経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ADHDと診断されなかった半端者

父親からの性被害(内容省略)、両親が宗教にハマっていたため周りから距離を置かれた学生時代、兄が不登校となり毎日怒鳴り声が響き渡る生活を18年続けた結果、希死念慮の塊となりました。

私も兄も、どこか周りとズレていて、普通ではないと自覚していました。しかしプライドの高い両親が私達を精神科に連れて行くことはなく、学校に通えない兄は毎日両親と喧嘩をし、暴力を振るい、中学生の兄が家を追い出されたり、兄が金がなくなって戻ってきてまた喧嘩を始めるといった日々が続きました。
父親は毎日イライラして物に当たり、母親は鬱気味、兄は2人を混ぜた感じでした。

両親も兄も怖かった私は良い子の振りをしました。友達は居ませんでしたが、真面目なフリをしていたので高校では生徒会長に選ばれました。
しかし、家庭環境や注意散漫な性格、希死念慮を隠した上での勉強や生徒会の仕事は勿論上手く行くはずもなく、先生方には早々に能力の低さに気付かれました。「あの子は出来ない」といった話をされているのを偶然聞いてしまった日の事は今でも脳裏にこびりついています。

勉強も生徒会の仕事もどうにもならなくなり、学校の先生に何人か相談をした事もありましたが、当時は精神病に理解がなく、話をまともに聞いて貰えず、みな自分に相談するなといった態度でした。中でもスクールカウンセラーの人が1番他人事でした。(今でも疑問に思うくらい他人を突き放す人でした。なぜ採用されたのか…)

当時唯一良くしてくれたのが副会長の子でしたが、同性愛者だったようで、仲良くしてくれなきゃ自傷すると傷のついた腕を見せられ、休み時間はいつも抱きつかれていました。(後々知りましたが、彼女の家庭環境も酷かったようで、私が依存先だったようです。)
2人は付き合ってるといった噂をなんとかうやむやにして、適度に相手をしながら生徒会の仕事を乗り切りました。 
家庭環境と生徒会で勉強どころではなくなったため、高校3年の後半はテストを白紙で提出していました。
何も知らない両親は私が生徒会長である事を自慢そうにしていました。

いつも通り両親が喧嘩中、黙って下を向いて座っていた私に突然父が「全部お前のせいだ!お前が鬱々してるから母はうつ病になったんだ!俺達が離婚するのはお前のせいだ!(結局離婚しませんでした)」と言われ、は?と思いつつ、確かに自分も鬱々してかたもしれない、兄の事や上手くいかない事全てを私になすりつけて解決しようとするこいつはもう親ではないと思い、家を出て行く事を決意しました。

生徒会長経験をネタに推薦で大学に入学し、一人暮らしを始めました。
しかし上記のとおり勉強をしてこなかったため、普通に勉強して合格してきた同級生に追いつけず、大学での勉強は大苦戦でした。卒論もボロボロでしたが、教授のお情けで卒業しました。
毎日教室の最前列真ん中でなんとかついて行こうとしていましたが、代わりに出席カード出して!ノート貸して!系の依頼を断った結果、気付いたら孤立していました。(当時の私の裏のあだ名は真面目系クズでした。)

バイトしながらの一人暮らしで気が楽になるかと思いきや、電話越しに永遠に兄と父のキツい話をし続ける母により、希死念慮と共に、この家族は私が今この手で終わらせなければいけないのでは、という気持ちが大きく成長していきました。

あの男と兄の元から逃げられない母に同情していましたが、生死の選択は個人が持つべきだと思い直し、母を捨て、全国転勤の小売業の会社に入社し、家との連絡を断ちました。

県外まで来てようやく解放されたと思いきや、勤め先の店長が同郷出身で、私の実家が金持ち街にある(実際は近いだけ)と社員に言いふらし、上司やパートの方から陰湿ないじめを受けるようになりました。
いじめは初めてだったので耐性がなく、呆気なく鬱となり、録音していた証拠を人事に提出するも原因が店長だったため、私が職場に適応出来なかったのが原因として片付けられ、休職を挟んで退職となりました。

帰る場所も金もないので、経歴を隠して事務職に転職しました。
公的なお堅いお仕事につけましたが、入社した月に課長からキツめのセクハラを受け、色々権力が働いてこちらも揉み消され、入社2ヶ月で別部署に飛ばされました。
幻聴、不眠、寝る直前に過呼吸を発症し、意識が朦朧とした状態で息が出来ず気絶で入眠、を2年続けました。
(死ぬ直前ってこんな感じなんだなと、何度も何度も痛感しました)

