経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

足枷

当方、21歳の大学生です。備忘録として生きてきた記録を残します。

学歴至上主義で気に入らないことがあると暴力(身体、精神)を振るう父親とヒステリックの傾向のある毒母親、恐らく発達障害であろう高校生の弟。
他所から見れば、これは顕在化されていませんでした。言わば普通の「どこにでもある」家庭の中にも色々な問題が有るのです。

父から初めて殴られたのは3、4歳でした。私が自転車に中々乗れず、怒らせてしまったことを覚えています。割と理不尽なことでも直ぐに拳が飛んできます。当然、痛いじゃないですか。大の大人の一発ですよ。でもね、泣いたら永遠に殴られるんですよ。「泣くな、気持ち悪い」って。

結構こういうことありますよ。例えば、父から教えてもらった勉強で理解ができなかった時、徒競走で2位だった時、習い事(陸上)で自己ベストを逃した時。最も、私が馬鹿で要領が悪いのは大前提です。でも怖いのって、母もこれに加担していることなんですね。無視やご飯が用意されていないこと、陸上なんて「走って帰れ」って何回言われたことか(実際、本当に車に乗せてもらえず競技場から自宅まで約10キロ、炎天下の中歩いて帰った小学生時代)

こういうことされて育った子ってどんな風に成長するか分かりますか?
ひとつ目は、悔しい、絶対見返してやる。
ふたつ目は、私って何で生きてるんだろう。

私ですか?後者です。摂食障害、パニック障害、双極性障害、愛着形成障害、過換気症候群。これが今の私です。リストカットも相当やりましたね。やりすぎて左腕ケロイド状態なんですよ。バレた時泣かれました「産んでやった身体に傷つけるなんてなんてことしてるんだ」って。「ざまあ」って思いましたよ。てか産んで「やった」とは。こんな家庭に産まれてよかったとは思ったことありませんが。何回両親を殺してやろうと殺害計画を練ったか。だって自分だけこんな仕打ちを受けるなんて理不尽じゃないですか。それ相応当然の罰を受けるべきだと私は思います。

現在も両親は存命です。毎日早く死んでくれと願う日々が続いています。
私は「親が」選んだ「なりたくもない」公務員になるために日々、試験の勉強をしています。幸いなことに友人関係には恵まれ、生きるための日々の活力となっています。大学は親元から離れることができ、虐待らしきものは終焉を迎えましたが、フラッシュバックや動悸など自分の力ではどうしようもないことが多々あり、無力さを感じることが現状です。

両親からは地元で公務員になることが当たり前だときつく言われています。だけどね、絶対戻ったらいけないんですよ。戻ったら長女だから介護もしなければならない。こっちから願い下げです。

こういうことがね、サラリーマン家庭で普通に起きてるんですよ。怖いでしょ?

長くなりそうなのでここまでで切っておきます。大学生になってからの金銭虐待や弟のことその他の話は私が存命であったら遺しておこうと思います。最後に、脈絡のない駄文長文、大変に失礼致しました。どこかで共感していただけたなら至極幸いです。

