私は幼少期の頃から従兄弟A(3歳歳上)に性的イタズラをされていました。その頃はイタズラとは感じていませんでした。むしろ大好きなお兄ちゃんに愛されるのが嬉しかったです。性的イタズラと言ってもそんなに大層なものではなく、キスをしたり、胸を触られたり、下半身を触られたりするくらいでした。
そんな関係が変わってしまったのは、小学生の中学年の時、従兄弟の家にお泊まりに行った時です。従兄弟Aの兄Iの部屋に泊まるか従兄弟Aの部屋に泊まるか選ぶ時どうしても「もしAの部屋に泊まって何かあったら(SEXするようになったら)どうしたら良いんだろう」という不安からIの部屋に泊まってしまいました。たぶんその時からAが私のことを避けはじめました。
そして中学生になり、やっと好きな人はAだということがわかり、一緒に居たかったのですが、その時にはAには彼女が居ました。でも親戚や親に「お前はAと結婚するんだろう」と言われて居たので、どうせAは戻ってくると思い込んでいました。だから彼女の面倒を見てと言われても嫌々遊んだり、彼女から「好きな人居るの?」と聞かれてもAだとは言いませんでした。
それから時は過ぎAができちゃった婚をしました。私は絶望しました。絶対結婚出来ると思っていたから…。だから我慢してたのに…と。
それからは自分は汚れているから誰とも付き合ったらいけないと思い。高校生になって私のことが好きだと噂された男の子とは仲良しだったとしても距離を置くようになりました。
初めての彼氏が出来たのは26歳くらいだったと思います。ネットでチャットをしていた男の子と意気投合して辛かったことを全部話しました。そしたらそのままで大丈夫だよと私の全てを受け入れてくれました。凄く嬉しかった。でも幸せは続きませんでした。その頃の私はモテ期だったのか色々な男性から誘いがあり、どうせ私は汚れているから挿入しなきゃ浮気にはならないと沢山の男性と身体を重ねていました。でも嘘をつくのが苦手だったので、彼氏に話してしまいました。すると「何をやっても良いけど、俺に話すな」と言われました。当然ですよね。それを言われて気分を害さない人が居るはずないのに…。そのことがあってから別れることになりました。
次の彼氏の時もその癖は治らず喧嘩して離れました。今の旦那さんと一緒になってからは暫く何も無かったのですが、友だちに発展場に連れてかれてエッチをしてしまいました。もう終わりだと思い旦那さんに全てを伝えました。ショックを受けてはいましたが、旦那さんから離婚しようとは言われませんでした。そんなこんなで今結婚5年経ちました。間違いを犯したのはその時だけです。でも今私たちはほぼレスで私は性欲が強いのでまたいつ間違いを犯してしまわないか恐怖でいっぱいです。旦那さんからの愛は感じているのですが、どうしても身体の関係が欲しくて…。どうしたら良いのか私にも分からず辛いです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
性的イタズラをされた結果
感想2
経験談に投稿してくださりありがとうございました。
最初に読ませていただいて思ったこととしては、あなたにとって性とは、今どのような意味を持つのだろう…ということでした。
幼少期の性的イタズラは、大層ではなかったと書かれていましたが、客観的に見たら大層なこと取られることの方が多いかと思いますが、あなたの中ではその後に起こったことの方が大層なダメージとして残っている印象を受けました。(それがどっちがいいとか悪いとかではなく、率直な感想です。気分を害する表現でしたらすみません)
汚れている、と感じているのですね…私はむしろAが汚れていると感じました。あなたの気持ちも身体も弄び、憤りすら感じます。
この経験談を読んで、モラルとインモラルという言葉が浮かんできたので、それぞれ辞書で引いてみることにしました。同じモラルでもmoralとmoraleでは英語とフランス語で意味はかなり違っていました。
英語のmoralはいわゆる倫理、道徳を指し、社会的規範からある種の強制力を持って与えられるもの。
フランス語のmoraleだと士気、やる気、のような意味合いが強いそうです。
そしてimmoral背徳的、淫らな、という意味合いの強い不道徳を意味するそうです。しかし、綴りが変わり、unmoralになると「道徳とは関係ない」となるそうです。Imもunもどちらも否定を表す接頭詞でも意味はずいぶん違いました。
immoral(インモラル)は不道徳、unmoral(アンモラル)は道徳とは関係ない…似ているようで全然意味が違うなと思いながら英語も奥深い、と感じていました。
何が言いたいかというと、確かに配偶者がいて他の人と体を重ねることはimmoralかもしれないけれど、あなたの中でunmoralな渇き、のようなものがあるのかな、と思ったのです。
そしてそのことによりmoraleのような、士気が上がるというか、そういう要素もあるのかなと感じました。
あなたが汚いかどうか、それがいいかどうか、私には判断できないし、性欲の強さによってお辛いお気持ちになっているとは思いますが、道徳とは関係ない部分であなたにとって性とは色々な意味合いやエネルギーを持っていそうだなと感じました。
感想1
性的ないたずらの相手が3歳年上の従兄弟であるということがとても悩ましいと思いました。あくまでも私の感覚ですが、性的ないたずらの相手が養育者(両親等)や学校の先生や見知らぬ大人であった場合、貴方を被害者と瞬時に捉えることができるように思うのですが、幼少期からということで、2人には性的な好奇心と互いへの恋心のようなものがあったのではないかと文面から読み取りました。
小学校の高学年の頃に従兄弟の家に泊まりに行った際に、異性の部屋に泊まる選択肢を示した周囲の大人には疑問を感じました。もしかすると大人というのは子どもの性に無自覚なのかもしれません。子どもにも性的な感性や感覚はあるだろうと私は考えているからです。
文章の中で何度かでてきた「私は汚れているから」に目がとまりました。性的な関係を持った場合、どうして女性側のみが自分は汚れていると感じたり、周囲から感じさせられたりするのでしょう。私は、貴方は汚れていないと思いました。結婚まで意識した相手が、違う相手を妊娠させたことに傷ついたという意味に受け取りました。
「性とは人間の尊厳の根底にあるもの」と私はとどこかで教わりました、しかも大人になってから。ここからは私の考えなのですが、パートナー間によっては、性的な欲求の強弱に差があることも少なくないでしょう。だからこそ、(ともすれば、しらけてしまいそうだけれども)性的な欲求について話し合える相手が対等なパートナーであるのではないかと。どちらかが強要したり我慢したりして、相手を否定したり、自分を否定することは、その人の人格形成に大きな影響を与えるのではないかと思っています。夫さんと(過去ではなく)今について話し合えるといいな、でも難しいからここに投稿してくださったのかな、などと考えました。
現在の日本の枠組みでは、結婚した際には、結婚相手と性的な関係をもつことがルールであり、常識となっているようです。性的欲求の解放をあおるつもりはありませんが、『夜這いの民俗学/赤松啓介』や『オニババ化する女たち~女性の新体制を取り戻す~/三砂ちづる』などの書籍を読んでみると、一夫一妻性や女性の性のタブー視に疑問を持たざるを得ない気持ちになったことがあります。あなたの投稿を読ませていただき思い出した本なので書き留めてみました。貴方の身体は誰のものでもなく、貴方のものであり、貴方に決定権があります。と書きつつ、私自身の身体もそうだよな、と再認識して、返信としたいと思います。