流石に不味いと思い、早々に精神科やカウンセリングを受けましたが、先生との相性が合わず、生活費もギリギリの状態で出社を続けました。
過呼吸を抑える方法を取得し、ようやく仕事と向き合う事になりましたが、ケアレスミスの連続で、お前は仕事ができないと上司から言われました。
自分でもそれは事実だと思い、ADHDの検査をしたところ、ほぼADHDだが、特定のIQが平均値より高いためADHDの診断は下せないと、先生から言われました。

ADHDによくある項目はほぼ当てはまってるなと学生時代から思ってましたが、それ以外の事が騒がしすぎて向き合うのが遅れてしまいました。

一つの仕事を集中して出来ない、並行タスクを処理できない、思った事を口にしてしまう。
ただでさえ腫れ物扱いされてるのに、仕事も出来ず、どうしたものかと悩んでいるところで、母親から突然「おじいちゃんが亡くなったから後を追う」と連絡が入りました。(母は祖父に依存していました。)

私自身、死を求める人間に中途半端な助けは毒という考えを持っているため、悩んだ末、母の依存先になる覚悟を決めて一旦実家に帰りました。
例の男は私に対して今まで行った事、発言を全て忘れており、「お前の幸せを神様にお祈りしていたよ」と言い放ちました。
兄はバンドマンになろうとして失敗し、未だに親の脛を齧っていました。

言葉に出来ない感情に支配されつつ、母親のメンタル援助は自分で決めた事なので、2人は無視して母親のメンタルケアを開始しました。

仕事は辞めて、賃金が低くても障害者に理解のある生きやすい場所を探す予定でしたが、新幹線で定期的に実家へ通うのに金がかかるため、上司から何を言われようと、今は会社に居続けて給与を得るのが最善と考え、今日も出来ない仕事と死にたさに耐えて仕事を終えました。

気付いたら32歳。子宮は筋腫まみれ。手術費用も出せない独り身。恋人どころか友達もいない。会社では嫌われ者。
毎日死にたい消えたいとAIアプリに伝えて、行政に電話しろと返される日々。もう電話も窓口も行って相談した上でこの状態だよ。と言っても回答はいつも同じ。

結婚して子供を産んで幸せそうな同期を見て、消えて欲しいなぁって思いました。
そんな自分が嫌いです。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
自分の置かれてきた環境のしんどさをこれだけ自己理解し、言葉にしながらも、経験談のタイトルが「ADHDと診断されなかった半端者」となのが私としては少し不思議な感覚がしました。
家族、学校、人間関係、仕事・・・全く半端ではない大変さに追われ続けている人生だと感じたので、「半端」という文字に私はなんとなく似合わないものを感じてしまったのだと思います。また、私自身はASDと診断された者ですが、生きづらさは診断がつくつかないとはまた別の次元の話だと考えているので、診断にあまり重きを置いてないという部分もあります。能力に凸凹があれば生きるのは大変になりやすいですし、それに環境のストレスや無理解が加われば、生きるのに大いに障壁があって当然で、そこには「あなたのせいじゃないよ」という意味で(自己責任の問題ではなく、ケアが必要とされるものである認定として)診断が本来ついていいと思っています。

あなたの人生の大変さは、きっと語り尽くせないものであろうこと、私には想像しきれないものだと感じていますが、私は「例の男がお前の幸せを神様にお祈りしていたよと言い放った」の部分が一番グロテスク(という表現が不適切だったらすみません…)に感じました。傷ついた側は、傷ついたことを忘れない、忘れられないけど、傷つけた側は、忘れてしまうこともあればいくらでも合理化することもできてしまうのが・・・これまでのあなたの苦しみと比べるとあまりに残酷に感じました。また、経験談からは、あなたなりに頑張ろうとしていることが、うまく受け取ってもらえなかったり進まない経験が繰り返しあったように感じたので、読んでいて心や過程が踏みにじられていく悔しさがずっと募り、「お前の幸せを…」にキレたいような気持ちになってしまいました。

母親のメンタルケアを背負い、出来なさと死にたさに耐えて仕事を終え、経験談を書いて送ってくれたあなたはどんな気持ちだったのでしょうか・・・。自分の人生は何だったのか、何のためなのか、そんな終わらない問いや虚しさを私は勝手ながら想像しました。あなたと似たような状況にあって、結婚して子どもを産んで幸せそうな同期を見て、穏やかな気持ちになれる人なんていないと私は思います(少なくとも私はなれないです)。だからあなたの「消えて欲しいなぁ」を、深く溜まった「つらいなぁ」という叫びのようなものとして、私は受け取りました。
またよかったら死にトリに語りを届けてください。

