経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の劣等感

私はいつも誰かに嫉妬して劣等感を感じています。親や友人に日々比べられてる訳では無いんです。私が勝手に比べて、勝手に劣等感を感じているだけです。私が日々感じている劣等感の素は多く、顔・声・勉強・性格・周りからの評価・その人の人生などなど…兎に角多いです。

いつから劣等感を感じるようになったかと言われれば、私が物心ついた頃からでしょうか?私には4つ上の姉がいるんですが、私とは違って活発で、たくさんの友達がいて、勉強も出来て….姉には何一つ敵いませんでした。親は毎日「あの子は学習障がいなんじゃないか」「あの子はなんで普通が出来ないのか」「姉はできるのに、あの子はなんであんなにも出来損ないなんだ」と私が寝静まる頃に項垂れて両親が話し合っている所を見てしまったのをよく覚えています。小さい私が親を自分のせいでガッカリさせたことを理解出来ても、言葉の意味は上手く理解出来なかったのが唯一の救いです。

小学校に上がる頃には、自分と人を比べてしまう癖がついていました。保育園に比べて人も多かったので、人と比べる機会も増えてきました。なので、「自分が出来損ないの馬鹿で、普通のことが出来ない」と幼いながらに理解するのに時間はかかりませんでした。平仮名の読み書きも出来ます。小学校に上がる前に予習をしてきたので勉強も多少安心…..の筈でしたが、自身の中にある劣等感を自覚するだけで出来ていたことが出来なくなったんです。国語・算数・社会・理科・英語…テストの点数は50点前後で良くて80点台、姉はほぼ勉強してないにも関わらず100点満点が当たり前。こんななので、親は私と姉を比べる発言も多くなってきました。

中学に入学する前日に、私は親に「姉と比べるのを辞めて欲しい」と反抗しました。それからというもの、時々親からは姉と比べる発言があるものの、以前と比べれば大分少なくなりました。しかし時すでに遅し。とっくのとうに私には人と比べる癖がしっかりとついていたので殆ど意味なんてありませんでした。中学ではテストの成績が順位としてはっきり出てくるので、余計に劣等感が強くなりました。テスト期間の前後は特に劣等感が酷く、勉強を使用にも鬱々とした感情が気力を奪っていきテストもギリギリでした。一応半分よりも上の成績をとっていたのですが、親は納得いかないらしく、「姉と同じ血が流れている筈なのにどうして出来ないんだ」「貴方の友達も出来ている。こんなこともできないのは有り得ない、普通じゃない、努力が足りない」「本当に馬鹿で役立たずだな」なんて言葉がテスト返却時に親がよく私にかけてくる言葉です。

高校生になった今でも、友人や姉と比べて劣等感は収まることを知りません。最近では親と衝突することも増えてきて、ご飯を上手く飲み込めなかったり、夜に眠れない日々が続きます。強くなる劣等感と比例して、「消えてしまいたい」という感情も強くなる一方です。

私の親は、人と私を比べてきたこと以外は割と普通の親なんです。私とはあまりにも馬が合いませんが、身体的にも、精神的にも辛いことはしてこない、何処にでもいる親なんです。なんなら、誰かと自分を比べられることは、誰もが1度は体験する割と普通のことなんです。「自分を比べるのを辞めて、自分の良いところに目を向けようよ!」という言葉はネットで散々見てきました。「劣等感で気力が湧かなくて勉強が出来ない」だなんて唯の言い訳でしかありません。ですが、自分の良いところに目を向けようとすると、それと同時に私よりも勝っている人が沢山見えてくるんです。言い訳をしなければ私は私なりに頑張っている私を上手く肯定することができないんです。「上には上がいる」そんなこと当たり前なのに、その当たり前が私には辛くて仕様がありません。なんでも一番になりたい訳ではないはずなんですがね….
「劣等感をバネに頑張る」なんて言葉は聞き飽きました。それで私の劣等感が消えてくれたならどれほど嬉しかったでしょうか。私が小さいときから感じている劣等感は、私が思っているよりも手強いものらしいです。

わざわざここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
長文失礼しました。

感想1

投稿読ませてもらいました。
人は一人ひとりが自由なはずです。姉妹だって家族だって関係なく、一人ひとり自由なはずです。なのに狭い家庭、親子関係だと誰かと比べて価値を決める環境があって、自由(自分らしさ)を奪ってしまうのかなって私には感じられました。劣等感が生み出されるのは、そう感じさせる学校教育や競争社会の側にも原因がありそうです。
姉と対比するようにあなたについて親が話しているのが耳に入ってきたんですね。あなたが生きているのは姉の人生ではなく、あなたの人生なのに比べられるのは道理が合わないと私は思います。比較によって繰り返し劣等感が刷り込まれるようにあなたの思考の癖になっていったことも想像できるような気がします。
あなたは劣等感を手強い癖だと言っていますね。思考の癖って少しずつですが修正されていく可能性があります。投稿文を読むと客観的なあなたの思考もちゃんとありますよね。
中学生になる前に「比べないでほしい」って親にあなたの意見を伝えたところを読んで、心の中で「お~」って拍手してしまいました。あなたの中には刷り込まれている以外のあなたなりの軸(価値基準)がありそうです。ずっと姉との評価にさらされてきたし、今もその環境に居るにも関わらずあなたは自分を見失っていないんだと私には思えました。
なんとか劣等感を克服したくてネットで調べたり、試したりしてきたんですね。確かにネット上では広く一般的な情報しか見つからないので個人の状況とは合っていないことも多いと私は思います。今回のように家族とはまったく関係ない場所であなたの考えを話してみることってとてもいいと思います。これからも誰かと価値観を交流する機会をもつことをお勧めしたいので、よかったら死にトリでもまたお待ちしています。
あなたが他の誰でもない“あなたの日々”を安心して送れるようになることを私は願っています。

感想2

自分の劣等感について分析してまとめたレポートのようだなぁと思って読みました。自分のつらさや苦しさにしっかりと目を向けて、それでいてその苦しさに支配されることなく、自分の感性や思考でそのテーマに向き合って書いたという重みを感じました。劣等感に苛まれている人はかなり多いと思うので、それぞれが自分の劣等感について分析して、まとめてみると興味深いことがわかるような気がしてきました。おそらく、苦しんでいる人そのものに何か課題や問題があるのではなく、置かれた環境や今の社会の状況が大きく影響していると思っています。
私自身は劣等感で苦しむ経験はあまりないですが、たくさんの人たちが劣等感に悩まされていることにはとても関心があるので、私なりに観察や分析をしてみました。そこで思いついたのは現代社会の「情報の多さ」です。単に量が多いだけではなく、多いうえに不確かだったり、不安を煽るようなものだったり、自分では確かめようのない情報が氾濫しているように思います。
あなたが周囲と比べてしまうのは周囲の人たちを観察して得た生の情報だと思います。一方で比較してしまう時に使う基準などはインターネット上に溢れている、メディアを通じたある種のフィルターのかかった情報の影響を受けているように思いました。(ちょっと、理屈っぽくてすみません…)
そして、あなたの親が姉と比較し続けていたのも、本当にそう思って比較してきたというより、社会の中にあふれている「できる方がいい」「できることが正しい」といった能力主義の考え方を知らないうちに考えなしに内在化してしまったからではないかと私は思いました。なぜなら、あなたが直接「姉と比べるのを辞めて欲しい」と伝えた後には態度が変わったことが書いてあったからです。つまり、あなたからのリアルで直接的な発信が、親の中に刷り込まれていた何となくの考え方を変えたことを意味すると私は思いました。(でも、そうしたリアルで直接的なものよりも、不確かな関節情報が多いのですぐに戻ってしまったようですが…)
そう考えると、私たちは普段から何となく「これがいい」とか「こうしなくては」とか「こういうものだ」ということを無意識に吸収し(言葉を変えると洗脳されていて)、知らないうちに、それが誰かと比較して一喜一憂したり、劣等感に苛まれてしまう土台になっているように思います。(もう少し私の分析をお伝えすると、実は誰かと比較すること、劣等感で苦しむ人が増えるとそれで得をする人(儲かる人)がいることも関係していると読んでいます。)
あなたの経験談の考察に触発されて、劣等感についてあれこれ社会の問題として書いてしまいましたが、私が一番注目したのは、あなたがそんな世の中にあっても、自分の感性と思考を持ち続けて、それにまっとうに向き合って苦しんでいるという点です。多くの人たちがともすると情報に飲み込まれ思考停止に陥り何となく「これがいい」と思ってしまうような社会でも、自分でいたいと思うからこその苦しみや悩みを抱くのだろうと思いますし、それを自分だけで抱えずにこうして書いて送るという行動につなげていることにあなたの力があると私は感じました。
そのあなたらしさは最後に書いてくれた「劣等感をバネに頑張る」なんて言葉は聞き飽きたというメッセージからも感じました。そんな言葉は私には響かない!と意見を表明してくれています。あなた自身は「劣等感が消えてほしい」と書いていましたが、今回のメインテーマとして扱ってくれた手強い劣等感はあなたらしさの一部の構成要素でもあり、敵対したり、はねのけたりする相手ではないのかもしれないと私は思いました。うまく付き合っていくと意外と少しずつ大人しくなっていくかもしれない、その劣等感が何かしら役に立つこともあるかも?いや、劣等感から別の形になるかもしれない…などのイメージが私の中では浮かんできました。(的外れなイメージかもしれませんが)
これからも必要な時にはぜひ、またこうして書いて送ってください。

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