今いる環境が嫌です。仕事で8年ぐらいいるけど、無理できないとしたくないことを私にとっては本当に思ってることなんだけど、言い訳こねくり散らかしてやれないですと言ってきた結果自業自得の無能な私ができて、こうしてほしいや相手がしてほしいことを現場と折り合いをつけて解決すべきものをしないし、判断もできなくて行動もできないその行動に自分が責任持てなさすぎて結果、職場の人が助けてくれるまで動かない、今まで起こった現場での経験すら思い出せないそんなクソやろうな人間になってしまった。もうどう動けばいいかもわからないし、わかるけどでもな、みたいなやらないですむことを考えてしまい結局動けない自分になってしまった。今他の人たちが気づいてきた仕事の意識上げを台無しにする動きもしていて、でも仕事での考えや意識は自分は他よりもすっごい低いからあげれる気もしないしもうそんな自分を見るのが嫌だし、行動しようと勉強しようとしても頭の中にはいらない。じゃあ、会わないんだから転職すればいいのにとも思うのに、自分で決めて動くこと自体したことがないからその後が不安すぎて動けない。そんな状態でずるずるこの仕事をしてきたもんだからもう死にたいんです。したいことはあるのかもしれないですが、考えることもやめたいし、動きたくないから死んでしまいたいです。でも、そんな自分に酔っているだけなのかもしれません。何回か自殺を試みたけど後一歩がでない。結局考えたくなくて現実逃避の手段として自殺念慮に取り憑かれてるだけなのかなとかやっぱし最低だなとか思います。最近しんどい思いからではなく軽快に死にたくて明日が来ないように考えないように死にたくてしょうがない。変わりたい自分もいるけどすぐに変われないし、死ぬ気で頑張ってみたらと言われてもどう頑張ればいいのかどう自分と対話すればいいのか焦りすぎなだけなのかもしれないけど無理です。一時期できてそう感はあったけど、それも仕事ができてないのにできそうなことばっかして考えなしに変に動いていてダメだなと思いできなくなり、自分を変える覚悟も周りに合わせる考えも行動も持てない。だから死にたいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
明日が来てほしくないです
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。恐らくずっと、状況や自分の状態を何とかしようとしてきたのでしょうし、でもそろそろもがき続けるのも疲れてしまった…そんな印象を読んでいて抱いています。
やりたくないことはやりたくない、という本音があっても、同時に「動かない自分=無能」というレッテルを自分で貼ってしまい、そのレッテルが行動をさらに萎縮させてしまっているような、そんな悪循環がずっと続いているようにも私は思いました。あなたがいる環境は、直接的ではなくても、もしかしたら無理を強いられるような空気感があるのかな?と想像しています。
あなたが感じている“分かっているんだけど、でも…”といった思考は、何か決断するときのコストが高すぎるとそういう思考にはなりがちだなと私自身も振り返って思うことです。転職や自分で動くという選択肢が頭にあっても、実際にはその先のことは不確定なものですし失敗のリスクが怖いのも当然のことです。しかも「今までずるずるここにいた」という事実があると、自分で決めて動く自信はどんどん下がっていくと思いますし、頭ではやるべきことや改善案が見えても、身体が反応して動かなかったり、頭に入らないことも無理もなく、その疲弊感は、ただの「やる気不足」や「甘え」では説明しきれないものもあるじゃないかなって私は思います。
また、「死にたい」という言葉が時に「現実逃避の手段としての自殺念慮」だと自分で分析する冷静さを持っているところが印象的だなと思いました。一方で、思考のループに囚われて身動きが取れない辛さが交じり合って存在しているようにも感じます。自分を責めて「酔っているだけかもしれない」と突き放すところに、どこか苦しみを誰にも見せたくないという一人で抱えてきたことの意地というのか強さのようなものもあるのかなと私には映りました。
あなたが今感じている「変わりたいけど変われない」という焦りも、努力が足りないからと片付けられるものではないと思います。変化には時間と安全に試すことができる機会が必要ですし、いきなり完璧を求められると誰でも潰れてしまうんじゃないかなと…。例えばですが「今日は一つだけ確認してみる」「できないと感じた作業を箇条書きにして整理する」など、すごく小さくてもちょっと具体的な行動を繰り返すことで、少しずつ身体の反応が変わることもあるかも?とも思ったりもします。とはいえ、これも押し付けでは決してないですし、あなたのペースで考えていいことです。
あなたが「どう動けばいいか分からない」と綴っていますが、それをここに正直に書けること自体、小さな一歩だと思います。今は無理に答えを出さなくていいと思いますし、何がいいか悪いか、正解か不正解かは分からないですが、ただ、あなたのつらさは確かなもので、それをここにこうして表現して送ってくれたことをまずは受け止めたいなと思いました。もし死にトリがあなたにとって役に立つようであれば、またいつでも訪れてください。
感想1
投稿ありがとうございます。個人的には仕事をするのに「意識」をあげる必要もないと思うのですが、あなたのいる職場はそれを求める場所だったり、空気感のようなものがあったりするのでしょうか。「死ぬ気で」頑張る必要もとくにないと私は思います。ただ、周りに合わせずにいる自分自身にも疲れていってしまうところがあるのかなぁ……とも思ったりしました。また、あなたにとって、やりたくないことや無理だと感じることがたくさんある職場環境なのかなとも思いました。
「自分で決めて動くこと自体したことがない」とあるのは、学生時代から続いているという感覚なのでしょうか。それとも、その環境で働くようになってからなのでしょうか。
「これはできない」と感じることが積み重なっていくのに「これならできそう」という感覚が積み重ならないままだったら、自分のことを信用できなくなってしまうということもあるのかなぁと想像しました。その中で日々を過ごすのは、心がとてもすり減ることのように思います。もしかしたら、そういう思いを職場の人にも、他の場所のだれかにも、なかなか言える機会もない中で、ずっとひとりで抱えてきたのかなぁ?とも思いました。
同じだというわけでもないかもしれませんが、私も思考がぐるぐるとマイナス方向に続いていくようなときがあり、この思考を止めるために気絶したい、できないなら死にたいと思うことがあります。最近は私は精神科で処方してもらっている頓服薬などである程度対処ができる場合もあり、ちょっとした対策がとれる場合もあるのですが、それがない中で自分で自分をコントロールするなんていうことはものすごくむずかしいなぁと思います。
現実逃避したいとき、逃げる手段は意外といろいろあるのかなぁとも思います。もちろん仕事をやめるのもひとつだし、とりあえず休むこともあるかもしれないし、なにか自分の気分が変わることもあるかもしれません。私自身も、わりとその場しのぎの現実逃避で生きながらえてきたことがある気がします。それがいいか悪いかはわからないですが……。読んでいて、私にはなんだかあなたが疲れているように感じました。疲れているときには休んでいいのではないかと思いました。あなたにとって休まる形がどのようなものかはわからないですが、あなたにとって嫌なものではなく、すこし楽な過ごし方があるといいなと思っています。