2022年に一度、こちらに投稿し、今もその時の経験談を読み返しています。当時は高校3年生、大学受験の最中でしたが現在は大学3年生で、臨床心理学を学び、公認心理師・臨床心理士の資格を取るために日々頑張っています。
それ以外にも、大学内の性的マイノリティ当事者のための居場所のボランティアスタッフや当事者向けイベントのスタッフなど、大学内外で活動しており、イベントスタッフの様子はテレビの番組でご紹介いただきました。
なぜ再び書こうと思ったかというと、最近見たテレビ番組で出演者がいじめの経験を語っており、「掃除道具箱に閉じ込められた」と言っていた。それを見て、思い出した。私も同じことをされた、と。
小5の時、学級崩壊したクラスの中でいじめを受けた(正式に言えば、傷害罪や暴行罪になるだろう。いじめという言葉はそういうものを隠す厄介な言葉だ)。
掃除の時間、掃除箱に入って片付けをしていると、同じクラスの男子数名の笑い声が聞えた。出ようとしたら掃除箱が開かなかった。扉の前にモップが固定され、水の入っているであろうバケツも重しとして置かれていた。「誰か助けて!」と人生で初めて言った。叫んだ。けど、誰も来なかった。何度も扉に体当たりし、モップが落ちて出られた。けれどバケツが倒れて床が濡れた。仕方がないから、モップを再びかけた。
よくよく考えてみると、このことを今まで誰にも言わなかった。何人ものカウンセラーと話してきたけれど、「言いたい」と思ったこともなかった。無意識よりも深いところに“追いやって”思い出さないようにしていたのかもしれない。
それ以外にも、両面テープで画鋲の針が椅子の背面に付けられ、座った時に画鋲が背中に刺さるようになっていた。授業中にトイレから戻り、何も知らずに背面に寄っかかると、逆に痛みを感じなくなるくらいに痛かった。クラスを支配していた男女数名がやったのだと思う。
私の反応を見た担任が授業を中断して注意しても、私は「先生、まぁまぁ。大丈夫です。」とにこやかに笑って言った。もちろん、大丈夫(オーケー)ではなかった。1秒でも早くやめてほしかった。けれど、「やめて」と言えなかった。そんなこと言ってしまったら、どんな仕返しがあるか恐怖で仕方なかった。というか、そもそも拒否するエネルギーを奪われていた。私の返答を聞いた、いじめた奴らは「ほらー、先生、大丈夫だって言ってるじゃーん」と言っていた。担任は諦めたように、授業を続けていた。
あの時は「死にたい」というより「次元の違う別世界のクラスに移動できないかなぁ」と思っていた。
いじめだけでなく、給食の時間、袋に入ったうどんが空中を舞い(今でもこんなことがあったとは信じたくないが)、担任のペンケースも授業中、勝手に出歩いたクラスメートによって奪われ空を舞った。(ちなみに隣のクラスは新任の担任だったが、そこも学級崩壊の状態だった)
これだけではないが、ずっと死にたい気持ちと生きてきた。だから、こう思った。「死にたいと思うことを肯定して生きていくことが一番いいのでは」。逆説的だが、死にたいと思うことが生きることに繋がるのでは、それが本質なのではないかと思う。「死にたい」というものは、分けることができない、もう1つの「わたし」なのかもしれない。こうも例えられるかもしれない。死にたい気持ちは、時に「強烈な毒を持った実をつける」こともあれば「小さな緑の葉のままでいる」。けれど、「根っこは枯れない」。こんな「本質」を言うと、きれいごとに聞こえるかもしれないが、それでもいいじゃないかと思う。
ここに投稿してから、「わたし」であること、言い換えれば「唯一無二」とは何か考えている。「私でしかできないこと」とは何だろうか今でも考えている。きっとこれからも考え続けるのだと思う。けれど、その結論の1つとしてボランティア(高校生の時までは、自分の時間をわざわざ使ってボランティアするなんてアホらしいと思っていた)をしているのだと思う。
高校生の時、小、中学時代を振り返って「詩のようなもの」を書いた。どこにも出せないから、ここで消化したい。
本当は、「あなた」に書きたかった。けれど、そうしてしまうと大嫌いだった「勝手な正しさ」を振りかざす汚い大人になってしまうからやめた。
だから、数年前の自分に向けて書くよ。
今、あなたはどんな気持ちでいるのだろうか。今でもあの時のことは何時間かけても何万字を費やしても、理解できるか分からない。
