経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分は生きることに向いていないと度々感じる
例えば、仕事のある日に朝起きる。ただそれだけが辛い。また朝が来てしまったと重い身体を引き摺り起こす。今ここで死ねば仕事に行かずに済むと思いながら、死ぬ度胸も、仮病を使って休む度胸すら無い。
きっと普通の人なら、気分や体調が優れない日は上手く自分の身体と相談して適切に休みを取って生きているのだろう
そういう行為を「体調管理」と呼ぶのだろう
だと言うのに自分は何だ。いい年して体調管理の1つもまともに出来ないのかと思うと、やはり自分は生きることに向いていないなと思う
日々ストレスが溜まるなら、休みの日にストレスを発散しようと思うも、特に趣味がない。
趣味をどうやって見つければいいのかと検索をしてみると「特技や楽しいと感じる事を趣味に」と出てくる
特技を持てる程に人間としての性能が高ければ、こんなに生き辛さに苦悩しては居ない
ならば楽しいと感じることは?
これも分からない。何をしたら楽しいと感じられるのか?
瞬間的に笑うことはある。だがその笑いが「楽しいと感じたから出た」のか「笑うべき場面と感じたから出た」のか自分でもよく分からない
こんな益体もない考えが浮かぶ度に、やはり自分は生きることに向いていないなと思う
生きていると何もしていてもずっと苦しい。ずっと生き辛い
生きることは大なり小なり苦しむことで、みんな等しく苦しみながら生きていると聞くけれど、苦しいだけの人生のどこに価値があるんだろうか?
みんなこの苦しみを、何をよすがに耐えて居るのだろうか?
耐えられない私が悪いのだろうか?
どうしたら楽になれるだろうと調べても方法なんて出てこない
死ななければこの苦しみから解放されないが、死ぬ為には痛みや苦しみに耐えなければいけない。
せめて少しでも楽に死ねる方法は無いかと調べても、出てくるのは自殺予防の相談窓口ばかり
犯罪をおかして死刑になる人にも人道的な方法が模索されているのに、人に危害を加えず生きていても、私には楽に死ぬ権利は無く、苦しみながら生きて苦しんで死ななければいけないのだろうか
この投稿は消されるだろうか
だとすれば私には悩む権利も無いということだろうか
何も考えず、何も感じず、ただ毎日働いて税金を納めて生きていく
それだけの人生になんの意味があるんだろうか
私はなんのために苦しんでるんだろう
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
投稿のあちこちに見える「生きることに向いていないと思う」という言葉が、投稿者さんのこれまでの苦しみをあらわしているように感じました。斯く言う私も生きることに向いていないと感じる場面は割とある方で、そう思うたびに苦しさが募っていく感覚はどうしても拭いきれないものがあるように感じます。
「体調管理しっかりしてね」と上司やら会社の人やらによく聞く言葉ですが、実はかなり難しいことなんじゃないかと感じています。というのも、よくない風潮として、体調不良を伝えづらい雰囲気が社会という大きな枠組みの中で出来上がってしまっているように感じるからです。休むと他の人の迷惑になるとか、仕事はどうするんだとか、そういった圧力のようなものが体調不良を訴えづらくさせている感じでしょうか。その意見が間違っているわけではないと思いますが、体調が悪くては仕事以前の問題ではないか、とも私は思います。体調はどれだけ行き届いた管理をしていても悪くなる時は悪くなると思いますし、それを会社に伝えることすらしづらいのであれば、それはもはやこちらのせいじゃないのでは…?と思ってしまいます。
笑うことに関して、投稿者さんの言葉にとてもはっとした自分がいました。心の底から笑えているんだろうか、それとも今はほかの人なら笑うところなんだろうか、と、どこか笑うことが他人事のように感じる感覚は、すごく違和感のあるものだと感じます。同時に、最近は笑うべきだと感じたから笑ったという場面も、もしかしたらそういう出来事が続くうちに「本当に少しだけど楽しいと感じたし、多分他の人も今のところは笑ってるだろうな」みたいな、自分の感情がちょこんと顔を出してくれることもあったりするのかなぁなんて思いました。
何をしていても苦しいという感覚は私もなんとなく分かる気がします。明確な理由がある苦しみとはまた別に、出どころ不明で理由も分からない「なんとなく苦しい」が混在しているような感じかな、私の場合はそうだなぁ、と思ってます。
この投稿をすることも、投稿者さんにとってはとても勇気の必要な事だったと思います。そんな中で苦しみやつらさを伝えてくれたことは有難いことだと私は感じていますし、それだけの悩みや想いがあってそれを伝えることができないなんてとても悲しいことだと私は思います。だから投稿者さん含め、人にはそれぞれ悩む権利、同時に、それらを打ち明ける権利がにあると思いますし、またこういった想いがこみ上げてきたときにはまた投稿していただきたいなって思いました。
投稿ありがとうございました。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
投稿のあちこちに見える「生きることに向いていないと思う」という言葉が、投稿者さんのこれまでの苦しみをあらわしているように感じました。斯く言う私も生きることに向いていないと感じる場面は割とある方で、そう思うたびに苦しさが募っていく感覚はどうしても拭いきれないものがあるように感じます。
「体調管理しっかりしてね」と上司やら会社の人やらによく聞く言葉ですが、実はかなり難しいことなんじゃないかと感じています。というのも、よくない風潮として、体調不良を伝えづらい雰囲気が社会という大きな枠組みの中で出来上がってしまっているように感じるからです。休むと他の人の迷惑になるとか、仕事はどうするんだとか、そういった圧力のようなものが体調不良を訴えづらくさせている感じでしょうか。その意見が間違っているわけではないと思いますが、体調が悪くては仕事以前の問題ではないか、とも私は思います。体調はどれだけ行き届いた管理をしていても悪くなる時は悪くなると思いますし、それを会社に伝えることすらしづらいのであれば、それはもはやこちらのせいじゃないのでは…?と思ってしまいます。
笑うことに関して、投稿者さんの言葉にとてもはっとした自分がいました。心の底から笑えているんだろうか、それとも今はほかの人なら笑うところなんだろうか、と、どこか笑うことが他人事のように感じる感覚は、すごく違和感のあるものだと感じます。同時に、最近は笑うべきだと感じたから笑ったという場面も、もしかしたらそういう出来事が続くうちに「本当に少しだけど楽しいと感じたし、多分他の人も今のところは笑ってるだろうな」みたいな、自分の感情がちょこんと顔を出してくれることもあったりするのかなぁなんて思いました。
何をしていても苦しいという感覚は私もなんとなく分かる気がします。明確な理由がある苦しみとはまた別に、出どころ不明で理由も分からない「なんとなく苦しい」が混在しているような感じかな、私の場合はそうだなぁ、と思ってます。
この投稿をすることも、投稿者さんにとってはとても勇気の必要な事だったと思います。そんな中で苦しみやつらさを伝えてくれたことは有難いことだと私は感じていますし、それだけの悩みや想いがあってそれを伝えることができないなんてとても悲しいことだと私は思います。だから投稿者さん含め、人にはそれぞれ悩む権利、同時に、それらを打ち明ける権利がにあると思いますし、またこういった想いがこみ上げてきたときにはまた投稿していただきたいなって思いました。
投稿ありがとうございました。