私は24歳で、転職3回目です。1社目上司との人間関係が上手くいかず、1年で体調を崩し、退職しました。2社目は2年で、給料が安く、お休みが取れないため退職。3社目が2年半で、仕事量や精神的ストレスにより退職し、現在4社目1ヶ月です。ただもう辞めたいと毎日感じています。今は朝、昼のご飯が食べられなくなり、一人でいると死にたくなってくる為、家族と過ごすようにしています。休みの日もたまに友達とご飯など行きますが、前ほど心から楽しめなくなりました。うつ病や適応障害等も考えましたが、病院にはまだ行けていません。周りの人達の楽しそうなインスタなど見ると心が苦しくなり、見ることを避けています。自分だけ何故きちんと働けないのだろう、周りの人達は楽しそう…など様々なことを考えてしまい、吐き気や涙が出る日もあります。でも、周りからは私はいつもニコニコしていて明るいという印象みたいです。辛い時でも無意識に笑っているみたいで、自分が怖くなりました。自分で選んだ人生なので今の自分は過去の選択によりこのような状況になっているのは分かっています。でも、とても辛く、自分でもどうしたらいいのか分かりません。誰に助けを求めればいいのか分からず、定期的に今交通事故に合えば…など良からぬことも考えます。こんな人生楽しめない自分がほんとに嫌です。色々なことを考え、調べていて、このしにとりを見つけて、文章を書いてみようかなと思い、グダグダですが、書かせて頂きました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
どうしていいのか
感想2
仕事が思うように続かない、という部分に共感して感想を書いています。環境や人間関係など自分なりの辞める理由はその時々にあって、けれど辞めて変えてを繰り返していくごとに「どうして自分はこうなんだろう」と自己否定に陥っていく…そんなふうに想像しました。仕事で躓くたび、自分が我慢できれば・自分が強ければ、こんなに悩まなくていいのに、みたいなことを未だによく考えるのですが、つまるところそれは「適応能力」がもっと高ければ、という話だよなと思ったりします。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉もあるように、たしかに与えられた環境で上手くやれたら苦労しないのかもなと感じる一方で、どうして働く側はいつでも「合わせる」側なんだろう?と、社会にある価値観そのものに疑問を抱く私がいます。そうした価値観が無意識に刷り込まれている社会だと思いますし、そこに加えて転職を繰り返していくことが「どこに行っても変わらないのかも」という諦めや絶望の気持ちを強化して、結果としてあなたの苦しさを増幅させているように感じました。
辞めるのも続けるのも自分の選択、自分の選択の積み重ねが今、という自分で舵取りをしている意識の中に、ほんのすこしでも「これって本当に私の問題なのか?」と考えてみる視点が差し込まれたら、「自分」という八方ふさがりの暗闇に風穴があくのかも?と想像しました。よければまた、死にトリを訪れてみてくださいね。
感想1
仕事をする前のあなたの人生はどうだったのだろう?と気になりながら読ませてもらいました。辛い時にも無意識に笑ってしまうのなら、それは昔からの癖だったりもするのかな?と思うと、仕事をする前のあなたにも意識が向いたのでした。「仕事」はあくまできっかけかもしれませんし、勤続年数を見ると、続けようと頑張ったけれども無理の限界が来るタイミングがあるのかもしれない、などなど勝手に想像が膨らんでいました。
就職活動時に職場を選ぶことはできるとしても、入ってみないとわからないこと(忙しさや人間関係など)もたくさんあると思います。それを含めてその会社を選んだあなたのせい、辞めたあなたのせいなんてことは私には言えないです。むしろ、そこで適応しようと必死にやってきて疲れてしまったようにも感じました。どうしたらいいか、簡単には言えないけれど、自分で調べて死にトリに辿り着き、経験談を投稿いてくれたあなたの行動は、自分や人を頼りどうにかしようとするための行動なのだと思いました。書いてみて、読んでみて悪くない感覚があれば、うまく活用してもらえたらと思っています。