経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

劣等感

眠りたい。ただ、何も気にせずに、体が怠くなるまで眠りたい。最近はずっとそう思っています。きっかけは、たぶん完璧主義でした。学校に行っていると、人よりも劣っていることを自覚させられる瞬間がたくさんあります。その瞬間が、私はものすごく怖いんです。その日帰路についたとき、自分の人よりも劣った部分を、心の隅に追いやってぎゅーっと押し潰す私を想像すると、恐ろしくて堪らなくなる。自分の嫌いな部分がまた増えてしまうことが怖い。私は自分のことが嫌いだけど、嫌いになりたくはない。だからこそ、嫌いにならないための努力を人よりもずっとしなければいけないんです。それでやっと、自分を許せるような気がする。一体、私が誰に何をしたっていうんでしょうね。ただ期待に応えられないときがある、ただ落胆されるときがある、それだけなのに、たったそれだけを恐れている。その一抹の不安が、同級生たちが眠っている間私は呑気に寝てていいのだろうかという衝動に駆らせ、気づけば勉強机で朝を迎えさせている。一日中、自分が何をすべきで何をしてはいけないのか、という指標を基に、まるでロボットみたいに、ただ動く。教科書が山積みの部屋で、人知れず手を動かすことを誰にも苦痛だと言えなかった。体がつらいとか、心が痛いとか、ロボットは考えないから。そうやって意思のない勉強botと化した私は、人から落胆されることはほとんどなくなりました。テストで当たり前のように一位を取る私に向けられた目は、むしろ恐怖でした。まるで別の生き物を見るみたいにみんなはおかしいって言うんです。まるで、私が最初から満点しか取れない生き物であるみたいに。そこでようやく気づきました。みんな、私の本質なんて興味がない。自分以外にどこまでも無関心だということ。上澄みの数字、その水面下に血の滲むような努力があったとして、その努力を誰が褒めてくれる?ただ自分を嫌いになりたくなくて、朝も晩も構わず手を動かした私を誰が褒めてくれる?誰も知らないんです。私がどれだけ頑張っていたかなんて、私しか知らないんだった。それを忘れていました。ああ、私って、どこまでも孤独なんです。本当はつらくて全部投げ出したかった。焦燥感は、私の心の柔らかい部分を削ぎ落とすように責め立てる。そんなの無駄だって、時間が無駄になる感情は捨ててしまえと言ってくる。私は結局何がしたかったのか、私にもわかりません。きっとこのまま、感情といえばただ眠たいと思うだけの日々が続くのだと思います。続けていくのだと思います。いつか自分を好きになれるまで。もう少し、頑張るしかないのだと思います。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございます。
世の中には、望むと望まざるとに関わらず自分と他人を比較する、比較される場面が沢山あります。学校という場所は特にそれが顕著な場所だと私は常々思っています。投稿者さんが書いていたように、学校では人より劣っているとわからせられる場面が多いなと思います。この経験談は、そういう場所で有無を言わさず劣等感を抱かせられ、自己嫌悪から逃れるためにもがく投稿者さんの叫びなのではないかと思いながら読ませていただきました。浮かんでくる、世界が寝静まった夜更けにひたすら手を動かす投稿者さんのイメージには、「孤高」という文字が張り付いているようです。
期待に応えられないこと、落胆させることがどれほどの恐れを投稿者さんにもたらすのか、文面から想像するのが難しかったですが、自分に置き換えると「がっかりされる」ということかなと思いました。自分がやっていることで人からがっかりされる、それは自分を取るに足らない者、無意味な者のように思わせる。自分のことをそんな風に感じるのは確かにとても怖いし、苦しいことです。その恐怖に抗う方法が、投稿者さんにとっては睡眠を削ってまでひたすら勉強に打ち込むことなのでしょうね。それほどの努力を重ねても、人の目に見えるのは数字だけ。数字の裏にある本人の頑張りや思いは伝わることなく、恐れや自己嫌悪を乗り越えるために出した結果に向けられるのが恐怖であるというのはなんて皮肉なことかと思いました。
焦燥感に削られた心の柔らかい部分に投稿者さんの本質があるのでしょうか。もしそうなら、その柔らかい部分にある投稿者さんの気持ちを聞いてみたいと思いました。恐れ、嫌悪、焦燥、痛み、苦痛、孤独、その他にきっとあるはずの投稿者さんの気持ちを、よければまた言葉にしてみてください。今はわからなくなっている自分のことが少しずつ見えてくるかもしれません。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。「眠りたい」というその一言の重さを読んでいて考えさせられていました。眠るという行為がただ心を休ませるとかではなく、傷ついた自分を覆ってしまいたい、考えなくて済む場所へ逃げたいという切実な願いになっているように私は捉えました。完璧であろうとする力があまりに強くて、少しの劣等感さえ自分の中で膨らませないために日々を削っていてそれが、あなたの体と心を疲弊させているのだと感じました。
学校での「人より劣っている」と感じさせられる瞬間が、あなたの中で何度も再生されているように感じますし、そこに抱く恐怖を避けるために自分を厳しく律し、努力を重ねることでしか自分を容認できないという循環ができあがってしまったのだと思いますが、これまで期待に応えられないことで実際周囲の反応があなたをそういう思考にがんじがらめにさせてしまったものなのか、とちょっと気になっていました。テストの上位という表面的な結果の裏にある「血の滲む努力」を誰にも見せられない孤独も、本当に堪えるものだろうな…と。周囲の人たちが数字だけであなたを見てしまうこと、そしてその無関心があなたの痛みをますます見えなくしてしまう理不尽さに、何とも歯がゆい気持ちになってしまいました。
学力や成果で人を評価する風潮や、成功の基準が数値化されること、休むことに寛容でない空気…そうした社会の構造が、完璧主義を生みだし、失敗や疲れをさらけ出せない文化を育てているのだろうとあなたの文章を読んで改めて思わされました。あなたが「誰も私の努力を知らない」と感じるところに、“もういい加減疲れてしまった”という切実な心の叫びが含まれているようにも私は捉えました。
自分を“嫌いにならないための努力を人よりもずっとしなければいけない”という言葉の根底に、誰かからか承認を得るしか自分を許せないという苦しさがあるように感じました。ただ、自分を守るために必死で構築した防御が、いつのまにか自分を追い詰める形にもなっていそうで、どうしたらその許せなさが少しでも緩和されるのだろう…と頭をぐるぐる巡らせてしまっています。
自分を好きになれる日を信じて「もう少し頑張る」と書いたその穏やかな諦め(のように私は感じました)に、あなたの地力の強さを感じています。でもその強さがあるがゆえに押しつぶされてしまうこともあるのかなとも勝手ながら心配な気持ちを抱いてしまいます。死にトリは受け止めることくらいしかできないかもしれませんが、また良ければそのままのあなたの言葉を届けてもらってまたこうして言葉を交わせたらなと思いました。眠りたいと願うあなたのその声は尊重されるべきものだと、最後に伝えさせてほしいです。

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