経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きるのハードモード

小さい頃から親に認められなかったり、いじめにあったりして、人を信頼できない。
友達はいたけど、自分から断ち切ってしまう。ずっとひとりぼっち。
さみしいと思うけど、結局裏切られるし、ひとりなら傷つかなくてすむよね。
でもさみしくて、しんどくて、消えてしまいたい。
漫画みたいないい家庭ではなかったし、作れなかった。
ドラマみたいな親友も出来なかったし、恋人も出来なかった。
楽しいこともあったけど、いつもひとごとみたい。フワフワ浮いてて、まるで別の人の人生をみてるかのように自分を俯瞰でみてしまう。
どうせ、こんなもん。幸せなんてないよ。幸せになるために生きてるなんて言葉、腹が立つよ。ただただ、今日も生きるよ。
存在してること、つらいけど、生き切りたい。毎日、早く死んじゃえばいいなと思ってる。

感想1

投稿ありがとうございます。
過去の親御さんとの関係性やいじめ等、壮絶なこれまでを生きてこられたんだと感じました。友人ができても「結局裏切られる」からと自分から関係を断つことは、投稿者さんにとって未来に起きるかもしれないつらさを未然に対処する、やむない手段なのかなと感じましたが、同時に、半ば諦めのような感情もあるのかなとも感じました。
そうして人とのかかわりを断っていくにつれてだんだんと長くなる一人の時間というのは、どうしても自分を責めて追い詰めてしまう、そして別なつらさが生まれるきっかけでもあるように感じます。誰かといないと寂しさが拭えないのに、誰かといると心に傷を負ってしまうかもしれない…こういう時にこそいい塩梅が求められるのが本当につらいと感じます。
また、率直に、投稿者さんにとって「一人でいる時の寂しさ」と「誰かといる時に傷つくことで感じるつらさ」どちらが大きいのか気になりました。比べられるものでないとは思いますが、人との関わりが避けられない世の中であるように私が感じているからこそ、「誰かといる時に得られる楽しさ」が「寂しさ」「誰かといる時に傷つくことで感じるつらさ」を少しでも上回りそうならいいなと、そうでなくとも、少しでもつらさや寂しさを忘れられる楽しさや幸せが得られる環境ができたらいいなと思っています。
改めまして、投稿ありがとうございました。

感想2

生きるのもつらくなるほどの気持ちの強さに反して、同じぐらいかそれ以上に「こうありたい」「自分の思う人生を生きたい」そう感じさせられる文章のように感じました。

幼い頃からの体験による人間関係や人そのものに対する不信感は、諦念にも似た気持ちを形作るには十分なことのように思えます。でも、心のどこかではそれでも諦めきれない確かな自分や気持ちがあって、だからこそとでもいうべきか色々な繋がりを自身で持とうとしてきたのかなと想像していました。

でも、それが思ったように広がらなかった現実は、より投稿者さんを苦しめることになってしまい「楽しいこともあったけど、いつもひとごとみたい」ともあるように、どこか自分自身の人生で自分のことではあるのに、まるでゲームのキャラのように実態や実感の湧かない感覚に繋がっていることもあるのかなと感じました。

人として人間社会で生きていく上で人間関係の営みは切っても切れないものなのかもしれませんし、そこで自身が望む人との関わり方や関係の築き方をすることはとても難しいものだと私自身数十年生きてきてひしひしと感じます。

それは一朝一夕でどうにかなるものではないのかもしれませんが、つらさを感じつつもその上で「生き切りたい」と思う投稿者さんの意志がどうにかして形になってほしいと思いますし、小さなとっかかりがいつしかはっきりとした点となり線になるように、少しずつでも何かが繋がっていくこれからであってほしいなと思いました。投稿ありがとうございました。

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