自分に自信がなく、自分を大切にするというのがどういうことか分からない人生を歩んできました。
どうしてそんなふうに思うようになったのかは分かりません。ただ幼少期に父の不倫が原因で両親が離婚したときから「私は父に愛されていないし、母に迷惑をかけている存在なんだ」と思うようになってしまったことが原因のひとつなのかなと感じています。
ただ、子供のときは勉強ができたので自分の存在価値を疑う瞬間がなく、悩むこともあまりありませんでした。
勉強は楽しかったです。目の前のことに集中してコツコツできることを積み重ねたら、解ける問題もちょっとずつ増えるので、そういうシンプルさが自分に合っていました。問題に対して真摯で誠実であるだけでいいというのが本当に楽でした。
ただ単に好きなことをしているだけで周りが自分を認めてくれるので、とても気楽に楽しく生きられていたように感じます。
私は大変運がよくて、賢くお金の使い方が上手で教育に理解のある母と、日本にある様々な支援制度や民間のサポートのおかげで、自分の好きな大学に通い楽しく学ぶことができました。みんながみんな大学へ行けるわけではない中で、本当に恵まれていたと思います。
でも自分の心を育てるのは上手じゃありませんでした。子供の頃から常に経済的な不安があり、人の愛情を上手に受け止めることもできず、人に可愛く甘えることも習得できませんでした。自分を素直にさらけ出して他者と精神的に支え合えるようになることも、ありのままの他者を受け入れる余裕を持てるようになることもできませんでした。
幼い頃から、ずっとずっと、ひとりで仕事をし家庭を支える母の心配をしていました。まだとても幼かったのに父を失ってしまった妹の心配をしていました。心は他人の心配をするばかりで、自分の望みや求めるものを理解する能力を育てられず、本当の意味で他人を支えられるようになるために必要な成長ができていなかったのです。
自分の心が成長していないまま社会人になってしまい「世の中のために働くぞ」と気合いを入れすぎて、すぐに色々なことについていけなくなってしまいました。
勉強ができさえすればよかった学生時代と違い、色々な人と上手く関わり世渡りしなければいけない、頑張るだけではなく手を抜くことやずるく生きることも習得できなければいけない、上手くいかない自分も認めてあげられなければいけない、日々の生活が忙しくても自己研鑽を続ける体力がなければいけない、適度に目をつぶり見て見ぬふりしなければならない、未熟な自分がそんな複雑な社会生活にいきなり適応するのはあまりにも難しいことでした。
そこで精神疾患を発症し、上手く活動できない自分自身に怒りを感じながらも、少しずつ過去の自分と向き合っていくようになりました。これまでの人生で経験した不甲斐ない出来事や後悔、恥を許すこと、両親に対して持っていた不満を認めること、そして自他関係なく全てを許すことを経験しました。
とても長い時間がかかり、その間にありとあらゆる苦しみや辛さを味わいましたが、ちょっとずつ、本当に少しずつ心と身体が軽くなっていき、また仕事ができるようになっていきました。
病気をしていた間は、とにかく「ふつうの人になりたい」というところを目標に頑張っていました。特に就労に対する執着が強く、ふつうに仕事をしてふつうに一人暮らしをすることを強く願っていました。ふつうに生きて、何かしらの活動を通じて人に何かを与えられる存在にならないと価値がないと思っていたのかもしれません。
仕事ができるようになってからも、病み上がりの心身のためきついことや耐え難いことが沢山ありましたが、絶対に「ふつう」になってやるという執念を手放せなかったので、徐々に思い描く生活を手に入れられるようになっていきました。
そうして好きな土地で一人暮らしをし、そこそこ自分に合っている仕事で働けるようになった頃、新たな壁にぶつかりました。
これまではただ単に「就労している人」を目標としていたのですが、いざ「就労している人」の中に混ざれるようになり、「就労している人」に対する解像度が上がると、自分は周りに比べて持っているものが少なすぎることに気づいたのです。
