出来の悪い私は姉と比べられて生きてきました
自分の命に価値は無いと幼少期から漠然と思っており、小学校高学年になると生活の困窮から、親が私に当たるようになり、私の出来が悪い事について毎日何時間も叱られ、ぁぁ。私はついに生きる資格が無くなったか。とそこで感じ、小学校5年生辺りから自殺を考えるようになりました。死ななきゃいけないと何度か試みましたが死ねませんでした。
高校になり働いたら、家が貧しいのだと言われ金を払い続けました。
学校と仕事の両立で時間はありませんでした
私に相手ができるのが嫌なのか男友達との間柄にすらキレてました
好きな人を諦めました
大人になり、仕事をして、それも親に払いました。
23歳で興味本位で計算したらその時点で1000万円を超えてました。
家を出たくても7割から9割の金を渡しており、残りを貯めても親から家に金が足りないと言われ取られており
家から出るための資金が貯まりませんでした
生理が不順で3ヶ月から半年に一回しか来ませんでした
仕事も朝の6時に起きて夜の10時に帰る日々が続き、年配の先輩は若い自分が気に入らなくて虐められ、あることない事上司に吹き込んでました
若いからという理由でこき使われた為休みは死んだように寝てるだけでした
男性から告白されましたが、受け入れる事ができませんでした
怖いからです
親に金を払うのを辞めたかったけど、辞めたら自分の存在価値が無くなる気がして怖かった
マザコンなのかもしれません
話し合い30過ぎて私は家の金銭面への関与を辞めました
でも今更どうやって生きればいいか分かりません
今36歳です
結婚も無理です。貯金もたいしてありません
どうやって生きればいいのか分かりません
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
子供の時からいつ死んでも構わない命だと感じて生きてました
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。ただの“親子関係の不和”ではなく、長い年月をかけて“生きる力”そのものを削り取られてきた様子が切実に伝わってきました。
幼い頃からお姉さんと比べられるという構図の中で、きっと自分の存在を尊重されるという実感を得られないまま過ごしてきたのだろうと想像しています。その繰り返しの中で、「自分には価値がない」「生きる資格がない」と思い込んでしまったのは、あなたに問題があると弱かったからとかではなく、無条件にそこにいてもいいとか存在への価値を感じられるような環境ではなかったことが大きいのだと私は思います。本来、子どもは大人に守られる権利がありますが、それを一度も体験できないまま大人になってしまったことは、今のあなたにずっと影を落とし続けているのだと感じました。
文章の中で印象的だったのは、小学校5年生で死を考えていたことで、10歳そこそこの子が、死という概念を“逃げ場”として思いつくほど追い詰められていた現実に、身近に守ってくれる大人がいなかったことを含め、何とも歯がゆいというのか悔しい気持ちを抱いてしまいました。どこか家庭内が“生きることを許されない場所”としてあなたの中では認識させられていたのではないかなと…。(違っていたらすみません)
高校、社会人と時間を重ねても、あなたは“生きる”というより仕送りを続けることで“存在を保っていた”ところもあるのかもしれません。「親にお金を払うことが自分の価値」になってしまった構造は、貧困(実際本当にそうだったかは分からないかもしれませんが…)と精神的な支配が重なり合ってなかなか抜け出すに抜け出せなかったのだろうと感じています。経済的な搾取が、”親子の情“に包まれて正当化されてしまいがちな社会のあり方にもつくづく辟易してしまうなと思ってしまいます。家族による依存や支配を“親孝行”と錯覚させる文化の中で、「辞めたら自分の存在価値が無くなる気がして怖かった」という言葉は想像以上の重みがあると思いますし、今は金銭面の関与を辞められることができたかもしれませんが(それ自体はホッとしている自分がいます)、それでも簡単に言葉では表現できないほど、ここまでの影響は計り知れないものだろうな…と思ったりします。
あなたが36歳になり、「どうやって生きればいいのか分かりません」と綴った最後の言葉、それは絶望だけではなく、“これまで奪われてきた自分の人生を、ようやく自分の手で見つめ直している”ということの表れでもあると私は思いました。人生の再出発に年齢は関係ないと簡単に言うことはできないなという気持ちもありますが、あなたがこれまで耐えてきた年月の重みを考えれば、ようやく「自分のために生きること」を考え始めた今こそ、ようやく少し息をつくことができるタイミングに来ているのかもしれないなとも思いました。あなたの人生には、確かに多くの“奪われた時間”があると思います。でも、これからのあなたは、生きることをようやく自分のものとして選び取る段階にいるのではないでしょうか…。どうか、この先少しでもあなたのこれからの時間が“誰かのため”ではなく、“自分が穏やかでいられるため”に使われていくことを強く願っています。
一人では気持ちに迷いが生じたり、行き詰ってしまったりした時はいつでも死にトリに声を届けてもらって一緒に考え、こうして言葉を交わせたらなと勝手ながら私は思っています。またお待ちしています。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
これまでを振り返ってご自身の体験を書き綴る間には、どんな思いや感情が巡っていたのだろうかと考えました。
小さな子どもが「自分の命に価値はない」と思っている姿を想像すると、言葉にし難い、胸が詰まるような思いでいます。
本来ならば安心や安全を感じられるはずの家の中は常に不安や緊張が漂い、あなたがスケープゴートのような役割を背負わされていたことを感じました。
「生活が厳しい」という理不尽な理由を盾に、あなたがたくさんの犠牲を払ってきたことを悔しくやるせない気持ちで読みました。
計算した金額には、こちらも空いた口が塞がらないような衝撃でしたが、あなたはどんな気持ちでいたのだろうかと思っています。
つらい環境から逃げ出すこともできず、身体の不調や仕事の疲労、人間関係・・想像してもしきれない、過酷な日々であったことを感じています。
「親に金を払うのを辞めたかったけど、辞めたら自分の存在価値が無くなる気がして怖かった」との部分は、そう感じてしまうのも無理のないことだと思いました。
不健全な関係であるということを理解していても、そう簡単に手放せなかった葛藤があったように感じています。
現在はお金の援助を辞めたとのことに少しだけ安心しましたが、搾取や抑圧が日常でもあった経験は、これから「自分の人生を生きていく」ことへの恐れと不安に大きく影響を及ぼしていることを感じています。
結婚せずとも、貯金が僅かでも、物理的に生きていくことはできるように思いますが、あなたが悩んでいる「生きていく」は、もっと内面的な、生きていくための「何か」を探しているようにも感じました。
不安に覆われてしまいそうなときには、またこうして声を届けてほしいなと思っています。