経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

医者になりたいな~

小さい頃から身体が弱くて、大病を経験したとかではないものの、風邪や病気で頻繁に学校を休んでいた。病院に行ったり先生と話したりする機会が多かったのもあってか、気が付いたら医者になりたいと言っていた。純粋に人の身体に興味があったし、無条件にかっこいい!学校を休む度に熱に浮かされた頭でぼんやりと、自分のことを救う将来の自分を思い描いていたと思う。近所の公立の中学校が荒れているという評判があり、中学受験をする流れが学年の中で高まり、僕も中学受験をさせてもらった。数え切れないほど苦しいことがあったし、第一志望には受からなかったけど、都内の私立の中高一貫に受かった。その頃にはだいぶ体調も落ち着いてきていて、中1から高1までは皆勤賞だった。身体が健康を取り戻していった代わりに、こころは少しずつおかしくなっていった。学校の中で人間関係を築くのが多分得意ではなくて、大事な友達は少しできたけどクラスの中で誰とも喋らず過ごす日も多かった(だって塾ではそんなこと習わなかったから)。その日雑談するだけの薄い仲しか築けずにいつの間にか高校に上がっていた。大学受験のために予備校に通い出す子も多くて、僕もこの頃から通い始めたけどやっぱりそこでも誰とも話せなかった。何かが欠落してると思った。地獄みたいな日々だった。教室の中で自分は誰とも話していないのに周りの喋る声だけに延々とエコーがかかって聞こえる。頭の中が黒いもやで埋め尽くされてまともに何も考えられなかった。予備校の帰りに歩道橋の上で吐いて介抱されたのもこの頃だった。どうしようもなくなったから現実逃避として勉強以外のほかのことに価値を見出すようになった。音楽、映画、本、絵画、、、この世には勉強以外に素晴らしいものが沢山あって、成績でマウントを取り合う同級生や生徒にキツく当たる予備校の講師なんかくだらないと思うようになった。毎晩吐きそうになりながら予備校から帰ってきて玄関で仰向けに寝っ転がりながらなんか人生ってしょうもないなと思う、ことの繰り返しだった。もう誰にも見下されたくなかったし、誰かを見下したくもなかった。早くここから抜け出したかったけど、どこに行けばいいのかも分からなかった。

受験生になって、今までそんな感じで適当に勉強をやっていたことの皺寄せがきている。明らかに今まで以上に頑張ってはいるけど、周りの環境や自分の性格に折り合いをつけることは出来ていない。先生や周りの人の言動で必要以上に傷つく時もある。ただの怠惰で勉強できない日もある。罪悪感に押し潰されそうになって眠れないこともある。だけど、この環境から抜け出すのに一番良い選択肢は合格して医者になることだとも思う。とりあえずそう信じることも大切だと思う。ドロップアウトしないことが正義だとは思わないけど、僕はやっぱり強くなってみんなを笑顔にしたい。好きな人だけじゃなくて嫌いな人も、助けを求めているのであれば助けられる存在でありたい。暗い文章ですみません。医者になります

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。身体が弱かったあなただからこそ身近な存在であった、お医者さんに憧れるあなたの気持ちはとても自然なことに感じられました。大学受験を控えた今改めて自分の考えを整理した、そんなタイミングだったのでしょうか。

医者になりたいという夢を持ってから、数えきれないほどの苦しいことを乗り越え、あなたが勉学に励んできたことが文章からとても伝わってきます。純粋な「頑張りたい」というあなたの気持ちの一方で、成績のマウントの取り合いや、リスペクトのない上下を決めたがるような争いに知らず知らずのうちに巻き込まれてしまったのかなと想像しています。

競争というのは、本来他者ではなく、自分自身に使われるものであってほしいとわたしは考えています。自分の弱さと戦う、自分ができないことに挑戦する、自分自身と競争する。しかしながら社会の仕組みはまだまだ他者と競い合わせて上下を決めるばかりで、その象徴が学校であり「他者と競争をする」ことが前提になっている仕組みだとも言えます。

