経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

不安の先に見つける、「 」の歩幅

楽しく生きたい」と願うだけなのに、現実は「お金の問題」と「将来への不安」が常に影を落とします。特に、過去の「トラウマ」が時折、心を締め付ける
病状が酷くなり精神科の門を叩く
精神科にはかれ これ6年通いましたが、主治医が変わり若い先生になり どうにも話が通じないと感じ、6ヶ月前に通院をやめました。「副作用や」「こういう症状で困ってる」 「この薬を飲み続けたが効いていないので変えることはできないですか」など 言っていたが変わらず。確かに先生側のやり方もあるかもしれないですけど 長い時間を費やしたのに、もういいや、という気持ちです。

自分は周りの子と同じであるのだろうか 自分は普通なんだろうかと 友人の家族の話し 周りの就職 大学 などからの格差さらに劣等感 幼少期の自分の 異常な記憶力 行動 食 言動 フルでエンジンがかかるような頭 想像力 匂いで記憶すること や 大人たちからの精神的虐待 肉体的虐待これはなんだろか 離人したからわかることもある
これは
私という人間の「いい経験」でもある
私だけの「オリジナル」

少し重めになりますが
私が小学生の時死にたいと発言した時
母に川まで連れていかれ「死にたいって言うぐらいならやってみろと言われ死ねなら言うなと」言われたのはいい思い出です。そして時は進み去年の3月 色々不安や低気圧 季節の変わり目が加わり
人生を終わらせることを考え、実行したが結局死ねなかったことが、今となっても後悔もある。でも、このまま暗い気持ちでいたくはない。今は耐え抜く耐えて耐えて!耐える!
結論をを悪く考えずいい方向に考え
どうせ死ぬから何やっても意味が無いではなく
いずれ死ぬから好きなことをしよう自由に多様な生き方を学ぼうと考える
2度も未遂すると少しずつ分かってくる
壁にぶつかるほど「俺」は強くなる過去や周りを気にせず今目の前を大切にすることを 友人や恋人過ごす日々を

まだまだ山ほど書きたいことがありますが今回はやめておきます「読みにくい箇所がございますが、お許しください。」

最後に
皆さんは、この不安とどう付き合っていっていますか 特に、私と同じような悩みや過去を持っていた人は、今、どうやってどう過ごしていますか?、前向きな「ヒント」が知りたい。さらに前へ 光が照らす場所へ走って行きたいのです。

感想1

「楽しく生きたいだけなのに」という願いは、私含めた多くの人が共感するところだと感じました。抱えている不安や問題は千差万別ですが、それをどのように捉え、工夫していくかという余地を持てるかどうかは、何によって決まるものなんだろう?などと考えています。投稿者さんがトラウマや不安を抱えながらも、自分の経験に基づいて価値観を変化させていった様子が表現された文章だと思いました。

文末で、不安との付き合い方について問われていました。私は「考えや状況が変わっていくこと」が不安との付き合いや距離を変えるのではないかなと思います。投稿者さんも様々な経験を経てわかったこと、変化した考えや捉え方があったのではないでしょうか。万能な付き合い方は見つけられなくても、1つ1つの不安がやわらぐようなきっかけや出来事を掴みに行くことはできるんじゃないか…と思いますし、「これから先何か変わるかも」という期待をわずかでも持てるようなヒントを、投稿者さんはすでに手にしているようにも感じました。

感想2

これまでに感じてきたさまざまな生きづらさやそのトラウマ、そして死を間近に感じた体験など、そのどれもが決して軽いものではない重さを伴ったものであるのに、それらも含めてどこかとても俯瞰して綴られた文章のように見えて、不思議な感覚を覚えながらすっと引き込まれるように読ませていただきました。

楽しく生きたいと願う中で、投稿者さんがその時々に受けたものや体験してきたことはとても辛く苦しいものであったかと想像しています。そんな中で罹った精神科での長い年月は、答えや解決に繋がらなかった分怒りや絶望を通り越して、諦念という形で投稿者さんの中で刻まれる出来事だったのかなと思えました。

しかしながら、周りや普通との違いを感じ続け、離人を経験しながらもそれらのことを「自身が受けてきた不利益」とだけにせずに、「いい経験」であり、「自分だけのオリジナル」と受け止めていることは、投稿者さんがこれまでの体験や自分のことについて絶えず思索を続けていたことでもあるのかなと私には思えました。そしてそれは、小学生のときに死と向き合ったからこそできた素地があったからなのかなとも。。。(違っていたらすみません。。。)

投稿者さんの問いに対する答えになるのかどうかはわからないのですが、私自身は生きづらさは確かに感じていますが、それがなんなのかや自分のことが自分でわからずに今も生きています。今もそこにはまだ答えを見つけられずにはいますが、私の中では「目の前でおこること」や「目の前にいるその人の意識に触れること」、それらは全て事象であり、他人でもあるけど、そこに向き合うから自分を知ることも出来る「スクリーンのようなもの」のように感じて生きています。

「隔絶されたなにか」ではなく、きっと自分の中のどこかで地続きや糧になっているかもしれない細やかな「気づきとなりうる存在」、そんな風に思えたら投稿者さんも(私も)今よりもう少し前向きに進んでいけるのかもと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

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