経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

疲れた…

私の母親には以前からヒステリック症状があります。介護が必要で病院に入院する必要がありましたがトラブルを起こして強制退院となる事が多く病院を転々としていました。私は一人っ子です。母親は私への過干渉がすごいので、私が成人して5年程は母から少し離れたところで生活していました。その頃は仕事も楽しく、その間に婚約者もでき充実していました。休みの日は両親のところにも行っていましたが苦ではありませんでした。私が別居している5年間は父が主に母の事を見てくれていましたが父にも限界が来て自殺を考えたとのことでした。父方の祖母も認知症が悪化して祖母は一人暮らしが厳しくなり、母と祖母の2人の世話を父一人では見ることが出来ないため、私は仕事を辞めて帰るしかありませんでした。使える介護サービスはすべて使いましたが、介護の時間を考えると私は働く事もできなくなりました。婚約者と会う時間もとても少なくなりました。母は婚約者との結婚も許してくれません。父はとても優しい人で私の事を考えて、いくら母に酷いことを言われようと今まで耐えていましたが限界がきています。父には幸せになってほしいので離婚も良いのではと思っています。現在両親は離婚検討中で何度も話し合いをしています。母も祖母も介護が必要な状態のため簡単に離婚ができない状況です。両親が離婚してわたしが一人で母のことを見ることはとても耐えられません。母の声を聞いただけで吐いたこともあります。買い物依存症でコンビニだけで1時間…。不必要な物を沢山買ってお金がなくなっていきます。家はもので溢れかえっています。母からの電話が1日100件くることもあります。「あんたにはできない。あんたが悪い。」と責められます。もう耐えられません。私が死んだら母を見る人がいません。父も自分を責めるから死ぬことは許されません。どうにかなりそうです。

感想1

何とか母の面倒をみていかなくては…真摯な様子に責任感の強さや真面目さを感じました。日本では民法に家族の扶養義務が残っているように、家族は支えあうべきという風潮はかなり強いと思います。それは確かに大切な側面もあるものの、私は弊害の方が多いと思っています。あなたのように、善良で責任感の強い人たちが自分の幸せを犠牲にしてしまうことが多々あるからです。家族であっても、別の人間です。民法より前に憲法の中で、個人の自由や幸福追求は保障されているので、私は家族の支えあいはそれぞれの可能な限りでいいと思っています。(実際に法的な扶養義務も無条件ではなく、可能な範囲内だとされています)
私自身は親の介護問題には直面していませんが、自分の子どもの介護をずっとしています。あなたと同じように「私が死んだら…」と先の心配をすることがあります。でも、心のどこかでそれは違うと思っています。私と子どもは別の人間で、別の人生を歩むべきであり、家族だからと言って必要以上に背負う必要はないし、自分の人生をどう生きるかは自分で考えるべきだと思うのです。ただ、現実は目の前にあるのでそう簡単に決められません。背負うこともまた自分の選択であり生き方であると思う気持ちもあります。
そんな自分事として葛藤を感じている私ですが、あなたの経験談を読んで、これまでも十分に辛抱強くケアをしてきたのだから、解放されてもいいと思います…そう伝えたくなりました。あなたがいなくても今の社会では誰かに託すことができる社会資源や制度はあると思っています。たとえ母親であっても、あなたが穏やかに過ごす当たり前の権利を奪っていいことにはならないと感じました。私の周りにはそうした親から距離をとって(場合によっては完全に関係を切って)自分の人生を歩む人たちもいます。しっかりと離れる選択肢があることを私は伝えたいと思います。
あなたがあなたのための人生を歩むことを陰ながら強く静かに願っています。

感想2

私も少なからず母との関係を考えてきたので投稿文を読ませてもらいました。あなたが自分の人生ではなくて、ほぼあなたの人生を送らざるを得なくなっていることを想像して、そこにはあなたの意思は無いものとされている日常があるのだろうと私は感じました。
成人して5年程のあなたの生活の様子が少し書かれていましたが、答えはそこにすべて込められているような気がしました。母はあなたのことを自分の所有物のように思っているのかもしれませんし、同時にあなたに意志や感情、権利や希望があることを忘れている(想定にない)のかもしれません。あなたとしても以前の5年間のように自分の自由な生活を望んでいるのかもしれませんが、そうしてはいけないのではないか?と思わされているのではないでしょうか。1日100件もの電話がくるとだれでも思考停止になって、従った方が面倒ではないと自分の意思を通すことを諦めてしまいそうです。
でもあなたは5年間適切な距離を経験していますし、もう耐えられないとはっきり感じています。それはまだ「自分」を手離していない証拠です。私はその気持ちにとっても同意します。あなたは母親さんではなく、まぎれもなくあなたです。「そんなことは百も承知だよ」と返ってきそうですが、あなたが母親さんを看る義務はないと私は感じます。「家族」が家族の面倒をみるのは当たり前だという社会の圧みたいなものを感じることがありますが、そんなことはありません。仮に面倒を看るとしても適切な距離や方法はあってしかるべきだと私は思います。特にあなたは自分を奪われている状況です。まずはあの5年間に戻る、そして完全に離れて母親さんを福祉制度や医療に任せることを考えてみてもいいと私は感じました。
「父には幸せになって欲しいので離婚も良いのではと思っています」と書かれていました。感想の最後に私はそのあなたの言葉をそのまま借りて「あなたには幸せになってほしいと思っているので、家から離れても良いのではと思っています」と伝えたいです。
投稿ありがとうございました。

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