感想1

読んでいてあなたの痛切な思いが伝わってきて、何だか勝手ながら胸が締め付けられるようなそんな感覚になりました。表面上は「普通」に見える家庭の中で、怒りや暴力、無視といった痛みが静かに、でも確実に積み重なってきたのだろうなと想像します。幼い頃に殴られた記憶や、ご飯を与えられないような扱い、期待と失望の繰り返しが、あなたの身体と心の奥に深く刻まれているように感じました。そうした記憶がフラッシュバックや動悸となって現れるのは、無理もないことだと思いますし、その重さをここに書き出してくれたこと自体が、何かを言語化しようとする必死の試みだと私は受け取りました。
復讐したい思いというのか親を憎しむような怒りの言葉は、理不尽な扱いを受け続けたらそういう風に抱くのも自然な反応の一つに私は思えます。現に私自身も決して良い家庭環境とは言えない中で育ち、親元から離れた今でも親に対してあなたと同様の感情が湧いて出てきてしまう時があるので全てではないにしても共感できる部分だなと。あなたの言葉は憎しみと恐怖と絶望が混ざり合って出ているような、同時に自分を守るためのものでもあるのではないでしょうか。あなたがこうして表現する背景には、長い間見捨てられ感と裏切られ感があって、そうした感情は簡単に消えるものではなく、向けられる先があるなら当然尖るし、向け先がないと自分の中で渦巻くしかないのだと思います。
また、親によって決められた進路(公務員)を目指していることや、大学での友人関係が支えになっているという事実も、本当の姿とのズレが余計にあなたを苦しめているように私は感じました。外から見れば「普通の家庭」でも、その内部で起きることは本人にとっては日常の地獄(適切な表現じゃなかったらすみません)であって、社会の多くはその〝普通さ〟の裏側にある暴力を見過ごしがちだなと思います。家庭内の暴力や支配は必ずしも外からわかる形で顕在化しないので、被害を受けたほうは孤立しやすいし、回復の機会を持ちにくいので、そこに教育や家族観、社会の無理解が重なって、苦しみが長期化する構造があるように思え、一筋縄ではいかない感じに何とも歯がゆさを感じてしまいます…。
あなたが長女だから、という理由で介護や地元に戻ることを強制されるべきではないという感覚は真っ当なものだと声を大にしてお伝えしたい気持ちになりました。親からの期待や役割分担が“当然”とされる文化は、個人としての選択を奪われるものですし、自分が望んでそうしたいなら別ですがそうではないのであれば、あなたはあなたの人生を歩む権利がありますから、そういうしがらみや圧力に屈しないでほしいな…という気持ちになりました。
こうして綴ってくれたあなたの思いは弱さや性格の問題とかではないと私は思います。摂食障がいやパニック、愛着の問題なども、あなたが受けてきた扱いゆえのものなのではないですかね。ただそこに名前が付くことで、逆にあなたの経験が過小評価されてきた側面もありそうだなとも思いながら…。
あなたの文章を読んで、学歴や体裁を重んじる風潮、長女だからという無言の圧力や負担、家庭内での教育観やしつけの名の下に正当化される暴力などそうした背景が、被害を見えにくくしているのだよなと改めて思わされました。ここにある怒りも、絶望も、軽々しく片づけられるものではないと私は感じていますし、まずは受け止めたいなと思ったということをお伝えして感想とさせていただきます。また必要に感じられたらいつでも死にトリに声を届けてほしいです。投稿、ありがとうございました。

感想2

あなたが親から受けたものを「足枷」と名づけ、関係値を「願い下げ」だと切り分けられるようになる(そう表現できる)までに、どれくらいの傷を1人で抱えてきたのだろうと感じながら読みました。

幼いころのあなたが受けた言葉や暴力は確かに「痛み」や「恐怖」として存在したと思いますし、そうした否定や安心感のなさが積み重なった結果として「何で生きているんだろう」という、自分の存在を揺るがしかねない感覚が生まれ、今もそこに苦しんでいるのではと想像しています。今もなお続いているのだとイメージしていますが、幼いころよりは多少なり両親という存在との「距離」や「境界線」を引く余地が生まれたのかなとも(物理的に離れたことが大きいのでしょうか)感じました。いずれにせよ、どれもこれも真っ当な怒りのように私には思えました(それを表出させないようにと自制せざるを得ないこともまた、理不尽の1つになっていそうですが…)。

論理や感情で距離を取ることと、思考や身体感覚として「離れられる(逃れられる)」ことは本当に別物で、だからこそものすごく難しく、苦しい現状があるのではと考えています。「足枷」はもがくほど足を傷つけ、同時に動こうとする意思を弱らせるものでもあると思います。一方で、鎖の部分を切ってしまえば、枷は中々外せずとも、歩き出せる可能性があるとも思います。今回の経験談に書かれていたあなたの親に対する言葉は、必死にその繋がりを断とうとしているようなものにも感じました。「断った方がいい」とは(それが容易でないことを想像するからこそ)言えない私ですが、親子関係という社会的な呪いになりかねないもの(あえて強い言い方をします)を捉え直し、そのいびつさを一緒に考えてみる場になればと思います。

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