経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

贅沢な夢

夜寝る前に、「寝てる間に死んでますように」とお願いして、朝目が覚めて、その願いが叶わなかったことに落胆する毎日を数年続けています。
夫がいて、両親も健康で、友達もいて、大きな不満はありません。私は幸せだと思います。
幸せなので、死にたいと考えてしまいます。いまの生活がいつまで続けられるのか、いまが幸せのピークじゃないかと考えると、もう今すぐに死にたくなります。
親に虐待されたり、両親が離婚したり、学生時代に壮絶ないじめを受けた等、私には死にたいと考えるに至る背景がありません。そういった大変な目に遭いたいということではないです。死を考えるほどの辛い経験をしておらず、幸せに生きているのに死にたいと望んでしまいます。
一度、人に話したら「贅沢だね」と言われました。私もそう思います。
幸せなのに死にたいと思う自分は贅沢で、欲張りなので、やはり早く死んだ方がいいですよね。今夜もいつものお願いをしてから寝ようと思います。せめて夢の中でもいいので死にたいです。

感想1

経験談へ投稿いただき、ありがとうございます。

確かに、よく「死にたい」と話す方に対して、「生きたくても生きられない人もいるんだ」というようなことを言う方もいらっしゃいますが、個人的には、それぞれの気持ちはそれぞれのものだし、その人にしかわからないつらさや気持ちもあるんだろうなと思っています。
今回、あなたが話をしてくれたことは、最初、あまりピンと来なかったのですが、幸せならそれに越したことはないですし、「夫がいて、両親も健康で、友達もいて、大きな不満がない」からといって、幸せとは限らない気もして、今の生活に心の奥底で何かしら引っかかっていることもあるのかなと私は感じました。

ですが、本当に幸せであるならば、今は怖い事件もあったり、SNSも発達していてすぐ他者の幸せも知ることもできれば、不幸なことも知れてしまったりするからこそ、いつ不幸になるのかと不安になっているのかもしれないなとも感じました。

だとすれば、常にあなたの中心の中には不安な気持ちが宿り、幸せなんだけど、幸せではない、なんだか目の前の物事に集中できないというような感覚があるのではないかと思いました。

だから、私にはあなたの気持ちを全て理解するということはできないかもしれないですが、常に予測出来ない何か悪いことが起こるかもしれないというのは常に気を張るだろうし、怖い感覚がありそうだと私は思いました。

感想2

「幸せであること」と「生きたいと思えないこと」が共存してしまう、言葉にならない矛盾した痛みがあなたをずっと取り巻いているような印象を抱きました。家族も健康で、友人もいて、生活に不満もない…そうした足るを知る幸せの形に囲まれているのに、なぜか満たされない感覚になるのはあなたが「不幸を知らないから死にたい」のではなく、「幸せを感じ取っても、そこに自分の実感がない」からなのかもしれないなと私は思ったりもしました。
「幸せなのに死にたい」という言葉は、社会にとって理解されにくいものだよなとあなたの文章もそうですが、他の経験談を読んでもつくづく感じることです。多くの人というかこの社会は「死にたい=不幸だから」と捉えがちだと感じますし、だからこそ、あなたのように穏やかな日常の中で死を願う人に対して、“贅沢”や“甘え”という言葉で切り捨てられてしまうことが起きてしまうのだと思います。社会が幸福とは“こうあるべき”と決めつけすぎた結果でもあるのかなと。幸せであることが義務のように求められる時代に、人は時として“生きる実感”を見失ってしまうものだよなぁとも考えていました。あなたの死にたさにある背景までは書かれていないので、詳しいことは分からないですがその思いに至るまで、おそらくたくさんのことを感じ取ってきたのだと思いますし飲み込んできた感情もあるのではないかと想像しています。誰にも言わず、ぐっと溜め込んできた思いもあるのではないでしょうか。(全然違ったらすみません)
もしかしたらあなたは、「死にたい」という言葉を使い、「もう頑張らなくていい場所に行きたい」と感じているところもあったりするのかなとも思ったりしています。あなたの感じる死にたさは誰かに否定をされたり、誰かの物差しで測られる筋合いはないと私は思います。こうして言葉にして表現することがあなたにとって多少でも何かが違うのであれば、いつでも死にトリにそのままの形で届けてもらえたらなと思っています。投稿、ありがとうございました。

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