経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

達成感、やりがいってなに

器用貧乏という言葉がある。
まさに私を表すのにこれほどふさわしい言葉はないと思う。
仕事の中でどんな担当に割り振られても7割8割はできてしまう。
残りのできなかった2割3割も、特に気にしなくていいレベルのものらしい。

幼いころからそうだった。何をしてもそういう感じになってしまう。何をしてもだいたいできた。
いつしかそれが当たり前になって、もっと高みを目指すようになった。
速さ、正確さ、付加価値…。考えうることをすべてやりつくしたと思う。
そして、得たものは「空虚感」と「疲労」だった。
いつも抱いていたのは空虚な気持ちだった。何をしても埋められなかった。
ただただ肉体的と精神的に疲れ果ててしまっただけだった。
今はもう全く動けなくなってしまっている。
こんな私に周りは一体何を求めているのか…。

感想1

経験談への投稿、ありがとうございます。
何をしても大体できる、というのは、正直な感想を申しますと少しばかり羨ましい気持ちがありました。ただ、そういった方にも悩みは生まれるし、壁は立ちふさがるものなのだと、じわじわと感じた次第です。

器用貧乏という言葉には複雑な意味があるように個人的に感じています。「少し触ればある程度できるが、それゆえに続ける意欲が湧きづらい」というメリットとデメリットが常に隣り合わせな状態を個人的にイメージしたのですが、投稿者さんには「高みを目指し思い当たることはすべてやった」事実、私の想像するデメリットのようなものを感じさせないこともあって、これがマイナスな印象を与える言葉には私には見えず、むしろいい意味で投稿者さんを表現している言葉のように感じられました。
また、考えうることをすべて行動に移していることもあるため、どうしても「疲労」はつきものなのかなぁと思いましたし、内に秘めるエネルギーを消費する実感というか、やりつくした(エネルギーを使い果たした)実感も含めそれらが空虚感の正体だったとしたら、それらの空虚感や疲労は、投稿者さんができる限りを尽くした事が報われた結果なのではないかと個人的に感じました。

周囲が求める声を無視できず、心の内で嫌だと感じていても表向きにはそれらを快諾される方なのかな、と最後の一言で感じました。心の負荷を感じたときは、愚痴をこぼすくらいの気持ちでまたここに書きに来てもらえたらと思います。
投稿ありがとうございました。

感想2

私は、何かを追求するとき、先に動機が来るので、その違いに新鮮さを覚えました。それは私がオールマイティでなく、頑張ろうと思ったことしか頑張れないからなのかもしれません。あなたは「何でもできる人」を目指したのか、こなすことそれぞれの高みを目指したのか、どちらもあるのかなと思いつつ、あなた自身、その先にどんなものやことを得たくて、高みを目指そうとしたのだろうかと気になりました。あなたの指す”仕事”というのが労働や集団における役割によるものだとすると、昇進・昇給したい、評価されたい、やりたい仕事がある、自分の能力を証明する、単純にその作業が楽しい、などなど…。達成感ややりがいは、そうした自分の中のゴールを得ようとする中で付随してくるものなのかな、と私は考えています。求めている対価を得られずに、「やってくれるのが当たり前」というスタンスで「やってくれるからどんどんやってもらおう」とどんどん仕事量だけを増やされ続けたら、それはある種の搾取にも当てはまるように感じ、虚無感と疲労しか得られないのも、わかるような気がしました。
もしあなたの周りが、適切な対価や感謝なしにあなたを消費しようとしているのなら、生まれた空を埋めてくれる場所を探すのも手段なのかなと思いました。

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