テストの点数だとか成績だとか、学校に入学してから卒業するまで、他者と競い合うことを知らず知らずのうちに学習させられ、社会に出ても人生の醍醐味のようにも思わされたり、ドロップアウトすることも怖くなってしまうそんなことが起こっているのではないかな。そんな息苦しい学習よりも、学ぶことの楽しさや、友達と喧嘩したり仲直りしたり、遊びを作り出したり、もっと学校で教えてほしかったことがあったなと、振り返るとそう思ってしまう自分もいます。

勉学に励むとどうしてもその競争システムに、知らず知らずのうちに乗せられてしまうので、その息苦しさにあなたは敏感に反応しているのかも知れないなと思いました。そんな場所や社会から逃げ出したいとおもう反応はわたしはとても正常だと感じますし、大切にしていてほしい感覚だなと思います。「ドロップアウトしないことが正義じゃない」あなたの力強い言葉に掬われるような思いもあります。

みんなを笑顔にしたい、人を助けられる存在でありたいとおもうあなたの純粋な気持ちを大切にしながら、他者とではなく自分と戦うことを優先していてほしいです。他者と戦おうとする自分と戦うこと、それを知っているだけでも息苦しさから楽になり、随分人生違うものだと思います。知らないうちに、他者との競争に巻き込まれてしまうことがあればここに、或いはあなたの原点に立ち返ってほしい。応援しています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。身体の状態とじわじわと周囲との折り合いの間で揺れ続けながら過ごしてきた苦しさが伝わってきました。幼い頃は病気がちで身体のことで足を引っ張られながらも、医療というものに触れてきたことで「医者になりたい」という夢が芽生えて、体調が安定してくると、今度は心にどこかぽっかり穴が空いてしまうような感覚や不安が押し寄せてきて、学校で孤独を強く感じざるを得なくなった印象であなたの中では、健康と不健康がいつも別の場所で入れ替わるように存在し、その揺れが“自分はどこに立てばいいのか”という迷いを生み続けてきたように私は感じました。
あなたの文章を読んでいると、日本の教育の枠組みが「成果」と「数字」に偏りすぎているな…と改めて思わされました。点数や合格の実績などは可視化され評価はされるのに、そこにある個人の気質や困り感は汲み取ってはくれないですし、それどころか「欠けているもの」として自分を責める原因になってしまいがちで…予備校での体調不良や、吐き気に襲われてしまう帰り道も、ただの個人の弱さではなく、競争の構造に身体ごと巻き込まれた結果に近いのではないかなと考えていました。
それでもあなたは、音楽や映画や本や絵画といったものに触れながら、別の軸を探そうときたのだろうと思います。辟易してしまうような世界ではないところで価値を見出すことで、自分を少しでも救おうとしていた部分もあるのかなと…。(違っていたらすみません)「くだらない」と突き放す感覚の裏には、実は「もっと意味のあるものがあるのではないか」という、どこか希求する気持ちもあるのではないかと思ったりもしました。
文章の最後にある「医者になります」という言葉、夢や理想以上に、“自分が自分を救い直す”という決意が滲んでいるように私には映りました。医者という役割は、他者を助けるということだけではなく、必ずそうだとは限らないですが、自分の弱さなど自分自身が抱えているものを見つめ直し続けることにもつながっているのではないかと私は思います。だからこそ、「嫌いな人も助けたい」とあなたが書いたのは、優しさからというよりかは、自分がこれまで味わってきた孤独や痛みを、他者に繰り返させたくないという切実な実感の表れのように私は感じています。
あなたが経験してきたことは努力や根性だけで片づけられるものではなく、この社会の教育のあり方や評価の仕組み、そして心の健康が後回しにされやすい文化の中で形づくられてきたものだと思います。その中で生まれた医者になるという思いは、長く揺れ動いてきた身体と心とずっと向き合ってきたあなただからこその、重みのあるものだと思いました。これからも困難にぶつかったり、しんどくなってしまうこともあるかもしれませんが、そんな時はまた死にトリに声を届けてもらって一緒に考えられたらなと私は思っています。あなたの思いが実現できるよう、ささやかながら応援しています。

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