私が長い闘病生活を経験している間、同年代は仕事に励み、貯蓄を増やしたり好きなものにお金を使って経験を増やしたり、キャリアを築いたり家庭を持ったりと、時間をかけて何かに取り組んだからこそ得られるものを色々得てきたのだと気づきました。新卒の頃から社会生活が止まっていた私と違い、周りは何かしらのものを努力で手に入れていて、それを自分の基盤やアイデンティティにできていることを知ってしまったのです。
これはもうダメだと思いました。それまでは「就労できるようになればふつうの人に合流できる」と思っていましたが、付け焼き刃の努力では埋められない差がもうそこに存在したのです。私はみんなみたいにはなれないのだ、もう遅いんだ、無理なんだと理解しました。
でもこの時には既に、そんなことで絶望するような自分からは卒業していました。色々な葛藤を経ましたが、結局「まぁ仕事も住むところもあるんだからいいや。本当に欲しかったものは手に入れられている。とても幸せなことで」と思うようになり、とりあえず今の仕事でできることに向き合うことに集中することにしました。
でもその肝心の仕事が上手くいっているのかというと、そんなことは決してありません。
感受性が強く繊細すぎるため、心が疲れやすく頻繁に体調を崩してしまうのです。
きっかけになることは些細なことばかりで、他の人なら乗り越えられるようなことが積み重なっただけですぐに崩れてしまいます。
これが本当に悔しくて悔しくてたまりません。ほんの少し何かあっただけで、大切なお客様や、いつも良くして下さる同僚や上司にご迷惑をおかけすることになるのがとても辛いです。他のことは何でも許せるようになってきましたが、こればっかりは自分を許せなくていつも悩んでいます。心底情けないです。
仕事がバリバリできている友人を見ていると、些細なことを気にしない力、細かいことに気づかない力をしっかり持っているように思います。エネルギーがあり、自分の目標をまっすぐ見ていて、不要な情報までキャッチしないよう上手く省けているように感じるのです。体力や精神力がある方は、いい意味での鈍感力を兼ね備えています。
それに比べて自分はなんでこんなに無闇矢鱈と繊細でエネルギーが少なく元気がないんだろうと悩みます。何でもかんでも拾いすぎなのです。考え方や情報処理の仕方は変えられても、生来持っている情報の拾い方は変えられないので、こればっかりはもう努力で何とかなるものではないようにも思います。
今日も不甲斐ない気持ちで悩んでいたため、何か支えが欲しくなって、このアプリをダウンロードし「経験談」を読んでみました。
するとそこには、私と同じように感受性が強い方が沢山いらっしゃいました。ひとつひとつの文章から、他人を思いやる気持ち、周囲のものごとから繊細に情報を受け取る感性、自分の中でじっくりものごとを考える力が伝わり、悩みの中からその人のいいところが浮かび上がってきて、投稿されている方々ひとりひとりに敬意を抱きました。
なんだか、自分もこのままでいいのかもしれないと感じてきました。変われるところは変わりたいですが、人間みんな変われないところもありますし、第三者の立場から客観的に見ると、感受性が強いことや繊細なことはその人の心の豊かさに繋がっているように感じました。
これまで就労に執着していたので、社会的に認められる成果を出して、より社会的に認められる企業に移り変わって、沢山お金を稼いで、色々な選択肢を持つことを目標にしていましたが、自分の体質を考えるとそれを実現することは到底できないのです。だから自分の体質を変えなきゃと思っていたときもあったのですが、逆に自分の体質に合わせて生き方を選ぶべきだというように考え方が変わりました。
これまで自分が持っているものや体質に価値を感じられていなかったのですが、こちらの経験談を読んでいくうちに「ここにいる方々は素晴らしいし、自分も同じように素晴らしいのではないか」と感じてきて気が楽になりました。
今思うと、精神疾患になる少し前あたりから「生き方に合わせて自分を変える」という発想でものごとを選択していってしまっていたように感じます。
どんな生き方がいいのだろうか、どんな生き方が幸せなのだろうかと迷い苦しみ、ひとつ何かを選んでみてもそれに自分を合わせきることができず、より辛い気持ちになっていました。そうして自信を失っていきました。
でも、そうじゃないんですよね。
自分というひとりしかいない人間ができる生き方をするしかないんですよね。
