫のやりがいのためにここまで私は我慢せねばならないのだろうか?
夫が我が家の大黒柱ならそれが当たり前なのだろうか?
私は死んだように生きるしかないのでしょうか?
感想1
思うようにコミュニケーションが取れない環境で暮らすことのストレス、疲労感を感じ取りながら読みました。当初は、数年で帰国する予定だったからこそ「人生におけるイレギュラー(非日常的な暮らし)を楽しもう」というようなモチベーションを持てたのだろうと感じました。それが年数を重ねるたびに苦痛に変わり、本来なら”馴染む”ほど適応しなくても
良かったはずの異文化に生活を取り囲まれ、どんどん息苦しくなっている…そんなふうに想像しました。第三者目線だと「住んでいるうちに慣れる」みたいなことも起こり得るのかな?と勝手に思ったりしますが、「一時的なもの」と思うのと、「いつまで続くか分からないもの」と思うのとでは全く訳が違うよな…と感じました。
やりがいのある仕事をしたいという夫さんの思いを尊重する形で、渡米・そして10年以上の暮らしに耐えてきたあなたをイメージしています。収入の面や、お子さんたちにとっての「父親」であることもふまえての判断なのかもしれません。一方で、夫さんはどんな考え・思いで今の家族の姿を捉えているのだろう?そして「アメリカで働き続けたい」夫さんにとって、「帰国する」ことはどういう位置づけなのだろう?と気になった私がいます。キャリアややりがいといったものは確かに一朝一夕で築けるものではないかもしれませんが、それと同じかあるいはそれ以上に、「家族」という存在、そしてお子さんやあなたの思いもまた、簡単にごまかすことはできない、貴重な存在なのではないのかな…?と感じました。
帰国の話はこれまでにも何度か夫さんとしているのかもしれませんが、文末にあったようなあなたの心の叫びもまた、少しでも夫さんに届いてほしいと願わずにはいられませんでした。