経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

摂食障害とうつ病のつらさ

私は現在、摂食障害とうつ病と診断されている。これらの病気になってから、精神疾患は本当に恐ろしくて、苦しいものだと日々感じている。
まず私は、安定して長期間働けた試しがない。短期離職を繰り返し続けた。休職や無職の経験もある。当然貯金などできるはずもなく、生活費確保のために当時は借金をした。親にはとても言えなかった。しかし、摂食障害による過食行動で、食べることが辞められず、出費を抑えられなかった。日に日に体重は増え、鏡の前に立つ事やお風呂に入ることが苦痛になり、外に出る事が怖くなった。今でも、外に出ると「デブ」と思われている気がして、恐怖を感じている。
結局借金はのちに親に打ち明け、責められた。借金をしてしまった背景…うつによる不安定な収入と摂食障害による出費を少しでも理解して欲しかったが、なかなかこれが難しいのだ。
うつによって動けず寝たきりになること、食への欲求がコントロールできないこと、体型へのコンプレックスで外に出ることが怖いこと、薬の副作用で体型が変化する場合があること…これらを理解している人は、今現在でも決して多くないと感じる、生きづらい。自ら、説明しないといけないのが辛くて仕方ない。わかってもらうには、説明しなくてはならないが、その気力すら湧かない。
SNSを見ていても、自らの身長と体重を載せ、自身を「デブ」と発言している人を多く見かけるが、いつも思う。その体重より重い私は、一体なんなんだろうと。自虐はやめた方が良い、同じ立場の人を傷つける危険があると私は、そんな投稿を見かけるたびに強く感じている。
自分が社会的に弱い立場に置かれて、マイノリティ側に置かれて、辛さ感じたことは沢山ある。目に見えない病気の理解のされにくさ、背景を考慮せず向けられた鋭い言葉たち、うつ状態で福祉制度を利用するハードル…いろんな問題とぶつかってきた。それは今でも。
少しでも、摂食障害とうつ病などの目に見えない病気の苦しさが広まり、他者に鋭い言葉を向けず、お互いの背景を想像し合える世の中になったら良いなと感じています。

感想1

きっとあなたの投稿を「わかるな…」「私も同じ様に感じる」と頷きながら読んでいる方は少なくないような気がしました。あなたがどういった背景で目に見えない苦しさや生きづらさを抱えるに至ったのか書かれてはいませんでしたが、最後に書かれていたようにあなたの背景を私なりに想像しながら読ませてもらいました。
自分ひとりの力ではコントロールできずに意思があってもそれを越えてくる欲求があなたを苦しめていることが伝わってきました。ただ、あなたはそれをどこかで冷静に受け止めて向き合おうとしている様子もうかがえました。体調や生活など自分のことだけでも精一杯だと思いますが、社会で働こうとか、何かをしようと思うと自分の状態を相手がわかるように説明するという行為が求められるのは二重、三重と自分を苦しめることになりそうです。しかも自分の理解に当てはめる人が少なくありません。SNSではナイフのような言葉に触れることも多々あり私はあまり近づかないようにしています。偏見や無理解に突き当たりその度に感じる生きづらさを想像すると、無気力になるのもとてもわかるような気がします。社会ではどうしても結果だけを見て評価する風習が強くあります。そこに至るまでの経過や背景は数えきれないほどあるはずですから、他者に何か評価なんてできないと私は考えます。抱えてきた心の内面、我慢してきたできごと、飲み込んできた感情…表現しきれないほどのことがあるはずです。
私は大人になるまで社会のことは何も知らずにいました。社会のしの字も福祉のふの字も知りませんでした。身近な家族や友人かニュースや新聞で知ることが自分の中のすべてでした。もしかしたら傷つけてしまった人もいたかもしれません。でも生きづらさを抱える人に直接出会うようになった最近では目の前の人に出会っているようで出会っていない、見えない生きづらさって誰もが色んな形で抱えているんだと思うようになりました。知らないことは仕方がないことかもしれません。しかし知らないのであればせめて否定せずに相手を知ろうとすることが大切だと感じました。私もお互いを想像し合える社会になるためにできることをしたいと改めて感じました。ありがとうございました。

感想2

精神疾患による日常生活への支障、私が想像できる範囲のことだけでも、ハードなものだと思いました。不安定な収入に反して嵩む食費、お金が続くかどうかの焦り、今度はどれくらい続けられるかという不安、自分は長く働けない人間なんだと認識する辛さ…これらを考えるだけでもストレスに押しつぶされ、体調を悪化させてしまいそうな気がしました。目に見える身体疾患であれば、生活費のために借金したことは責められない可能性もあったのだろうか…と考えると、なんとも言えない感情になります。神経伝達物質やホルモンは思考や感情にも影響をもたらすのに、それらを「本人の意思や努力次第」「自分でコントロールする」と片付けるのは無茶な話だとも思いました。
そういった、コントロールできない領域への無理解と、風当たりの強さを様々な分野でも感じています。特にSNSは、匿名性もあってか他人に厳しかったり、背景がわからなければ責め立てるようなコメントをする傾向が強いように感じます。パブリックな場だったとしても、誰もが注目されるユーザーとしてではなく、個人のつぶやき感覚で、多くの人の目に入ることを想定せずに投稿しているケースが大半でしょう。だからこそふとした瞬間に、配慮のない投稿や辛辣なコメントを目にして流れ弾に当たってしまうことがあるのかなと思いました。
SNSでも、身近な場でも、理解を得るために自己開示しなければならない場面があること、説明する苦労、相手の想像力…いろいろ考えると、気力は湧かないし、外にも出たくなくなってしまいそうです。最後に仰っていたように「お互いの背景を想像し合える世の中になったら」と、本当にそう思いました。私自身も、直近で「名前ばかり知っていたけれど、実態を全く知らずに配慮が足りていなかった」という反省をしたところでしたが、あなたも、マイノリティ側に置かれたことによって気づきがあったということなのかもしれないと想像し、こうした経験や気づき、思いなどを共有していくことで、思い描く世界に一歩でも近づくのかもしれないと思いました。投稿ありがとうございました。

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