経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

休みたいです

現在大学一年の者です。
書きたいことをなるべくまとめて書いたつもりです。拙い文章で申し訳ないです。

まだ大学生活が始まって1年も経ってませんが、辞めたいと考えていますし、今はそれすらこえて死にたいと思ってます。
私の家は一般的に見たらそこそこ裕福なのだと思います。親は私を授業料の高い大学に進学させてくれるし、離婚してないし、兄含め4人とも仲がいいと思います。幸せですよね、この家庭。知ってます、私もそう思います、恵まれてるなって。
なぜ辞めたいかと言われたら、理由はさまざまです。キリがありません。大学なんて、夢のために行かなきゃ4年も続かないと思います。私には夢がありません。昔はあったけど、今はやりたいこともありません。高校時代、先生には大学に行ってからやりたいことを探すことも一つの手だと言われましたが、実際大学生になってみて、見つからない間のその時間は地獄でしかありません。高卒で働くことも考えたし、親に相談したけど、給料が違うから大卒の方がいいと言われ、祖母にも大学は出ないとダメだと言われました。こんなこと言って、高い学費出してくれて、感謝しかありません。ダメなのは私です。余談ですが、親に大学を辞めるなら今までの教育費を返せと言われたことがあります。ちょこちょこ返すのはダメらしいです。そりゃ親からしたら当たり前の反応かもしれないけど、バイトも単発や短期でしかやったことのない社会を知らない私からしたら流石にそれは無謀です……。冗談で言ったのかもしれませんが。

こんなに恵まれてるのに、私は大学を辞めたくて、でも辞めた後、私が何をしたいのかがわからなくて、路頭に迷う気しかしません。今の学校を辞めて通信大学に通う、辞めるならいっぱいお金を稼がなきゃ、でも何を学べば良いのか、私がしたいことは何なのか。色々ぐるぐるしてたらもういっそのこと死んでしまえばいいと思うようになりました。死んでしまえば考えなくて済むし、これ以上不出来な娘のために親や親戚が頭を抱える必要がない。元々長生き希望ではなかったし、大学云々関係なしに、そろそろ人生に満足したし、これからの幸せと不幸せを経験するよりここでおしまいにするのもありだなと思っていたので。
最近は家で引きこもって泣いています。こんな人間だからご飯を食べる資格もないと思ってます。
カウンセラーや精神科に相談することなんてないと思ってますし、病院に行かなければ病気とは言われない、病院に行ったのに病気じゃないって言われて恥ずかしい思いをすることもないと思ってます。でも実際はした方が良いのでしょうか。今お話ししたこと以外にも、私には潔癖なところがあったり、友人など人への執着があったりと、普通じゃないところがあるように思います。それら全ては病院で話すべき内容なのでしょうか。それとも話しても意味のないことなのでしょうか。
ノンストップで成長することに疲れました。少しぐらい休んだっていいのに、世の中は休むことを許してくれません。ちょっとブランクがあると後々そこを問われるらしいです。昔は真面目で優等生でした。でもそれも途中から変わって、落ちぶれて、醜くなりました。私は恵まれてるはずなのに、その環境すらうまく生きれない。こんな娘で、妹でごめんなさい。

感想1

読んでいて、お疲れ様ですと言いたい気持ちになりました。全体を通して「休みたい」「立ち止まりたい」という思いは一貫してあり、あなた自身のつらさをあなたがとらえているということだと感じました。個人的には、休んでいいと思うし、立ち止まっていいと思います。ただ、休んだり、大学を辞めたりしてしまったらどうなるかわからない……という不安が強く存在していることも感じました。
私も大学生のとき「休んだら死ぬしかない」みたいな追い込まれた強迫的な気持ちになっていたことを思い出します。それはいま思うと、周囲に生き方のモデルがあまりにも少なかったからだと感じています。

私は生きるのにやりたいことがないといけないとは思いませんし、将来の夢を叶えるために仕事をする必要もないと思っています。ただ、学校にしろ仕事にしろ、ボランティアにしろ、闘病にしろ、どのようなことであっても、それは生活の一部なので、そうであるならば、なるべく苦痛が少なければいいと思うし、楽しみや喜びがその中にみつかるならいい、という期待もあります。
あなたにとって大学が苦痛なのであれば、辞めてもいいと、やはり私は思います。私の周りにも大学に行っていなかったり、辞めたり、休学したり、別の学校に入り直したり、さまざまなやり方で大人になるまで生活をしてきた人がいますが、そのどれがいい悪いではないように思います。「大学を辞めるなら今までの教育費を返せ」というのは、いじわるな言葉に思えてしまいました。「ちょこちょこ返すのはダメらしい」ということも、親があなたの経済状況をわかっているなら、そのお金をあなたがすぐに払えないことをわかっていて言っているということになり、無理難題を言って選択肢をつぶしているだけのように思います。