自分にできることなんて良くも悪くも限られているわけですから、天が与えてくれた自分という人間の脳や体のつくりに沿った生き方をすればいいだけなんですよね。
人に対して「もっとこうしてあげたい」や、仕事に対して「もっとこれができるようになりたい」と思って、やれるだけやってみて無理だったとしても、「自分の努力不足なんだ、もっと変われないと」と自分を責めなくてもいいんですよね。
私はもう、世の中にある選択肢を眺めて「よりよい生き方がしたい。どう生きればいいのだろう」と迷うのはやめようと思います。ただシンプルに自分を愛せる生き方、自分が元々持っているものに委ねる生き方をしていきたいと思います。
普段の生活では自分に似た仲間と出会えていなかったので、気持ちが迷子になってしまっていたようです。他人を知り、自分を整理できるこのような場を作って下さり、本当にありがとうございます。
感想1
投稿ありがとうございます。
ご自身の生き方や人間としての性能をとてもメタ的に捉えている方だと感じました。(言い方が適切ではないかもしれませんが)客観視というよりはもうすこし他人事感があり、そのうえでやや(哲学的な文脈で)批判的にご自身を評価しているところからそう感じたように思います。それが幼少期の勉強の楽しさ、成績にも繋がっていたのかなと想像しています。一方でその思考と、タイトルでもある「自分を愛せる」という考え方の抽象度にはギャップがあるようにも感じ、そのギャップをどう取り扱うかということが、今回書いてくださった経験談の内容であり、あなたがもがいてきたところなのかなとイメージしました。
幼いころに自分を否定する(せざるを得ない)思考が芽生えると、それは自分が思うより深く根を張っていくと感じています。ご両親の離婚、自己否定、経済的な不安の強さはあなたの素の感情を表現する・受け入れるという機会(やっていいと思える下地づくり)を弱め、「自分を大切にする」という感覚の芽生えを阻んだのではと思いました。
心や感覚は勝手に育つ、ひいては自分で育てていくという考え方もできますが、「のびのび育てる」環境、自分より優先すべきものが明確にない(あっても強くない)という前提がまず大切なのではと私は考えています。
ひとつひとつの課題や困難に対して、分析し、要素を習得して積み上げることでロジカルに壁を越えてきたのかなという印象でしたが、自分の精神性や体調、人とのパワーバランス、他者比較や自己肯定などは、自分でコントロールできない側面が強く、もとを辿っていくとそもそもの前提条件の違いにぶち当たってしまうことも多いと思うので、ロジカルに考えるほど困難さが際立つような気がします。そこで折れそうなところ、あなたの場合は、精神疾患の発症を機に獲得した「許す」という経験を手掛かりに、自分の感覚を優先するという選択ができたのかなと推測しました。
同時に、自分の感覚や価値観を重んじることが少しずつ花開いてきたからこそ、感受性の強さや心の疲れやすさも表にあらわれやすくなってきたという可能性もあるのかなと想像しました。「ふつうの人」「就労している人」という指針はありつつ、それを絶対的な正解や理想として据えるのではなく「自分は一旦これで大丈夫」と思い直せることは、「自分で自分をきちんと見ている」状態だと感じますし、不調のときに休憩することもその1つです。自分の感覚に蓋をしないやり方は、「自分を愛せる」ことにつながるのではないでしょうか。
そして、「自分を愛する(大切にする)」ためには自分自身の考え方だけでなく、それを許容してくれる環境もセットで必要だと思います。環境側がそれを跳ね除けてくる場が世の中に多い(ように感じる)から、それこそ「生き方に合わせて自分を変える」という発想が社会自体に馴染んでしまっているのではないかなと感じます。(細かいやりとりや反応まではわかりませんが)少なくとも今いる職場の方々はあなたが時々休憩することもひっくるめて一緒に働いているのかなと想像しますし、本来はあなたが書いてくださった「自分が持っているものを使って生きる」ことがもっと当たり前になったらいいなと強く思いました。
多くの不確実な理想論や「ふつう」がたくさんある世の中で、少しでもそれらから離れて、自分や誰かの「ありのまま」を想い合える場が、死にトリにあればいいなと思います。