カウンセリングにて、アダルトチルドレンを何とか克服しました。本来の自分に戻れました。苦しみをかなり伴い、泣きながらも、アダルトチルドレンは克服しないと自分の人生を生きられない。生きることは当たり前ではないから、未来が良いものにとカウンセリングで克服。並行して、私には暴言や暴力のある配偶者がいます。離れたくても離れづらく、
別居、専門家を具体的に進めています。
理不尽だと辛く、臨床心理士の助けを借りて、生きています。24年間、耐えたので、楽になる道を早めに叶えます。命を大切に。我慢はしなくていい。ありのままの自分を一番大切に。あなたは、あなたのままで充分。
私が自分と周りに伝えてたい言葉です。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
アダルトチルドレンの克服と配偶者の暴力
感想2
克服という言葉の裏にどれだけの苦しみと涙があるのか、あなたの経験談を読んで気づかされました。私自身抱えている課題をいま乗り越えた方が人生を長い目で見たときに生きやすいだろうとは思っていても、毎日がなんとなくすごせているせいでなかなか一歩を踏み出せていません。そうこうしているうちにまた同じ場所で躓いて・・・ということを繰り返しています。
その一歩を踏み出して、抱えた課題を克服するということがどれほどの労力を費やすのか、想像しただけでも途方にくれてしまうような気持ちです。あなたはその一歩を踏み出されて、そうして今も一歩一歩を刻んでいるんですね。専門家を頼ることはとても大切なこと、そうわかってはいてもそこに辿り着くまでの道のりがどれほどの困難に満ちているか。そして辿り着いたあとにもまだ苦しみが伴うこと、あなたの文章からとてもよく伝わってきました。そして、その道を進んだ先にあなた自身の生き方を手にするのだろうという予感も感じました。
その経験の中から生まれたあなたの言葉が、これからのあなたを支えていくのだろうと思います。そして、苦しみを抱える誰かにそっと寄り添うのだろうと思います。少なくとも私には、あなたの言葉が届きました。経験談の投稿、ありがとうございました。
感想1
短く綴られた文章の中に、投稿者さんの今に至る苦しさや今の辛さ、そしてそれを経て自身はもちろん他者へのどこか労いともとれる、優しく語りかけらているような感覚を読ませていただいて感じていました。
私自身、成育や家庭環境によって、今も抱える生きづらさのようなものが強い中生きているので、それがたとえ自分のためだとわかっていたとしても「何とか克服しました」とあるように、投稿者さんが辿った道はとても長く過酷を極めるものであったのかなと想像しています。
それは現状の苦しみとはまた別の問題で、過去の自分や取り巻く人間関係や環境など、自分という人間を含めたこれまでのあらゆるものごとに向き合い、問いかけていかなければならず、カウンセリングの力を頼りながらだとしても一朝一夕には成しえないことのように私には思えます。そこにはきっと「未来が良いものに」ともあるように、並々ならぬ精神力や強い意志が求められるものであったのかなと。。
ただ、そこまでして投稿者さんが向き合ったアダルトチルドレンとしての自分やその行動は、並行して受けていた配偶者からの加害という逃れるのが難しい理不尽に対して、真正面からぶつかる、何とかして離れる選択肢をとろうと思うに至る、ある種のきっかけや勇気や覚悟にもなったのかなと想像した私がいます。
理不尽にさらされ続ける状況に身を置いている中で、「辛さ」や「苦しさ」がどれだけはっきりとした感情や感覚としてあったとしても、容易に向き合えない・離れられないのが人間という生き物だと私個人としては思います。
ただ、その中で過酷を極めながらも何とかして克服した投稿者さんがこれから癒され、他ならぬ自分の、自分のための未来に歩みを進めてほしいと思いますし、同じく生きづらさを抱えながら大人として生きている(私も含めた)多くの人に、ここに書かれた投稿者さんの思いや気持ちが少しでも伝わってほしいなと思いました。投稿ありがとうございました。