ただ休みたいということが、なぜここまでむずかしくなってしまうのか……これはあなたが悪いのではなく、世の中の課題だと私は感じます。日本社会は斜陽に向かいながらも、実質的に生きやすい世の中を目指すのではなく、ただ頑張り続けることを人々に押しつけ、押しつけ合っているような気もします。私自身も、なるべく頑張りを人にも自分にも押しつけたくないと思いつつ知らず知らずのうちにしてしまっていることもあるなぁと感じます。
ちなみに、私はいま30代ですが、やりたくないことから逃げ回って生きてきて、もともとあまり体力がない人間なのもあり、いまはいわゆる「フルタイム」よりはかなり休みの多い生活をしています。そんな生き方もあります。
恵まれているかどうかは関係なく、あなたにとってつらいなら、立ち止まっても、寝転がって休んでも、別の場所に立ち去っても、大丈夫だと思います。ここに経験談を送ってくれてありがとうございました。

感想2

どうしてこの社会はこんなにも休むことが簡単じゃないのだろうなぁ…と思いながら、あなたの文章を読んでいました。「外側から見れば恵まれている」ということと、心の内で感じる息苦しさが同時に存在していることの痛みが切実に伝わってきました。親の経済的な支援も、家族関係の安定も、外からは羨ましく見えることもあるかもしれないですが、その一方であなたは「自分のやりたいことが見つからない」「選べない不安」「親の期待に応えられないという罪悪感」に押しつぶされそうになっているのだと感じますし、周囲の声や常識に合わない自分を恥ずかしいとかだめな人間などと断じてしまいやすいつらさもあるのだろうな…と感じました。
昔はやりたいこと、なりたいものもあったけれど今は夢なんてないという状況になってしまったのは何か理由があるのか気になっていました。どこか志すものを否定されてしまったり、現実的に不可能であることを突きつけられてしまうようなことがあったのか…。少し自分語りになってしまいますが私自身、幼い頃から祖父には看護師になるよう言われていましたし、親からは漠然と公務員というのかしっかりした職に就くのが理想と言われていて、頑張っていたのですがそこに応えられるほどの能力は残念ながらなくて、そしてそうは言ってくるのに大学や専門学校への進学は経済的な理由も含めてなぜか反対されるという矛盾に満ちた状況だったので、あなたとは異なるのですが、自分のやりたいことも夢も見つけられないまま、今大人になって社会人をやっています。時々何か目指すものがあればな…と何かに向かってエネルギーを注いでいる人を羨ましく思う時もありますが、今の環境でしか得られなかったものを考えると、どこに行くか、何になるかだけに縛られてしまうのは勿体ないし、人生がそれだけで決められてしまうのは違うよなと実感しているところです。何が正解ともないのが難しいところなのだろうとは思いつつも、あなたが今の状況を苦しく思うのなら、苦しい状態で居続ける必要はどこにもないし、一旦自分を休ませるという方法をとったっていいんだよと伝えたくなりました。(何が言いたいかよく分からなくなってしまい申し訳ないですが、まぁこういう大人もいるんだなぁ程度に思ってくれればなと)
あなたが今感じている死にたさやご飯を食べる資格がないといった強い自己否定は、そこには完璧であろうとする力や、他者の期待を背負い込む癖が含まれているように思いました。潔癖さや人への執着といった性質が、自分の内面を見つめる時間が苦痛にさせているのかもしれませんし、何か選択をする時に、不安や責任感が過剰に働くこともあるのかなと…。そうした自分の性質は「病気かどうか」で一括りにされるものではないと思いますし、少しでも自分の生き方や悩み方に引っかかりがあるのであれば相談してみるというのも一つなのかなと私は思いました。どのようにラベリングされてしまうかどうかは別として、あなたが感じている戸惑いや苦しみ、罪悪感はここに綴ってくれているままで受け取られるべき実感であると私は思います。家族や周囲の基準がどうであれ、「やりたいことが見つからない」「休みたい」と感じる自分もまた、ひとりの人間として尊重されるべきことということをお伝えしたいです。なかなか今抱えている苦しさが軽くなることは難しいかもしれませんが、どうかこの先少しでもあなたがあなたのペースで過ごせるような人と関わることができたり、そういった場所に身を寄せられることを強く願っています。また必要な時はいつでも死にトリに声を届けてほしいです。

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