「終わり」がフィーリングではなく、手で触れることが、目視できていた。本当は生きていたい、と思っていたよね。
今になって考えると世界って、世の中って想像の何倍も広くて、今まで見ていた世界がいかに狭いか分かる。
今が幸せか、と聞かれたら、「1番ではないかもしれないけど幸せかもな。少なくとも前よりかはマシな時間になってるよ」と言うはず。
このクラスで、この学校で、この街で、この社会でひとりぼっちだった「わたし」。
わけもわからず、死にたい「わたし」。
苦しくてしかたがない「わたし」。
“ひとり”の「わたし」。居場所がない「わたし」。
乗り越えた「わたし」。逃げた「わたし」。
笑われた。笑ってた。泣いてた。この涙で、湖でもできないかな、って。
朝起きたら学校が消えないかな、燃えないかなって数えきれないくらい願った。
親もペットの猫も「この世界」に繫ぎ留めてくれるものは無かった。
管理され強制され、教室は少しずつ酸素が薄くなっていった。逃げたかった。苦しみはずっとエンドレスだった。「周りとズレてない」って思いたかった。
けど、大丈夫。何の保証もないのが申し訳ないけど、今も生きてるから。「台風」はいつか過ぎ去る。だから、とりあえず生きて。
感想1
再び経験談を送っていただき嬉しく思います。文章を読みながら、「言葉」があなたの過去と現在、そして未来を静かに結び直しているようなそんな印象を抱きました。あなたにとって自分の中にあるものを“言葉で表現する”ということにどんな意味があるのか気になったりもしています。
綴られていることはただの“いじめの経験”ではなく、暴力と沈黙の中で引き裂かれた“わたし”を、今の“わたし”がそっと抱き上げ直す行為のように感じました。そして、それを“書く”ことでしか癒せない痛みが存在しているような…その事実が、文字の一つひとつから滲み出ているように私は感じました。
小学校の教室という閉ざされた空間で起きた出来事は、決して“子どものいじめ”という言葉で済ませられるものではないと私は思います。身体を閉じ込められ、声をあげても誰にも届かないこと、それは子どもの社会で起きた暴力であると同時に、「社会の最小単位の崩壊」でもあったのではないでしょうか。その瞬間から、「助けて」と言っても誰も来ない世界を生き抜くという、極端に孤独なある種のサバイバルが始まってしまったのではないでしょうか。“笑ってごまかす”、“大丈夫と答える”という行為が、その後の人生を生き抜くための防衛反応として身についたことも、私には何だか自然な流れのように思えました。
臨床心理学を学び、居場所づくりやボランティアに関わることも、それは単に“過去を克服した”証というよりかは、“かつて誰も助けてくれなかったあの時の自分”の代わりに、“誰かの声に応える側”へと身を置こうとしているところもあるのかなと想像していました。なんだかそのあなたの行動には“治療”ではなく回復に向けての“再構築”と表現したくなるような強さを勝手ながら感じているところです。
文章を通して一貫しているなと感じたのは、「死にたい」という感情を排除しない姿勢で、希望とかそういったものを見失ったというよりも、むしろ「死にたい」と思うことさえ、生きている証として受け入れようとするまなざしがあるのかなと。私も死にたい気持ちと長年付き合っている身としてその時々で「死にたい」のバリエーションというのか意味合いは異なるし、自分の死にたさをどう捉えて、どう向き合うかについてはまだまだ迷いや葛藤もあったのであなたの逆説的ではあるけれど“死にたいと思うことが生きることに繋がる”という言葉にはストンと自分の中にしっくりと落ちるような感覚になりました。
これまで経験してきたこと、感じ取ってきたことの中からあなたなりの信念が形づくられていき、それが「詩のようなもの」に落とし込まれているようだなと…。“生きるとは矛盾を抱えたまま続けていくこと”だと表現されているようで、そこには、過去の痛みを消そうとするのではなく、その痛みごと生きていくという、“静かな覚悟”のようなものを私は受け取りました。長々と感じたことを一方的に書いてしまいすみません。この世界で生きていくことは容易なことではないですけど、また何か言葉にしたくなった時や死にトリが必要に思う時はいつでも声を届けてほしいです。