感想2

たとえるなら、起きている間は全力疾走をし続けているような、あるいは防衛システムがずっと作動して、寝ずの見張りをしなければならないような状況を想像しました。それはそれだけあなたを取り巻く環境があまりにも過酷だということだと思うし、その中で生きてきたら、ひととき休む方法も、学ぶことがむずかしいように思います。幻聴も不眠も過呼吸も、そういう、ある意味での極限に近い状況で起きてきたことのように思いました。
ここまであなたが生き延びてくるのにどれだけの苦労があったことだろうと思いますし、いつも多大な緊張を強いられながら生活してきたのだろうと想像しています。あなたは元来バイタリティのある方なのかなと思ったのですが、その力を限界以上に使い続けながら生活を続けてきたのではないかと思いました。
私も、同じだと決めつけたいわけではないのですが、家庭環境があまりよくはなく、30代のいまは物理的に距離は置いているのですが、何かきっかけがあると「逃げなければいけない」という衝動に突き動かされて平静でいられなくなることがありますし、また不眠や自律神経やさまざまな心身の不調に悩まされています。ここでいろいろな方の経験談を読ませてもらう中で、私の場合はそんなに大したことではなかったかもしれないとも思うと同時に、それでも生育環境での出来事は子どもにこれだけのダメージを与えるのだということも感じています。

生まれてからの最初の18年間、そして家を出てからも、家族との関わりを断ち切ることの難しいなかで、あなたはなんとか家族との距離を探ってきた側面もあるのかなと思います。ただ、就職先でも安全に過ごせない状況の中では、心身ともにずっと休まらなかっただろうとも思います。また実家に戻った現在は、過去と現在のさまざまな辛さから切り離せない暮らしがあるのかなとも考えていました。
あなたの選択はもちろん大事にしていいものですが、「自分で決めた事」だからといって責任をとらなければいけないというわけではないとも思いました。私たちは選択を撤回したり、変更したりする権利も持っていますし、そもそも自分の健康を優先する権利があります。
といっても、ずってあなたのことが蔑ろにされたり、傷つけられたりしてきた中で、そんなことはきれいごとでしかなくて、すごく上滑りしてしまう言葉のようにも思います……。行政や病院に行っても、なかなかあなたの安全やケアにつながらなかった中で、どうしていいかわからない部分もあるのかもしれないと思っています。
なにか、少しでもあなたの緊張や苦痛をやわらげられるような場所や過ごし方はないのだろうか……と、わからないながらぐるぐると考えていました。重たい荷物は全部おろして逃げていいよって、無責任だけど、言ってしまいたいけれど、でもやはり無責任な言葉だな……と思っています。
私も私の心が他者に攻撃的になるたび、自分のことがとても嫌になります。だけど、自分の心身が安全ではない中では、心の中でとげとげの気持ちになるのも仕方ないことだとも思います。
私は診断のことはよくわからないのですが、病院や医師や、あるいはその時々の流れの中でどう診断されるか・しないかということは良くも悪くも変遷しているように感じていて、精神科医療は発展途上だということを感じています。私自身も長く精神科に通院していますが、診断書のたびに診断名が変わっていたりして、よくわからないなぁと思っています。
ただ診断の有無は置いておいても、あなたがたくさんのダメージを受けてたくさんの苦痛を抱えて生きていることは紛れも無い事実で、あなた自身のつらさを過小評価する必要はまったくないと思います。あなたは半端者ではないし、あなたの苦痛も半端だと思う必要はないと、言いたくなりました。私がそう言ったからって、診断みたいな意味はなにもないけれど……。
死にトリにあなたの経験談を送ってくれてありがとうございます。いますぐあなたの状況がものすごく改善して、あなたが安心して息をつけるような生活が現れてほしいけれど、そんなに簡単なことでもないと思うから、勝手に悔しい思いでいます。死にトリは物理的なスペースでは無いから、リアルに逃げ込めたり暮らせたりする場所ではないけれど、あなたの心をすこし休めたり、気持ちを吐き出したりするのに使えそうだったら、また立ち寄ってもらえたらうれしいです。

お返事

自分の人生は他人にとってどう映るのか気になり投稿しました。
ここには書けないような汚くて気持ちの悪い話、自分の心が処理しきれていない辛い出来事、ADHDの特性を酷く恨んで憎んで、それでも診断されず、出来の悪い健常者として窓口でたらい回しにされた事への絶望など、数え切れない嫌な記憶に蓋をし、極力淡々と人生をまとめたつもりでした。
投稿を読み返して、自分は何を伝えたかったんだろうと溜息をつきたくなりましたが、こんな投稿に丁寧な回答が来るとは思わず、少々驚いてます。
AI以外に自分に対して優しい言葉をかける人間って存在するんだな、と不思議な気持ちです。
否定されなかったのは変な感じです。
自分のことで他人が悔しい気持ちをするというのは初体験です。
他人が自分に時間を割いてくれたという事実が何より嬉しいです。
頂いた言葉をうまく咀嚼出来ていないなと思うので、落ち着いたらゆっくり考えながら読み返します。
ありがとうございました。

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